DOGFIGHT! 5


 

 部屋から引きずり出されたルークだったが、エレベーターホールのところまで来ると、笛吹の手を乱暴に振り払い、「なんたることだ」と呻いた。
 ルークは人間不信に陥っていた。
 信じていた友人に裏切られたと思い込んだからである。

 「もう誰も信じない。友情なんてニセモノだ。信じるのは自分のみ……!」

 人を睨んだだけで殺せそうな顔つきでエレベーターホールをうろうろする銀髪の男に、趣味は人をぼこることと言って憚らない凶悪なカストル系ハーフたちでさえ近づこうとしない。通りがかった者達は、皆一様にその殺気に当てられ、目を合わさないように顔を背けて足早に通り過ぎる。
 しかし、ルークの思い込みの激しさに、笛吹はいい加減慣れていた。

 「お前、もうちょっと人の話聞いて理解しろよ」
 
 凶悪な顔の男に臆することなく、無表情な顔の男はため息混じりに声をかけた。対してルークはそっぽを向いたまま、ぎぃぃっと怒った。

 「黙るがいいユダ!チョンマゲてハラキリして私の機嫌をとれ!」
 「訳わからないんだけど」
 「理解できないのか?ふんっ、大馬鹿者の愚か者の愚の骨頂め!」
 「……お前に馬鹿呼ばわりされるほど腹立つことないよな」

 笛吹はかなりイラッとしたが、どうにか心を静めると、優しく諭すように切り出した。

 「いいか、ルーク。俺はお前に『支援する』と約束したし、その約束を破るつもりはない。要はお前が犬に襲われなければいいんだろう?」
 「…そのとおりだ」
 「ブレイズはお前があの犬を食うかもしれないと思って、お前に犬を近づけないから大丈夫だ」

 ルークが不満げに、口をぎゅっと真一文字に引き締めた。

 「嫌な誤解だ。あんなちっぽけな犬、私は食わぬ」
 「ああ、わかってる。お前はそんなことしない。誇り高いカストルの戦士だから、どうせ狙うならビッグでデンジャラスなのを狙うよな」

 サバイバル実習のとき、ルークがヘビや鳥やネズミや見たことのない野生動物やらを捕まえて、丸焼きにして食べていたのを思い出しながらも(しかもヘビは捌いただけで生で食べてた)、笛吹は生暖かい表情で頷いた。本当は、この男ならやりかねないと思っているが、おくびにも出さない。
 笛吹の反応に、ルークは少し機嫌を直したようだ。
 眉間のしわを若干薄くすると、笛吹をちらりと見た。

 「それに私は犬が好きなのだぞ」
 「そうなのか」と少し目を丸くする笛吹。初めて聞く話だった。
 「昔は犬と共に狩りをしたものだ。私が単独で狩った方が効率はいいのだが、連携プレイならではの楽しさというものがある」
 「……へぇ」

 まごう方なき狩猟民族が目の前にいる!と笛吹は今更ながら実感した。
 狩りといっても、金持ちの道楽などではなく、食料調達のために獰猛な生物を相手にする命を賭した狩猟(しかも素手)なのだろう。山菜を採るくらいしかしたことのない笛吹にとっては、ワイルド過ぎて未知の世界だ。

 「だから犬に対して情がある。故に私は犬を食さない」
 「そうか」

 犬好きなのに、犬に尻を噛まれると予言されるは、犬を食べるケダモノ呼ばわりされるは、ルークにしてみれば堪ったものではなかったのだろう。基本的に善人で真面目な人柄の笛吹は、今回の事態を面白がって悪かったなぁと素直に反省した。
 しかし、怪我した犬をほっぽり出すわけにはいかないし、その点はルークに了承させなければならない。

