マイ・ファザーの華麗なる祝福、そしてその功罪
  〜A splendid blessing of my father,
             and the merits and demerits〜





 某県某郡にある葉町(はまち)は、いわゆるド田舎だ。
 デジタル放送の受信エリアから外れているとか、光ファイバーの対象エリアから外れているとかそんなレベルではない。
 駄菓子屋の軒先にあるストU(ストリート・ファイトUというゲームの略称)のアーケードゲーム一機を子供達がゲームセンターと呼んでいる、そういうレベルである。
 山に囲まれた盆地の底にちまちまとある町には、電車も通っておらず、最寄の駅は徒歩五時間(山を一つ越える必要があるのだ)。
 外界と葉町をつなぐ唯一のバスは朝夕のラッシュ時でも一時間に一本、昼間には二時間に一本しか走っていない。各家庭、自家用車が必需品だ。
 七百人ちょっとの人口の六割が六十歳以上、七割の世帯が兼業農家、町の面積の八割を田んぼが占め、九割以上の人間が携帯電話を持っておらず(町には数ある携帯電話会社のうちの一社のアンテナしか無く、それも電波の届く範囲が狭く、持っていてもあまり意味が無いのだ)、そして全員、今現在、非常に困った境遇に置かれていた。
 なんと町が恐ろしい魔物の襲撃に遭うようになったのである。

 「防衛軍に出動を要請しなかったのですか?」
 葉町役場の一室で、黒いジャケットに黒いパンツを着込んだ年若い女剣士は町長の武村に質問した。
 「したよ。したけんどもぉ、今、都会の魔物で手が回らないとかで、出動まで一ヶ月待てと言われてるんだわ」
 武村町長の吐き捨てるような声に、剣士は眉をひそめた。
 「死人が出ているのにですか」
 「そう!もう九人やられた!ひどいと思わねぇか!」
 「思いますとも、ね、スィール」
 剣士は本当にそう思っているのかと町長に疑わせるような淡々とした表情で、隣の椅子に腰掛けた神父に同意を求めて振り返ったが、神父は青褪めた顔を俯かせ、黙ったままである。
 紫色の唇をぶるぶるさせている様子を見て、武村町長は「魔物や防衛軍への怒りに震えているのか?」と期待したが、剣士の言葉にそれは霧散した。
 「また貧血?」

*****

 枝毛の目立つ、くすんだ砂色の髪を背中まで伸ばし、頬がこけるほどに痩せ細っているスィールは、一見、冴えない男である。
 聖衣と聖杖を身につけていなければ、ただの病人か、不健康な引きこもりにしか見えない。
 これでも神聖魔法を扱える高位の神父なのだが、如何せん身体が弱く、以前、旅先で貧血で倒れたとき介抱してくれた親子連れに、お礼に祝福を与えようと手をかざし、「神よ、この子供に祝福を〜」と力無く唱えようとしたところ、六歳の子供から「僕よりも神父様の方が祝福必要なんでねーの?」と心配されたくらい、頼りなげで瀕死の一歩手前といったよれよれの外見だ。
 家で大人しく養生していればいいものを、彼は似合わない野望を胸に、全国津々浦々旅をしている。
 一方、女剣士ヨルはというと、すらりとした体格に中性的な容姿の万人が認める美少女である。
 艶々のストレートの銀髪をショートにし、透けるような白い肌、赤い眼をしているため、「うさたん萌え〜」などと変態に言い寄られることしばしば。
 しかし調子に乗ってお尻でも撫でようものなら、彼女の愛刀によって滅多斬りにされるだろう。

 スィールとヨルの出会いは二年前に遡る。たまたま同じクライアントに雇われ、一緒に仕事をしたのだが、仕事が終わった後も、スィールのあまりの弱々しさに心配したヨルが、放っておいたら野垂れ死にしそうだし仕方ないなぁ、と頼まれてもいないのについてきたのが、二人連れの旅の始まりだった。
 ヨルは十八歳、スィールは三十三歳。しかしスィールが年齢以上にくたびれて老けて見えるため、二人並んで歩いていると、娘が病気の父親の巡礼の旅に付き添っているように見えるらしい。
 「お父さんを大事にね」と、バスで隣りの席に座った見知らぬおばさんから声をかけられ、「栄養つけて養生しなっせ」とまんじゅうの包みを渡されたこともあった。



*****



 「ふーん、ここが……」
 神父と剣士は、観光推進係長の槙原の案内で町外れにある建物の前に立っていた。
 古びた家屋の多い葉町で、目の前の近代的な巨大建築物はあからさまに浮いた存在である。
 町おこし政策のため、町民の夢と希望と、国から支給された巨額の助成金を惜しみなく注ぎ込み建てられた建物には、『ハマチ美術館』という名前があった。
 「フランスの新進気鋭の有名芸術家のロ・ダーンさんにデザインをお願いしたんですわ」
 どうです?と槙原係長に訊かれて、芸術に縁の無いヨルは「はぁ、斬新ですね」と愛想無く適当に答えた。
 スィールはコホコホと軽い咳をするだけで何も言わない。彼の咳は二四時間三六五日、いつものことだ。
 横に長い建物の屋根は、葉町を取り囲む山脈をイメージしたとかで、大きくうねるようなMの字型の曲線を描いているのだが、建物全体を塗りつぶしている薄い青緑色が、どちらかといえば青味が勝っているため、ヨルは山脈よりも海の波を思った。
 「山の中に山を持ってくるより、海があった方が面白いよね」と、隣を歩く神父にヨルは小さく言ったが、話をいきなりふられて意味がよく分からなかったのだろうか、首を傾げられただけだった。
 武村町長の話によると、魔物の襲撃は三ヶ月前から始まり、それはこの美術館が完成した時期と一致するのだそうだ。
 「工事中は何もなかったのですか?」
 「なーんも起こりませんでした。建物が完成して、展示物を搬入して。それからですわ、魔物が出てくるようになったんわ」
 魔物は夜道を一人歩く町民に襲い掛かり、首に噛み付き、全身の血を吸い尽くした。
 九人の被害者全て同じ手口で殺されているのだが、魔物の姿をはっきり見た者は、まだいない。
 目撃情報といえば、八人目の被害者が上げた悲鳴に駆けつけた近隣住民が、暗闇の中、美術館の方向へ走り去る人影を見た、それだけである。
 「一ヶ月十万人の観光客が町に訪れる予定だったんに、魔物が出るようになったもんだから、本当なら先月に執り行ってたはずの開館式をまだしてねぇ。このままじゃ葉町は巨額の財政赤字を抱えて破綻してまう!」
 キィィとエキサイトする槙原係長に、犠牲者の増加と財政赤字とどっちがより心配なんだろうと冷めた事を思いながら、ヨルは軽く苦笑を返した。