 「犬、好きなんだろう?なら、あの犬を飼ってもいいな?怪我してて可哀想だ」
 「しかし今回は予言が……」

 再び渋面を作る副隊長に、笛吹が少しだけ困ったような笑みを浮かべた。

 「予言がなんだ。誇り高いカストルの戦士なら、暗い未来など我が刃で切り開いてみせるわ!くらい言うんじゃないのか?」
 「た、確かにそうだ……!!」

 ルークがカッと目を開いた。

 「私は目が曇っていたようだ……私はカストルの戦士、明るい未来を自分の手で掴み取ってみせる!」
 「その意気だルーク」
 「……先刻は貶してすまなかった!」
 「ああ、もういいよ」

 ルークが遂に謝った。
 絶妙な笛吹の誘導に、事態の成り行きを恐々と陰から見守っていた教官たちが「おぉー」と歓声を漏らす。
 別に彼らは暇人なわけではない。
 寮内にはそこかしこに監視カメラが設置されており、血気盛んなエイリアンバスターたちが喧嘩を始めたのをモニターで確認した場合、すぐさま現場に急行し、殺し合いに発展する前に止めに入る必要があるのだ。
 しかしいかに百戦錬磨で腕に自身のある教官たちといえども、キレたルーク・カースレインを止めるのは、能力的に至難の業……というより無理である。
 だが、救われたことに、ルークの属するスペシャル・スカッドの隊長は、規則があればとりあえずそれに従おうとする優等生タイプの笛吹忍だった。
 同じ隊の仲間が寮内で揉め事を起こしたときは、隊長が連帯責任を負わされるというルールがABにはあるため、反省部屋送りが嫌な笛吹は、自分に火の粉が降りかからないように、ルークの(たまにブレイズの)ストッパー役を進んで買って出ることが多かった。大抵、ルーク対他の隊の連中という図式なのだが、今回はストッパーの筈の笛吹相手に喧嘩を始めそうな雰囲気だったため、「え、じゃぁ誰が止めるの?俺たち?」「こんな時に限ってアヴィさんいないんだから」「ブレイズ少年は?」「いや、あの鬼っ子は面白がって余計にかき回すぞ」「ディケンズを呼べよ」「万が一巻き添え食って死んだら笛吹が暴走する可能性大だ」「じゃぁやっぱり俺たち?マジかよ勘弁してくれよ」と教官たちは心から心配していたのだ。
 ちなみにスペシャル・スカッド担当の教官アヴィゲイルは、有給休暇を使って家族旅行中のため不在である。

 「あれは本心ではなかったのだ!シノブはユダでも大馬鹿者でも愚か者でも愚の骨頂でもへたれな優男でもない!」
 「あれ、何か増えて……まぁいい。ルーク、納得したんだな?」
 「シタッ!」

 ルークは元気に親指をビシッと立てた。
 機嫌は完全に回復した。
 ABにも教官にも、怪我人や死人を出さずに済み、教官たちは喜んで笛吹に拍手を送った。

 「さすが笛吹!」
 「笛吹ならではだ!ありがとー!」
 「最高ですよ笛吹さん!」
 「いよっ、笛吹屋〜!」
 「いなせだねぇ!」

 自分に起こった拍手と勘違いしたルークが、それにぶんぶん手を振り応えた。
 笛吹がそれを温かく見守る。
 感動のフィナーレである。

 「私は誇り高いカストルの戦士だ!イェス!」
 「うんうん」
 「さらにイケメン!」
 「はいはい」
 「ウィンク一つで女性を虜!」
 「わかったわかった」
 「さぁシノブ、あの限りなく胡散臭く爽やかで変態成分が混入した上司の元へ出発だ!」
 「うんう……」
 「ほぉ、限りなく胡散臭く爽やかで変態成分が混入した上司とは誰のことですか?」

 割って入った声に、笛吹の少し浮かべたままの笑みが、ピキンと音をたてて凍りついた。

 「なんであんたがここに……」

 振り向いた先……壁の向こうから、爽やかな風を吹き散らかしてトリスタンが現れた。
 無論、アルカミルを伴っている。

 「私はABの上司なんですから、ここにいても全然おかしいことなんてありませんよ。部下の視察にきたのです。ところで先ほどの質問の答えは?」
 「無論、貴様のこ…」
 「っだーーーーーーーー!!」