 美術館は現在、完全に無人だった。
 電気も止まっており、格子タイプの電動シャッターの下りた表玄関からではなく、係長が鍵で開けた職員用勝手口から中に入る。美術館の中はひんやり冷たい空気と暗闇が支配していた。
 係長が持参の懐中電灯を点けようとしたが、スィールがボソボソと何事か唱えると、彼の杖先に明るい光球が出現した。
 光のみで熱くはないと、ヨルが係長に説明する。
 「詳しいことは知らないのですけど、美術品って気温や湿度とか光とか、保管に気を遣うものなんじゃないのですか?無人のこんなところに放置してて大丈夫ですか?泥棒とかも心配だし」
 ヨルの問いはもっともである。しかし槙原係長は事も無げに答えた。 
 「ああ、そりゃ大丈夫。この美術館は模造品専門だから」
 「模造品?」
 「そう、有名絵画や彫刻の限りなく本物に近い模造品。ほら、四国の方にも同じコンセプトの美術館がありまっしゃろ?レポナルド・ド・ビンチやミネ、マッケランジェロンとか、有名な海外の美術品を、海外まで観に行かなくても日本国内で見ることができる!あれの日本美術版ですわ。カビに腐食される前の古墳の壁画から葛飾東斎、岡倉剣心まで、陶板に焼いて美しく再現!仏像や現代彫刻も、コンピューターで取り込み、誤差〇・〇一パーセントで再鋳造!日本の誇る名作をこの美術館で全て見ることができるんですよ!」
 「……へぇ」
 芸術に興味の無いヨルは、海外まで行って絵や彫刻を見たいと思わない。
 自分にはよくわからないが、リアルに再現されていれば、模造品と判っていても、こんな山奥まで人は見に来るものなのだろうか。
 『なんでもかんでも鑑定団』というお宝鑑定テレビ番組が大好きで、一緒に見ているとメインレギュラーの石逆小路(有名インテリ芸能人)に対抗するが如く、やたら知識をひけらかしてくるこいつはどうなのだろう……と、ヨルが隣をふらふら歩く神父をちらりと見ると、神父は弱々しく咳をしながらも、展示物をキョロキョロと見回していた。
 時々「はぁ」とか「ほー」とか洩らしているので、少なくともスィールはこの美術館に訪れても退屈しない人種のようであり、そういった人間は案外多いのだろうとヨルは判断した。
 こうしてヨルとスィールは、槙原係長の案内の元、三時間ほどかけて美術館の中を隈なく探したが、結局、怪しい影や気配を見つけることはできなかった。
 陽も傾き始め、歩き通しだったスィールに疲れが見え始めたこともあり、一同は今日の調査をおしまいにすることにし、夜間の見回りを請け負うと、二人は係長と町役場の前で別れた。



*****



 町長がとってくれた民宿までの道を、二人は暮れなずむ周辺の景色を眺めながらゆっくり歩いた。
 町役場周辺は、まだ民家が集まっていたが、ものの五分も歩くと行く手は田んぼ、田んぼ、田んぼ。
 黄金色の穂を重たげに実らせた稲が、夕陽を受けてオレンジ色に染まり、山から下りてくる涼しい風に身を委ね、そよぎながらキラキラと光を撒き散らしている。
 「あ。見て見て、あの飛び出し注意のマーク、あれってカルガモかな、可愛い」
 ヨルが指差したのは、田んぼの脇に立てられた黄色のダイヤ型の標識で、中央にカモだかアヒルだかの親子の絵が黒塗りで描いてある。
 農薬を使わず、カモに食べてもらって害虫を駆除する、アイガモ農法が行われているようだ。
 アイガモ農法の利点を挙げるスィールの声を背中で聞きながら、ヨルは田んぼを覗き込んでカモを探したが、姿は見えず、頭上をカラスが「アホー」と鳴きながら飛んでいくだけだった。
 むっと空を見上げるヨルの姿を見て、スィールはこけた頬に笑みを乗せる。
 魔物の襲撃に遭っている町とは思えない長閑さだ。
 
 民宿は、町役場から十五分ほど歩いたところにある、数軒の民家の集まりの中にあった。
 鄙びたといえば聞こえはいいが、木造二階建ての家屋は、蹴飛ばしたら埃が大量に降ってきそうなくたびれ具合だった。
 愛想のいいおばちゃんに「親子?それともアレかい、『失楽園』ってやつ?おほほほほほ!」とうんざりするようなことを訊かれながら、二人は二階の別々の部屋に案内された。
 既に準備が整っているという夕食は、スィールの部屋で一緒にとらせてもらうことにする。