 ルークのど真ん中ストライクの返答を、笛吹は絶叫を発して阻んだ。
 普段ボソボソと話す笛吹が、こんな大声を発するなど非常に珍しい。突然の絶叫に、アルカミルを除いた二人が何事かと目を丸くした。

 「どうしたんだシノブ!?」
 「一体なんです?」

 ルークとトリスタンから問いかけられ、その後のフォローを考えていなかった笛吹は、焦って言葉に詰まって「ええと……」と目をキョロキョロさせる。

 「その、あの、……あそこ、あそこだ!あそこにゴのつく黒いアレがいたんだ!」

 笛吹は、ルークの背後の、エレベーターの脇にある非常階段の開いたドアを指差した。

 「ゴのつく黒いアレ?!いましたか、アルカミル?」
 「私の視界には入りませんでした。レーダーも虫は感知しません。したがって不明です」
 「まったく、黒いアレ如きであのような大声を出すな」

 誰が黒いアレ出たくらいであんな声出すかチクショウていうかお前が調子乗りすぎて地雷踏みそうなところを助けてやったんだろうがと笛吹はキレたかったが堪えた(このとき自室で事の成り行きを観察していたシェダルが、笛吹に拍手を送った)。
 勿論、黒いアレがいたなど嘘っぱちである。場を取り繕うため、口から出任せを言ったのだ。
 しかし、ここは思わずついた嘘を上手く利用しなければ……。笛吹は真剣な表情で、ルークの腕を力強く掴んだ。

 「ただの黒いアレじゃない。ありえないくらい素早い黒いアレだったんだ。スカイフィッシュも真っ青のスピードで階段の方に行ったぞ」
 「なに!?相当なスピードではないか!」

 ルークの目が険しくなった。
 ちなみにスカイフィッシュとは、長さ30センチ〜1メートルの棒のようなものに、3〜4対の波打つようなヒレがついた形状の未確認生物である。空中を時速80〜300キロのスピードで飛び、ビデオのスロー映像でしか確認されたことがなく、肉眼での目撃例はない。一時期お茶の間を賑わせたが、ハエなどの虫の残像だろという説が有力らしい。
 しかし今ここでは、少なくともルークにとっては、スカイフィッシュが本当にいるかどうかではなく、時速300キロで移動する黒いアレの存在の方が重要だった。
 そんな素早い虫がいるなら是非狩ってみたい……!
 私も肉眼で捉える事ができないようなスピードを出すことができるぞ虫けらめ!
 ルークのハートに火が点いた。

 「ルーク、殺(や)ってこい!!」
 「承知!」

 発破をかけるように、笛吹が勢い良く背中を叩くや否や、ルークは勇んで非常階段へあっという間に姿を消す。
 それを見送ると、トリスタンは「黒いアレ……」と珍しく顔を顰めた。
 
 「駆除の依頼をしなくては。アルカミル、戻り次第、虫にも反応するレーダーをつけましょうね」
 「イェス・マスター」
 「……黒いアレ、嫌いなんですか?」

 笛吹の問いに、部長は冷やっとする程爽やかな笑顔を向ける。

 「私、醜いものや汚いもの全て大嫌いなんです」

 さらりと断言したトリスタンを前に、背筋に寒気が走った笛吹は、こいつの前で醜態を晒したり汚い格好でうろうろしないようにしようと思った。トリスタンが、嫌いなものに対して容赦無い性格であると、短い付き合いながらも感じとっていたからである。
 とても運のいいことに、笛吹は突いてもボロどころか、キラキラした点描が背景にこぼれるような美形だった。そのせいで気に入られて、いらないちょっかいをかけられることもしばしばだが、相手が自分に持つ好印象を利用しない手はない。
 何かといらない口を挟みそうな邪魔者もなんとか追い払ったことだし、余計なことを突っ込まれる前にと、笛吹は本題を切り出すことにした。

 「あの、部長。実は、折り入ってお願いがあるんですが……」

 笛吹は犬を拾った経緯を話し、犬の怪我が治るまで、ブレイズの部屋か寮の庭で飼わせてもらえないか尋ねた。

 「犬ねぇ……どんな犬ですか?」
 「茶色い小さな犬です。両手で持てるくらいの大きさで……あの、そこらへんにいそうな普通の雑種犬で、とても可愛いです」
 「ふうん……小型犬ですか。それなら部屋で飼うことも可能そうですね」

 少し思案してから、トリスタンは優しげににっこり笑った。
 
 「わかりました、許可しましょう。寮監には私の方から言っておきます。スペシャル・スカッドの皆さんで面倒を看てあげて下さい」
 「え、いいんですか?」
 「いいですとも。ただし、他の方々に迷惑をかけてはいけませんよ」
 「はい、あ……ありがとうございます」

 意外にもすんなり許しを得ることができたので、笛吹は面食らいつつも喜んで礼を言った。
 交換条件に、何か無理難題をふっかけられるのではないかと、危惧の念を抱いていたからだ。
 しかし、すんなりいかないのは、この後だった。

 「ところで先ほど、カースレインさんが犬に襲われないよう支援するといった趣旨のことを話しておられましたが、あれはどういうことなのですか?」

 突かれたくないところを突かれ、笛吹の頬がひくつく。

 「……いつから聞いていたんですか」
 「カースレインさんが『もう誰も信じない』とぶつぶつ言っていたあたりからです」
 「……って最初からじゃないか!」
 「ちなみにさっき、私も教官たちに交じって、あなたに拍手と掛け声を送ってたんですよ」
 「そういえば毛色の違う掛け声が混じってたような……」
 「カースレインさんは犬を飼うのがお嫌だったみたいですけど、どうしてです?」

 トリスタンはあくまで追求する気のようである。
 ここは本当のことを言うしかない、と笛吹は観念した。

 「その、ルークが今朝、プリコグに会ったとかで……」
 「プリコグですか?」
 「近くの公園で、双子の姉妹に会ったそうなんです。まだ小さい子供だったようなんですけど」
 「ああ、それは多分、ニライ・カナイ姉妹ですね」
 「え、知ってるんですか?」

 驚く笛吹に、トリスタンは当然とばかりに頷いた。

 「巷で話題の双子の占い師ですよ。ご存じないですか?予知のニライさんと、念写のカナイさん。テレビにもよく出演してるんですけどね。地球人なのですが、そこそこの能力があるようです」
 「全然知りませんでした…」
 「テレビ収録の関係で、今、火星に来てるんですよ。一昨日、私も占ってもらいました」
 「え、部長、テレビに出演したんですか?」
 「いいえ、収録の合間に別口でお願いしたんですよ。それでですね、面白い未来が出たんですよー。ふふふ、笛吹さん、知りたいですか?」
 「いえ、結構です」
 「そこまで知りたいのなら見せてあげましょう。アルカミル」
 「イェス、マスター」

 笛吹の言葉を綺麗すっきり無視し、トリスタンは秘書兼ボディガードのアンドロイドに指示した。
 アルカミルは、持っていた黒いビジネスバッグから、クリアファイルに収められている茶封筒を取り出し、「こちらです」と中の写真を笛吹に手渡す。
 はたして、写真には高そうなソファに座り、白い歯をキラリと輝かせて爽やかにポーズを決めるトリスタンの姿が写っていた。
 普段どおりじゃないか!と心の中でツッコミつつ、笛吹は当たり障りの無い感想を口にした。

 「あの、なんというか、凄くポーズ決まってますね…特に事件性も無い日常風景が写っているということは、当分平和に過ごされるということでしょうね」

 笛吹の言葉に、トリスタンは「おや?」と言いながら嬉しそうに写真を覗きこんだ。

 「ははは!これこれ違いますよアルカミル、私のブロマイドじゃないですか、もう」
 「失礼しました、マスター」
 「ブロマイド!?」

 笛吹はおもいっきり引いた。
 スターでもあるまいし、一介のビジネスマンが作るものではない。

 「でも丁度良かった!ラミネート加工したものもあるんですよ、これ。サイズも小さめで定期入れや身分証明書ケースに入れて持ち歩くのに便利です。このバージョンも含めて5種類あるのですが、全部笛吹さんにあげますね。アルカミル、笛吹さんにラミカード全種類お渡しして」
 「イェス・マスター」