 炊き立てのほかほかご飯、白菜ときゅうりの浅漬け、おかかとオクラがたっぷり乗った冷やっこ、ポテトサラダ、秋刀魚の塩焼き、玉葱とジャガイモとわかめの赤だしの味噌汁。
 卓袱台に並べられた夕食を一瞥すると、神父は自分の分の秋刀魚の塩焼きを黙って皿ごとヨルの方にやった。
 スィールは肉や魚を食べる事ができない。
 神聖魔法を使うため精進潔斎しているから、というわけではなく、ただ偏食なだけである。
 焼肉大好きで神聖魔法を使う神父もこの世にはたくさんいる。
 旅をし始めた当初は、ヨルも「そんなだから不健康なんだ、食え」と無理矢理食べさせようとしたりもしたが、スィールが目に涙を浮かべながら肉を口に入れようとした途端、おぇっと吐いてそのまま気分が悪くなって何も食べることができなくなり、部屋の隅で力無く項垂れる姿を見て以来、無理強いするものではないな、と諦めたのだ。
 「ま、良かったよね、スィールの気分が悪くなって。本当なら山を越えて一気に隣の市まで行ってたもの。おかげで魔物を狩れそうだ」
 七部丈のグレーのシャツにホットパンツ姿で湯呑二つにお茶を注ぎながら、ヨルは淡々と言った。
 今朝、バスに乗っての移動中に、スィールが車酔いして気分が悪くなったので、仕方なくここ、葉町で途中下車し、スィールの回復を図ったのである。
 (普段は酔い止めの薬を携帯しているのだが、ちょうどきらしてしまっていたのだ)
 バス停のベンチに青い顔をして横たわる聖服を着た神父と、帯刀した少女の姿を偶々見つけた町役場の人間が、なんだか頼りなさそうだけど魔物退治をお願いできないかな……と恐る恐る声をかけたところ、情の薄そうな外見に似合わず真っ直ぐな性格のヨルが、神父に口を挟ませず、即承諾し、そして今に至る。
 「……面倒ごとには、巻き込まれたく、なかったのです、が……」
 眠そうな目をこすりながら、神父は陰気な声で呟いた。ちなみに言葉が切れ切れになっているのは、コホコホと咳が交じっているからだ。
 重い聖衣を脱ぎ、カッターシャツの上から、押入れの中にあった来客用の半纏を羽織っている今、田舎町で路上ライブを偶にやってる売れないバンドの病気がちなベーシストあたりにしか見えない。
 「いつも思うんだけど、スィールがどうして聖職者をやってるのか私は不思議でならない」
 「……そんなの、」とスィールが隈の濃い目を少し見開いた。
 「……神聖魔法の、才能が、あったからですよ……」
 「神父に憧れる子供に聞かせたくない回答ね」
 神父の返答を見越していたヨルはただ淡々とつっこむと、箸を手にとり、「いただきます」と頭を下げた。
 スィールも神への祈りをむにゃむにゃと捧げ、いただきますにかえて「エイメン」と頭を下げる。
 大根おろしにポン酢(詰め替えられず、店で売られている瓶そのまま卓袱台に置いてあった)をかけると、ヨルは秋刀魚と一緒に咀嚼した。
 脂がのっていて、とっても美味しい。
 「やっぱり秋といえば秋刀魚、秋刀魚といえば秋。これ新米かな、ふっくら甘くて美味しい。で、スィール、美術館はどうだった?あ、大根おろしだけでも食べる?いらない?そう。この辛味が何ともいいわ」
 料理の感想に挟まれていたヨルの問いに、白菜の浅漬けをつついていた神父は、青白い顔を少し傾けて難しそうな表情をした。
 「……一ヶ月で、十万人の、観光客は、絶対、見込めないだろうと、思いました……」
 「え、そういうものなの?スィール、楽しそうに鑑賞してなかった?」
 「……まぁ、面白かった、ですよ。でも、海外に、行かなければ、見ることの、できない、作品ではなく、国内の、美術館で、本物を見ることが、できる、作品ですよ。こんな、山奥まで、わざわざ来なくても、本物が展示されている、美術館まで、行けば済むこと」
 「うん、まぁ、それはなんとなくわかる」
 「……短時間に、色々、鑑賞することができる。ハマチ美術館の、メリットは、それです。所詮、レプリカであって、見て、感動を得ることは、ありません……。鑑賞用、というよりも、美術学習用には、ちょうどいいと言いますか……例えば、子供の、夏休みの、自由研究には、向いているかも、しれませんね……」
 「なーるほど、確かにそうだね」
 「……しかし、場所が、あまりにも、悪すぎる……!ネタに行こうかと、考えた大学生が、行き帰りにかかる、時間とコストを計算して、やっぱりやめよーぜーと、考え直す様が、目に浮かびます……。周辺の、宿泊施設は、ここくらいですし。首都圏発の、日帰りバスツアーも、美術館だけまわって、帰るだけの、計算ですね。オプション観光は、無し。これでは、主婦層は、納得しませんよ。そもそもですね、こんな、町とは名ばかりの交通の便が悪い山奥の村に大人数呼ぶならそれ相応の整備を先にしっ、ゴホッ!ゴホゴホーッ!」
 激しく咳き込むスィール。
 向かいに座っていたヨルは、神父の隣に座り直すと慣れた仕草で背中を撫でる。
 ちなみにスィールは年がら年中風邪をひているわけではない。
 意外なことに持病も無い。
 ただ酷い虚弱体質な上に喉が弱いのだ。
 「一気に喋らなくていいから。葉町の観光事業の先行きの不安についてはよくわかった。で、次は魔物ね。美術館では本当に何も感じなかった?」
 「……何も」と、咳の発作が止まってから、神父はガラガラの声で答えた。
 ヨルから湯呑を受取ると、温い玄米茶を喉に流し込み、ほうっと息をつく。
 「……気配を隠されたら、わかりません……」
 ようやっと落ち着いた様子の神父に、ヨルは背中を撫でるのをやめると、顔を覗き込んだ。
 「じゃぁ魔物の正体に見当は?バンパイアとかチュパカブラとか」
 「……さぁ……今の、時点では、はっきりとは、なんとも……まぁ、チュパカブラは、無いと思いますが…」
 「スィールでもわかんないか。じゃぁ私もわかんない。さっさとご飯食べて見回りに行こう」
 言うと、ヨルは自分の席に戻り、黙々と箸を皿から口へと運び始めた。
 スィールもゆっくりとした動作でそれに倣う。
 