 ビジネスバッグからガサガサと封筒を取り出すアルカミル。
 アンドロイドが間違いを犯すはずが無い。
 先ほどの間違いはトリスタンの指示によるやらせの間違いなのだろうと、笛吹は確信した。

 「いや、要りませんから、ホント結構ですから!」
 「遠慮なさらず、さあさあ!」

 さあさあさあさあと押し付けられ、押しに弱い笛吹は、様々なポーズを決めるトリスタンのラミカード全5種を受け取ってしまった。
 マジ要らねー……とげんなりする笛吹。
 オフダモンスターのレアカードが欲しくて珍しく頑張っているのに、上司自作のラミカなんて必要無いものをゲットしてしまった。
 人の写真なだけに、トリスタン相手とは言え、捨てるのも悪い気がする。
 手の中のものをどう処分するか思考を巡らす部下を、さも満足げに見遣ると、トリスタンは傍らの秘書にパチンと指を鳴らした。

 「アルカミル、そろそろ本題のものを」
 「イェス、マスター」

 アルカミルが差し出した写真には、今度こそ予知された未来が映し出されていた。
 なんと、ブレイズが拾ってきたあの犬に対し、サングラスをかけたトリスタンが「それ行きなさい!」とばかりに何かけしかけているようなポーズをとっていたのだ。

 「ね、ほら面白いでしょう?」
 「……なんとなく展開が読めた」

 ルークの写真と、トリスタンの写真、それぞれあの犬が写っている。
 写真を2枚並べると、2コマ漫画のようになるだろう。それくらいしっくりくる。
 この予知があったから、トリスタンは犬の話に食いついてきたのだ。
 敵はブレイズではなく、さらに手強いトリスタンのようである。
 しかし、どうしたらこのような展開になるのだろうか、と笛吹は考えた。
 ルークが犬に襲われることを恐れていると聞いて、面白がってするのだろうか。
 だが、ルークが犬に噛まれることなど、トリスタンにとっては大して面白いことでは無いように思える。

 そこへ「シノブー!」と叫びながら、ルークが非常階段の入り口から飛び出してきた。
 その手が何かを握っているの見て、笛吹は嫌な予感を覚えた。

 「私が捕捉したときは一般的なスピードで走っていた。小さな体だからスタミナが続かないとみた!虫けら、恐れるに足らず!」
 「おい、お前、その手の、まさか……ッ!」
 「見ろ、シノブ!」

 手を開くルーク。

 「バカ、よせ!!」

 笛吹は止めようとしたが、今度は間に合わなかった。

 「レアな虫、ゲットだぜ!!」

 ルークの手の中には、予想通り、黒いアレがいた。
 偶々いた普通の黒いアレを、ルークが見つけたのだろう。
 しかし普通とかスカイフィッシュ並のスピードとか、そんなことは笛吹にもトリスタンにも関係はなく、絶世の美青年はうぇっと顔をしかめ、爽やか部長は思いっきり後ずさった。

 「貴方、素手で何てものを持っているのですか!?」
 「お前は猫か!わざわざ見せに来なくていいからさっさと捨ててこい!!」
 「何故?レアなのだぞ?」

 褒められると思っていたのに予想外の反応をされたルークは眉をしかめ、眉間のしわを普段よりも濃くした。
 そうしているうちにも身の拘束を解かれた普通の黒いアレは、ルークの手の上でしばらくカサコソ動いていたが、突如羽を広げると、フーンと軽い羽音を立てて空を飛び、よりにもよってトリスタンの背広にくっつこうとした。
 うっと固まるトリスタン。
 いつも吹いている爽やかな風が止まり、凪の状態になった。
 不吉の前兆か。
 風の谷の場合は、この後、王蟲の群れが押し寄せた。とんでもない災難である。
 とりあえず、トリスタンには黒いアレが急接近中だ。大きさも危険性も比較にならないが、トリスタンにとっては等しいレベルの災厄に間違いない。それくらい、トリスタンは黒いアレが嫌いだった。
 絶対絶命の危機に晒されたトリスタン。
 どうするトリスタン。
 どうなるトリスタン。
 しかし、どうなるも何も、この場には彼が全幅の信頼を寄せる万能の秘書がいた。