 つけっ放しのテレビからは、ニュースキャスターの事務的な声が聞こえてくる。
 『今日の夕方四時半ごろ、O府O市K区の路上にゴブリンが突如現れ、通行人三人が死亡、八人が重軽傷を負いました。駆けつけた防衛隊がゴブリン六体を捕獲しましたが、五体が逃走し、依然見つかっておりません。魔王の部下が現れてゴブリンを召喚したという目撃情報が多数寄せられており、防衛隊はレベルCの厳戒令を発令し、近隣住民に外出を控えるよう注意を呼びかけています……』
 「ゴブリンなんか五体も逃がして何やってるのかな防衛隊は。最近質が落ちてるよね、絶対。魔王の部下もさ、ここが日本ってことを考えて座敷わらしとか垢なめとか一つ目小僧とかご当地魔物を召喚したらいいのに。ゴブリンだってゴブリン。可愛くない」
 「……そうです、魔王には、洗練さの欠片もない……」
 スィールは病的な隈に縁取られた目に珍しく強い光を浮かべて、ヨルに賛同した。
 「……やはり、私が、勇者を見つけ出し、共に、全人類の敵たる魔王を倒し、的確かつ迅速な手段でもって世界を掌握させてその側近として権力をふるって民草に平穏な生活を約束させるのがこの世界にとって最善の方法だとぉっ、ゴホッ、ゴホゴホゴホッ!オゲホーッ!!」
 「ちょっ、興奮しすぎ!耳にたこができるくらい聞いたからわかってるってばもう」
 「ゴフッ、お、おぅえー」
 「わーっ吐くな!飲み込め!」

 実はスィールは、世界征服する人物の第一の側近として働きたいというとんでもない野望を抱いていた。
 初めて聞いたとき、何かの冗談だろうとヨルは思ったのだが、神父はどうやら本気らしい。
 聖職者の風上にも置けないバカ男のお守りをどうして私はしているのだろうと、ヨルは神父の背中を再び擦ってやりながら遠い目で笑う。

 咳のし過ぎで疲労したスィールに、「はーいドーピングのお時間ですよー」と言いながら緑汁と黒酢カプセルとオルナミンCとリボビダンDとヂオピダドリンクとマスジゲンを飲ませ、せんべい布団の上に誘導して寝かせてやると、神父は「……すみません、いつもいつも……」と殊勝な言葉をヨルに言った。
 「もう慣れたし、いいよ」
 「……私が野望を、達成した、暁には、あなたを私の、親衛隊隊長として、とりたててあげます……」
 「いらない。寝ろ」
 部屋の隅に寄せていた卓袱台の上に残っていた夕食を、スィールの分まで全て消化すると、「見回り行ってくる」とだけ言って、食器類をがちゃがちゃ鳴らしながら部屋を出た。
 「……私も……」とか細い声がふすまの向こうから聞こえた気がしたが、ヨルは無視した。



*****



 犠牲者は全て、一人で夜道を歩いていたところを襲われている。
 魔物に怯えた町民は、もはや昼間でさえ一人で出歩かず、数人で行動するようにしていた。
 陽が暮れると、道からは完全に人通りが絶えた。
 みな、玄関に鍵をかけて家の中で息を潜めているのだ。
 そのせいか、ここ数日は被害者が出ていない。
 
 魔物はきっと血に飢えているだろう。
 しかも私は美味しそうだし(美人は美味いと相場が決まっているのだ)、絶対に来る。
 経験とカンから、ヨルは確信していた。
 
 田舎の夜道は非常に暗い。
 住宅地から外れると、街灯も無く、月明かり以外頼れるものは無い。
 幸い今夜の月は明るく地面にヨルの影が落ちるほどだし、さらにヨルは夜目が利いた。
 全神経を尖らせ周囲に気を配りながら、ヨルは町役場に向かって、危なげなく田んぼのあぜ道を歩いた。

 秋も半ばに差し掛かり、夜気はひんやりとしている。
 数日前までいた都会の夜は、シャツ一枚で外を歩いても十分なくらいの気温だったが、山の中の葉町はジャケットを羽織ってちょうどいいくらいだ。
 秋の虫の声が耳に優しい。
 近くで、遠くで、鈴のように鳴るそれらは、夜の闇を穏やかなものにしていた。
 月の光はそれを浴びるものを蒼く染めたが、三六〇度の方向に広がる田んぼは、銀の粉をふりかけられても金色のまま、静かに反射している。
 それは夕方見た、燦々と煌くような黄金色ではなく、闇の中、ぼうっと浮かび上がる、控えめな、慎ましい輝きだった。
 ヨルは闇を畏れないが、月と稲穂の光は彼女に落ち着きと、更なる勇気を与えた。