 「目標補足、駆除します」

 王蟲の暴走から風の谷を救ったのはナウ○カだったが、この場の危機を救ったのは忠実なアンドロイドだった。
 アルカミルが熱光線を指先から発し、宙を飛ぶ黒いアレを一瞬にして蒸発させたのだ。

 「駆除完了」

 秘書はにっこり微笑んだ。
 それを見てトリスタンは己を取り戻した。
 周囲にまた、風がそよぎ始める。
 しかし風は冬の津軽半島に吹くような冷たいものだった。

 「……とんだテロですよ……」

 爽やかに笑いながらも冷え冷えとした口調である。
 ジュッと黒いアレが燃やされるのを唖然と見ていた笛吹だったが、吹き寄せる凍える爽風に慌てて、横で「レアなアレがー!」と叫んでいる銀髪の男のフォローにまわった。

 「あの、部長、こいつ、どっちかというと人間よりも獣に近い可哀想な奴なんです。だから大目に見てやって下さい」
 「……笛吹さんが謝ることはありませんよ」

 下手に出てくる笛吹に、トリスタンはふぅっと息をついた。息・爽快感☆なミントが香る。

 「確かに悪気があっての行動ではないようですし……」
 「ええ、悪気は全く無いんです。ほら、ルーク、謝れよ」
 「断る」
 「おい」

 睨む笛吹に、ルークは膨れっ面をした。

 「せっかくのレアなアレをゲットしたのに燃やされた。何故私が謝罪しなければならない。謝るのは其方だろう」
 「黒いアレをわざわざ素手で掴んで見せに来たのが非常識だったんだ」
 「何故非常識なのだ」
 「不潔だからだ」
 「不潔!つまらぬ理由だ」
 「つまらなく無い!奴らはどこ走り回ってるかわからないんだぞ?トイレとか下水道とか生ゴミ置き場とかにいたかもしれないんだぞ?ばい菌だらけで病気たくさん持ってて、そんなのを素手で掴むなんて不潔だろう!それに不潔以前に生理的に受けつけない……!」
 「何故。カブトムシとどう違う。差別だ!」
 「カブトムシは早朝に木にくっついて樹液舐めるだけだし可愛いよ!ム○キングではクワガタとで二大横綱だ。でも、黒いアレなんて、M◎THERシリーズではおなじみの敵役だ。しかも素早くて結構強いし飛んでくるなんて厭らしい攻撃してくるんだからな!」
 「トイレや下水道や生ゴミ置き場に出没し、素早く強く飛ぶ……そんな輩はカストル人にだっている!」
 「飛ぶ以外なら地球人にだって当てはまる奴いるだろうけど、人間と害虫とは別だろう!」
 「どうしてこうもアレを否定するのだ!」

 何故か黒いアレを擁護することになったルーク。
 その目に、笛吹が手に持つ何かが映った。

 「シノブ、何を持っている?」
 「あ、それは……」

 笛吹が持っていたラミカードを素早く取り上げると、ルークは黒いアレを掴んでいた手でべたべたと触った。それを見たトリスタンのこめかみに、薄っすらと静脈が浮かび上がる。
 しかし負けず劣らず、ルークの周囲にもどす黒いオーラが立ち上った。

 「……さっきからやけに部長を庇っていると思えば、さてはこのカードを貰って寝返ったのだな!?」

 とんだ言いがかりに、笛吹は目を丸くした。

 「は?何を馬鹿なことを……」
 「5種類も貰ったといえ許されることではない、この裏切り者!ハテナダネのレアカードは渡さん!!」
 「おい、ちょっ……」
 「ええいこんなモノ!!!」