 スィールと初めて出会ったのも、こんな秋の明るい月夜だった、とヨルはふと思い出した。
 月光の下、五十人もの人間を食い殺した凶悪な魔物の屍の傍に、淡く銀色に輝きながら静かに佇んでいた神父の姿が、まぶたの裏に今も焼きついている……あれが実はあんな虚弱男だと、誰が思うだろう。ヨルはふっと小さく笑った。

 と、虫の声がぱたりと止んだ。

 町役場のある集落と、民宿のある集落と、ちょうど中間の地点にさしかかったところだった。濃い闇へと続くあぜ道の先に、人影が倒れているのが見えた。
 人間か魔物かは判別がつかない。
 愛剣を抜刀すると、ヨルは人影に慎重に歩み寄った。
 緋色の刀身が月光に染まり、蒼く煌めく。
 
 うつ伏せに倒れているのは、髪の長い女のようだった。
 月の銀色のシャワーの中、白色のワンピースが暗い海の底の貝のように淡く浮かび上がって見えた。
 裸足の足は土に汚れ、力なく地面に投げ出されている。
 ヨルはわざと大きな足音を立てて近づいたが、女はぴくりとも反応しない。
 魔物の犠牲者だろうか。
 大丈夫ですか、とヨルが声をかけようとしたとき、か細い声が聞こえた。
 「……違うの」
 「何が?」
 ヨルは素で訊き返した。
 「……違うのよ」
 「だから何が?」
 女はしばらく黙った後、むき出しの腕で上半身を支えるようにして身を起こし、緩慢な動作でこちらを向いた。
 緩やかなウェーブのかかった黒髪が顔にかかって、その容貌を伺うことは出来ない。
 「あなた……、芸術というものをお分かり?」
 ヨルが剣を突きつけているのが見えているだろうに、女は動揺せず、質問で返してきた。
 「全く分かりません」
 警戒を解かないまま、ヨルは素直に答えた。
 「そう、じゃぁ話にならわないわ……違うのに」
 女はノースリーブの肩を震わせた。
 寒いからではない。
 声の調子からして、押し殺すように笑っているのだとヨルは判断した。剣を握る手に力をこめる。
 「だから何が違うんですか?」
 「私よ、私ぃぃ、」と紅い口を細い三日月のようにして女は笑う。
 「わ、た、し、が、ち、が、う、の、よォォーーー!」
 突然叫ぶと、女はヨルに躍りかかった。素早い動きだったが、予測していたヨルは難なく避けると、女の首元に手刀を叩き込んだ。しかし、
 「……ッ!!」
 手に固い感触と衝撃、痛みを感じる。
 肌ではなく、石に手を叩き付けたようだ。こんな首の固い女、いるわけがない。いたら人間じゃない。つまり魔物である。
 「アッハハハハハハ!」
 甲高く高笑いすると、女は金色の田んぼの中にぴょーんと飛び降り、そのまま異常なスピードで走り出した。
 ヨルも後を追おうと田に飛び込んだが、稲が邪魔でうまく走れない。
 仕方なくヨルは跳躍して元のあぜ道に戻り、剣を鞘に戻すと、道添いに女を追うことにした。

 空には銀の盆。
 足元には金の海。
 静かな秋の田舎町で、異様な追いかけっこが始まった。
 
 あぜ道をヨルは飛ぶように疾走した。
 しかし、女もやたら動きが早い。
 黄金の海の中を、高笑いしながら異常なスピードで韋駄天走りする。
 たわわに実った稲の穂を散らしながらあっちの田、こっちの田と蛇行しながら走るので、なかなか差が縮まらない。
 引き離されるかもしれないとヨルが案じ始めたとき、女が田から道へと駆け上がるのが遠目に見えた。
 女はそのままとある建物の門の柵を通り抜けて、中へと消えて行く。
 波打つ屋根の建物の名前はハマチ美術館。
 ヨルは一度の跳躍で三メートルある鉄門の上に上り、次の瞬間には体重を感じさせない軽やかな動作で敷地に降り立った。



*****



 昼間入った勝手口の前まで来たヨルは、愛刀を一閃二閃させ、鉄製の扉を斬り崩した。
 スィールがいれば、「……面倒です」と正面玄関を魔法で堂々と破壊して中に入ったに違いないのだから、これくらいの損壊、可愛いものだ。
 町長もきっと許してくれるだろう。
 勝手に良しとし、ふんっと小さく鼻を鳴らすと、ヨルは美術館の中に足を踏み入れた。
 
 月明かりの届かない館内は、完全な暗闇だった。
 抜いたままの剣に「シグレ」と呼びかけると、赤い刀身がぼうっと光輝き、辺りを照らした。
 ヨルは魔法を使えないが、愛剣紅時雨(べにしぐれ。ヨルは短くシグレと呼んでいる)自体が魔法を帯びた剣なので、これくらいのことはできるのだ。

 昨年末、旅先で、某社から社内を荒らす魔物退治を依頼されたことがあった。
 仕事を終えた後、会社の忘年会に呼ばれたのだが、宴席で何か芸を披露しろと社長から言われたので、紅時雨を光らせ、「くらえっライトセイバー」と叫んで簡単な剣舞を披露したところ、それだけでやんやと拍手喝采、大層ウケた。
 社長からはおひねりを頂いたし、スィールからは、「……魔剣を、芸の小道具に使うとは、貴方も、なかなか、やりますね……!」と褒め言葉(?)までもらった。
 芸は身をたすく。剣士を廃業しても、芸人で食っていけるかもしれない。
 「さて、ダークサイドに堕ちた魔物はどこかな」
 紅時雨を前方にかざし、美術館の中を歩き回ったところ、程なくして、ヨルは床に落ちている泥を発見した。
 まだ乾ききっていない泥は、ヘンゼルとグレーテルの落とした白い石のように、点々とヨルに進むべき道を示している。
 追って行くと、泥が壁にぶちあたり、その壁の裏側からまた泥の足跡が続いていることがあった。
 女の姿をした魔物は、どうやら壁を通り抜ける事ができるようだ。
 少なくともゴブリンよりは格が上だろう。
 めんどくさそーな相手だな、とヨルが嫌そうに呟く。
 すると、この声に反応したかのように、前方で、カタリ、と音がした。
 ヨルは『第七展示室 近代の彫刻』と看板のある部屋の入り口に立っていた。泥は中に続いている。迷わず足を踏み入れた。

 紅時雨に赤く照らされた展示室の中は人影だらけだった。
 軽く身構えたヨルだったが、正体が彫刻と知って息をつく。
 一歩一歩足を踏み出すたびに、紅時雨の赤い光を浴びた彫刻たちの夥しい数の影が怪しく蠢いた。
 泥は髪の長い女の彫刻の前まで続いていた。
 豊かな髪を波打たせ、穏やかな表情で岩に寝そべる女はしかし全裸だ。

 この女の彫刻がさっきの魔物?
 ワンピースはどこかで脱いだのか?
 え、ていうか魔物とはいえ彫刻って服脱げるのか?
 
 じろじろと観察したがよくわからないので、とりあえず斬ってみようかな(どうせフェイクなのでそこまで怒られないだろう)とヨルは紅時雨を構え直した。
 その剣の柄を掴む手に、ぽたり、と何かが落ちてきた。

 泥。

 考える前にヨルは左に身を投げ、上から降ってきた殺気の塊をかわした。
 「ちぃがァウゥのォよォォーーー!」
 天井に張り付いていた先程のワンピース姿の女の魔物は、四つん這いになりながら床にガチャリと着地すると、必殺の一撃をかわしたヨルに、声を裏返らせながら叫んだ。
 「チガうチガウチがウちがうチガウぅ!」
 冷たそうな肌、つり上がった金色の目、振り乱した長い黒髪。
 華やかな美貌ではあるが、怒気と狂気に彩られている今、それは見る者に感銘よりも先に生理的嫌悪感を催させる類のものであった。
 しかしヨルはそんな魔物には慣れっこだった。
 体勢を立て直したところに魔物から繰り出された速く硬い拳を軽やかに避けると、相手の伸びきった右腕の付け根目掛けて愛刀を上段から振り下ろす。
 硬く高い音が響き、切断された魔物の腕が宙を舞う。
 魔物が苦悶の叫びを上げた。
 「あぁぁアアア!芸・術・的ッな私の腕がァー!」
 ゴトリと床に落ちた自分の腕に駆け寄り掴むと、魔物はより一層の憎悪を身にたぎらせ、銀髪の女剣士を睨みつけた。
 「芸術なのよ芸術!これ、ゲイジュツなのっ、なのにあんたワカッテナイィィィィ!」
 「私、さっき言った。全くわかりませんって」
 ヨルは目を細め、魔物の視線を受け流すようにゆらりと構える。
 次の一撃で決める。
 そう思考し、行動に移そうとしたときだった。

 突如、眩しい光が展示室を照らした。

 紅時雨の血の色とは違った、白銀の月の色。
 月光……というよりもスポットライトのような強烈な光に、魔物は何事かと光源である展示室の入り口を振り向き、ヨルは痛みを訴える目を宥めながら、薄くまぶたを開けた。
 はたして光の中心には、聖衣を纏い、右手で聖杖をつき、ものすごく元気そうなスィール神父の姿があった。
 彼の左手には黒マムシスッポンドリンク。
 えいっと飲み干すと、さらに光が強さを増した。
 「ヨールー!私も来ちゃいましたー!」
 神父の光り輝く満面の笑みに、ひきつった顔のヨルは額に手をやり「うわっ……」と呻く。
 体力気力増強の神聖魔法とドーピングによって、スィール神父は元気に、健康に、ハイテンションになっていた。
 かさかさだった肌はすべすべに、傷んで枝毛だらけだった砂色の髪は金味を帯びて世界が嫉妬するつやつやの髪に、青白くこけた頬はふっくらと薔薇色に、目の周りを縁取っていた隈はとれ、死んだ魚のようだった目は生気と自信を湛え、口から出るのは咳ではなく溌剌とした声。
 聖なるオーラを光として全身から放ち、胸を反らしてぴんと姿勢良く立っているその姿を見て、ほんの少し前まで猫背で陰気な男だったと誰が気付くだろうか。
 下手したら五十路にさしかかった病人にも見えていた神父は、今では年相応、いや年齢よりも若く、魅力的な外見の持ち主になっていた。
 もはや別人である。
 