 吼えると、ルークはトリスタンのラミカード全5種をバシッと足元に叩きつけ、足を踏み鳴らして自分の部屋へと帰って行った。こうなったら夕飯まで部屋から出てこないだろう。そして夕飯時には今の喧嘩も忘れ、普通に笛吹に話しかけてくるに違いない。

 「また逆戻りかよ……」

 呟く笛吹。
 しかし事態は逆戻りどころか悪化していた。

 「犬……」

 暗く深い洞穴から吹き上がってくるような風に運ばれて、トリスタンの声が笛吹の耳に届いた。
 笛吹が振り返ると、トリスタンは笑みを浮かべながら、床に散らばる自作のラミカードをじぃっと見つめていた。

 「……あの、……部長?」

 恐る恐る笛吹が声をかけると、トリスタンは白い歯をギラリと光らせて微笑んだ。
 ギラリとしているのに、何故か爽やかさは失われていない。

 「カースレインさんは、犬に襲われることを極端に恐れてらっしゃいましたよね……」
 「ええ……まぁ……」
 「となれば、私がとるべき方法は……ただ一つ!!」
 「あの、何をするつもりで……」
 「アルカミル」

 笛吹の言葉を無視して、トリスタンはラミカードを秘書に指し示した。
 ツーと言えばカー。
 具体的な指示をされずとも、秘書はそれだけで理解した。

 「イェス・マスター」

 次の瞬間、先ほど黒いアレを蒸発させた熱光線が、またしてもアルカミルの指先から放たれた。
 床に黒い焦げ痕を残し、ラミカードが消滅する。

 (怖ぇぇっ!!)

 笛吹は本気で怖くなり、心の支えにとシェダルに呼びかけたが返事は無かった。
 トリスタンが犬を飼うことを許可した辺りで、シェダルは「良かった良かった!」と安心して眠ってしまったのである。
 こんな事態になると分かっていたなら、シェダルは面白がって観察し続けたことだろう。
 笛吹にとってもシェダルにとっても残念なことだった。

 「笛吹さん」
 「!!」

 トリスタンに呼びかけられ、小心者の笛吹は無表情のままビクッとした。

 「あ、あの、ら、ラミカード、折角頂いたのに、すみません、こんなことになって……床に落ちたのも、消毒してから持って帰ろうと思ってたんですけど、勿体無かったですね……」
 「あぁ、気になさらないで下さい」

 恐怖心から心にも無いことを言う笛吹に、トリスタンがふふっと笑みを浮かべた。

 「まだたくさんありますから」

 主人の声に、アルカミルがラミカード全5種類を鞄から取り出し、またまた笛吹に差し出した。
 笛吹は遠慮せず、それどころか「ありがとうございます」と頭まで下げてそれを受取った。
 それほどこの場の雰囲気が怖かったのだ。

 「ふふふ、後で、子犬のお見舞いに伺いますね」

 トリスタンは意味ありげに笑うと、アルカミルを引き連れてエレベータへと消えて行った。

 もういいや……。
 笛吹は天を仰いだ。
 プリズムの光を放つハテナダネのカードが遠ざかっていく幻想を見た気がした。
 トリスタンはやると言ったらやるだろう。
 そして、笛吹にはそれを阻止する気力が無くなっていた。
 どうにでもなれ。
 笛吹は今日頑張った成果である、手元のラミカード全5種をちらりと見た。

 (余計なこと言っちゃったな……どこのアイドルスターだよコイツ、こんな6枚もいらないよ……うん、6枚?多いな、1枚かぶったのかな……ってコレ!!)