 「私はわかっていました!」と、スィールは魔物を聖杖で差して高らかに言った。
 「あなたは模造品ではなく、正真正銘の本っ物っですっ!」
 神父の突然の登場に茫然としていた魔物は、この断言を聞くや否や、「ッキャー!」と嬉しげな歓声をあげた。
 「わかってくれる?わかってくれたのね?そうなのよあんた見る目があるわねー!私は他とは違うの本物なのよ!どこでわかった?」
 「どこってそんなの一目瞭然見たらわかります!あそこにあった彫刻ですよね、貴女」
 スィールが力漲る人差し指を向けた先は、魔物の策略でヨルが勘違いした彫刻よりも奥のほうで、何も乗っていない台座がぽつんとあった。
 「貴女は大正の彫刻家、秋俵正志(あきだわらまさし)の晩年の作品『かなえ』ですね。当時七十八歳だった秋俵は、隣の家に住む十八歳の少女かなえに恋していたとか!年の差六十歳!五回りも違うのですよ!彼の想いが叶うことはついに無かったわけですが、それだけに彼の作品に込められた妄執はたいしたものです。漂うエロティシズム、見る者に訴える切ないような恋心!形だけをどれだけ精密に再現しても、一流の芸術家によって込められた想いまでは模造できないのです!見ているだけで切なくなって胸がキュンキュンします!」
 咳に邪魔されること無く、張りのある明朗な声で神父は喋りまくった。
 それがどれだけ珍しいことか知らない女の魔物は、ただ嬉しそうにうんうんと頷く。
 「そうなのよー!正志は私を愛していたのよぉ!あなた神父のくせによく知ってるじゃなーい」
 「神学校で美術は必須科目でしたし、興味がある分野ですから」
 『なんでもかんでも鑑定団』に出演できそうな目利きっぷりは、学校の授業で身に付くものではあるまいとヨルは思ったが、面倒なので口には出さなかった。
 代わりに一番の疑問点を魔物に問いかけた。
 「あのさ、どうして本物の彫刻がここにあるの?」
 「よくぞ聞いてくれたわ」と魔物が目をむいて歯軋りした。
 「芸術のかけらもわかっちゃいない製造業者の従業員の若造が、出来上がった模造品と私を取り間違えて、よく確認しないまま本物の私をここに送ったのよー。模造品の足の裏には業者の製造番号まであるのにろくに見もしないで職務怠慢ってやつ?町長とかもこの私を見てよくできた模造品だぁとか言ってんのよー!よくもそんなんで美術館を造ろうなんて考えたわね!ほんと全然わかってないのよここの町民は!もう腹が立って腹が立って……」
 「魔物化してしまったわけですね。そんなことだとは思っていましたが、やれやれご愁傷様です」
 眉をひそめる神父に、賛同を得た魔物は力を得た。
 元彫刻とは思えないほど喋る喋る。
 放課後にドーナツ屋でだべっている女子学生並である。
 「でっしょー!魔物になって動けるようになったもんだから、実家まで走って帰ろうかと思ったんだけど距離あるみたいでどっちへ進めばいいかもわかんないし、そうこうしているうちに生きてる証っていうのかしら?今度はお腹がすくのよねー」
 「それで人間を襲ったわけですか」
 「アハハハハ!芸術をわからない奴らに生きてる資格は無いわ!アッハハハ!アーッハハハハハ!」
 「それでは私の連れにも生きる資格は無いと?」
 「アーヒャヒャヒャヒャッ!え、なに、聞こえなかった」
 神父は愁眉を開いた。
 「ヨルは芸術について無知ですが、この建物に海を見るような可愛いセンスはあるのですよ……裁きを受けなさい」
 「スィールやめっ……!」
 ヨルが止めようとしたが時遅く、スィールは呪文の詠唱も無しに、「えいっ!」と気合だけで神聖魔法を魔物に向かって解き放っていた。
 この辺りが彼の言う才能とやらなのだろう。
 


*****



 「あのさ、スィールが魔法を使わなくても、今の魔物くらい私がさくっと斬っておしまいだったんだけど。無駄撃ちって言うの、そういうのは」
 「いいじゃないですか、私には今、力が有り余っていますから」
 「あと三十分ももたないくせに……それよりこれ、どうする?」
 ヨルは足元に散らばる彫刻のかけらを蹴った。カツッと乾いた音がした。
 「魔物がやったことにしましょう。剣でできる破壊の跡ではありませんし、病人みたいな私の仕業とも思わないでしょう。町長はすぐに信用しますよ」
 「聖職者の台詞じゃない」
 スィールの魔法の破壊力は凄まじい。
 先程放ったのは最下位の神聖攻撃魔法だったわけだが、それでも展示品数点を台座ごと巻き添えにして粉々にし、壁に穴まで開けてしまった。
 勿論魔物の女も跡形なく粉砕され、キラキラと光の中に還って行った。
 