 笛吹は目を丸くした。
 なんと、トリスタンのラミカードに、『進化を拒んでイヤイヤするハテナダネ』のプリズムカードが交じっていたのである。
 裏には付箋が貼ってあり、トリスタンが書いたのだろうか、「レアカードです。草系なので笛吹さんはお好きでしょう。お仕事頑張ってくださいね」と走り書きしてあった。
 このさりげなさ!
 このにくい演出!
 地獄に落として天国に引っ張り上げるこの手腕!
 笛吹は<上司にしたい男ナンバー1>の男の心遣いを思い知った。
 どうしても生理的に受け付けないのだが、上司としての株は急上昇である。
 フダモンカードをじっと見つめる笛吹。
 その目に、一つの決心が浮かんだ。



 その日から毎日、トリスタンはブレイズの部屋へ子犬の見舞いに訪れた。
 セレブ犬御用達の超高級ドッグフード(ドッグフード1食分が、笛吹の3食分の値段に匹敵する)を見舞い品として携えて。
 トリスタンの胡散臭い雰囲気を感じ取ったのか、最初こそ警戒していた子犬だったが、美味しい食事を手ずから与えられるうちに、段々と懐くようになった。
 犬はなかなか利口で、ブレイズが教えた「お手」や「伏せ」など、1日でマスターした。
 怪我が完治すると、今度はトリスタンが「やっておしまいなさい」を教えこんだ。
 笛吹から話を聞いていたシェダル、ブレイズ、リーも、胡散臭い上司の胡散臭い調教に対して口を挟まなかった。むしろ喜んで協力した。みんな、副隊長は一度痛い目をみればいいと面白が……ではなく心を鬼にしたのである。
 こうして犬は2日かけて、標的の尻に噛み付けるようになった。

 トリスタンの報復は犬を拾ってから4週間後に実行された。
 最大の難問は、あのルークが犬に大人しく食いつかれるかという点だったが、笛吹の全面的な協力により難しい事ではなくなった。
 セ○シーコマンドー標準装備の笛吹が、ルークの目の前で微笑んだのである。
 ちなみに笛吹は意識して微笑むと微妙な笑みになるので、ブレイズ(笛吹の笑み効果を薄れさせるため、サングラス着用)が素敵な花畑のイリュージョンを笛吹に食らわせて、実に自然な笑みを作ることに成功した。
 神の奇跡の具現たる微笑みは、ビームとなって周囲の生きとし生ける者の脳を撃ち抜いた。
 たまたま通りがかって目撃してしまったABたちは、腰が抜けてへなへなとその場に崩れ落ち、中にはそのまま昏倒する者まで現れた。
 間近で喰らったルークは、ある程度の耐性がついていたにも関わらず、金縛り状態にあった。
 スタンバっていたトリスタン(やはりサングラス着用)は、その隙を逃さなかった。

 「ヤッテオシマイナサイ!!」

 犬は命令を忠実に実行した。
 そしてその決定的瞬間をアルカミルが写真に撮ったのである。


:::


 小さな雑種犬は、スペシャルスカッドの隊員達の手元に決定的瞬間のラミカード(アルカミルがラミネート加工した)と、ルークの心に深い傷跡を残し、エイリアンバスターの寮を去って行った。
 トリスタンが手を回し、火星植物園の警備室で飼われることになったのだ。
 怪我の後遺症も無く、元気一杯の犬は、警備隊と共に植物園を巡回するのが日課となり、植物園を荒らす悪い奴がいれば、その尻に噛み付くのだ。
 人懐っこく賢い犬は、警備隊から可愛がられ、幸せな生活を送っている。
 トリスタンの豪勢な食事攻勢により、舌が相当肥えていたため、警備員から振舞われる普通のドッグフードに慣れるまで時間がかかったことだけが、犬にとってのちょっとした不幸だった。


 〜END〜




 あとがき

 9999ゲッターの倉沢陸様に捧ぐリクエスト小説でした。
 犬の名前を、お題の「ハッピー」にしようかと考えてたんですけど、それはあまりにも……と思いとどまりました。とりあえず、犬はルークを踏み台にして、幸せになれたかと思います。
 5話目だけ他と比べて異様に長いです。そして犬よりも黒いアレが出張っています。
 おそまつさまでした!
 (2007.6.3)

 おまけ(ルークとトリスタンの各写真のシーンの落書き)
 (2007.6.4追加)





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