 「さーて、元気なうちに宿まで帰りましょうか」
 光り輝く神父は、その全身でもって闇を照らしながら出口へと歩き出した。
 ヨルも刀を鞘に納めるとそれに並ぶ。
 「あの彫刻が魔物だって、昼のうちから気付いていたんでしょ」
 拗ねたようなヨルに、スィールは困ったような笑みを浮かべた。
 目に温かな光が宿っているのを見て、聖職者のそれだとヨルは思い、なんとなく落ち着かなくなり視線を逸らした。
 「模造品の中のたった一つだけの本物だったので、あれだったりして……と見当はつけていましたが、それだけで魔物と判断するには情報不足だったので」
 「それでも、気になってたんでしょ。一言、教えてくれたら良かったのに」
 「怒らせてしまいましたか。すみません」
 光り輝く手が伸びてきて、ヨルの頭をあやすように撫でた。
 神父の帯びた神聖な力と、神父自身の温かさが伝わってくる。
 それはとても心地よかったが、ヨルは下唇を噛むと、スィールの手を払いのけて睨みつけた。
 姿勢の良くなった神父の顔が、普段よりもさらに見上げる位置にあったので、なんだか余計に腹立たしくなる。
 「別に怒ってなんかない」
 「そうですか、すみません」
 「怒ってないって言ってるのに、どうして謝るの」
 知らず眉間に皺の寄っているヨルの言葉に、スィールは静かに微笑んだ。
 「昼の見回りの時点で、魔物は完全に気配を絶っていました。確証の無いことで、ヨルを煩わせたくなかったものですから」
 「別に煩わしいとか思わない。今度からは、細かいことでも何か気付いたら言って」
 「わかりました。ですがヨル……」
 物分りの良い顔で了解したスィールだったが、その顔がふと曇った。
 「……うっ…!」
 「スィール?」
 突然の呻きに、ヨルが反らしていた顔を慌てて神父に向けた。
 長身がよろめいたかと思うと、全身から射していた光が徐々に薄れていく。体力気力増強の神聖魔法とドーピングの効果が切れたのだ。
 「どうしたの、いつもより効果がきれるの早くない?」
 「……あの華々しい登場までに、千里眼と空間移動魔法を使ったのですよ。特に、空間移動魔法はかなりの力を消耗する高等魔法ですからね。どれくらいかと言えば、ドラクエ(ドラゴンクエスターというゲームの略称)のギガデインヌ(すごい呪文)や、メガテン(女神転成というゲームの略称)のメギドラオンヌ(すごい魔法)みたいなもので……」
 「勿体無くて、ボス戦でしか使わないような魔法レベルね」
 「千里眼の魔法で民宿の布団の上から貴女をずっと見守っていた私は、貴女の危機をすぐに察知し、 ボス戦レベルの魔法力を消費して空間を飛んだのです!」
 「全然危機じゃなかったのに」
 ストーカー的な発言部分の怪しさには気付かず、別のポイントにヨルは触れた。
 「ヨルの強さは知っています。ですが、いつも無茶をする、ので、心配でッゴホッ!ゴホゴホー!」
 「いつも無茶するのはスィールの方」
 「いいですか、私も気付いたことはヨルに話すようにします。ですから、ゴホッ!ヨルも一人で魔物退治に行ってはなりまッ、ゴホゴホ!!」

 輝きを失い、スィールは、ついにいつもの老けた病人のようになった。
 ジキル博士も真っ青の変貌ぶりだが、慣れているヨルはその咳き込む背中を擦ってやる。
 「……私はですねぇ、ゴホッ、秋俵正志の、あの彫刻を見て、ほんと、胸が、痛かったのですよ……ゴホッ!」
 「喋ると咳が出るから大人しくしなって」
 いつもどおり淡々とした、人によれば突き放しているようにも聞こえるヨルの口調だが、大きく円を描くように背中をさする彼女の手は優しい。
 顔を覗き込んでくるヨルに、スィールは何故か自嘲じみた笑みを向けた。
 「……痛くて、私の、神聖魔法の、力で、なんとしても、昇華、させてあげたかった……!ゴホーッ!ゴホゴホ!ゴッ、うぅっ、うげろーっ!」
 「だから喋るなってば!」
 怒りながらヨルは、光り輝く強い神父の姿も好きだが、この放って置いたら死んでしまうような弱い神父も嫌いじゃない、と思っていた。
 いわゆるへたれ男に対する母性本能だな、と自分に言い聞かせる。
 一方、神父は神父で、世界征服の覇者の側近たる強い自分もいいが、十歳以上も年下の連れに甲斐甲斐しく介抱してもらう自分もいいな、と思っていた。
 彼が胸を痛めたのは、魔物と化してしまった彫刻の無念を思ったからではない。
 魔物を生み出した彫刻家の想いに、自分の想いを重ねたからだ。


 それぞれの思いを胸に秘め、二人は民宿に帰った。
 展示室の惨状を目の当たりにした町長が泡を吹いて失神し、スィールが破壊した模造品十数点を造るのに予想を超える金額がかかっていたことを二人が知り、責任を全て魔物に押し付け、報酬を貰うだけ貰って、早々に葉町を立ち去ったのは翌日のことである。





―――了











+++あとがき+++
タイトルのfatherは「神父」の意味の方ですが、作中間違われていた「父親」ともかけています。説明しないとわかり辛いですね。



HPに掲載するにあたってのあとがき

平成18年の夏に書いた作品です。
2年も経ったし、HPも久々に更新してないからええよねと、誤字やそこそこを修正し、ほんの少し付け加え、このたびのアップに至った次第です。

大学時代の文芸部の友人たちと、「久々に小説書いて本作ろうぜ」という話になり、スケジュールの都合をつけて、本が出来上がったのが平成19年1月でした。(内容は夏(笑))
本のテーマは「美術館・博物館」。
美術館を舞台のピュアラブものに挑戦だ!!とか気合を入れてパソコンの前に座ったはずだったのですが、何故かファンタジーになってしまいました。

とにかく簡潔で読みやすい話にしよう!!が私の第2のコンセプトだったので、世界観の説明は盛り込まず、派手なアクションシーンも無くし、淡々と二人の距離感のようなものを描いてみたのですが……今読むと甘酸っぱいわぁ……。
読み返して、転げまわりたくなりました。
何だこれ、恥ずかしいっ、きゃっ!

登場の二人は、今も私のパソコンに眠る勇者モノの小説のメインキャラです。
1999年夏、ハーレー・スイセイという魔王が地球侵略を始めたので、日本出身の勇者(ツッコミ属性)が立ち向かって世界を守ってやらないこともないと、うじうじ戦うという話なのですが、スィールは勇者を操って世界を支配しようと企み、ヨルはスィールの健康ために『養命種』と呼ばれる伝説の健康薬を、勇者と旅しながら捜し求めてます(スィールには内緒)。

とりあえず、ヨルはスィールのことをなんだか放っとけないなぁもう、とか言いながら実は好きで、スィールはヨルを溺愛してます(うひゃー)

果たして二人の想いが通じ合う日はくるのか!?
次回、「スィールに年上の女の影!?」をお楽しみに☆(ありません)




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