第9章 JUDGEMENT KNIGHT
V
ルークがキネッサの頭部を持って医務室に戻ると、消毒薬の臭いと微量だが血の臭いが鼻についた。
自分の血、シェダルの血・・・・・・無意識に嗅ぎ分けながら、部屋の中をぐるりと見回すと、船長の胴体首部分を覗き込んでいたブレイズが顔を上げた。
目の下を薄っすらと隈が縁取り、どんぐり眼は普段の半分も開いてない。
「首、頂戴」とごにょごにょ口の中で言うと、ブレイズはスリープモードに入っているキネッサの頭部をルークから手渡してもらい、のろのろとまた修復作業に没頭し始めた。
実は先ほどのトリスタンの決定は、ブレイズに一番衝撃を与えていた。
出発が5時間後と決定してしまったものだから、この自称「か弱い天才美少年」はちょっとの休む間もなく、不眠不休で船長の修理をしなくてはならなくなったのだ。
ただでさえイリュージョンを連発して疲労の限界に達している精神が、更なる酷使により危ういところでゆらゆら揺れているのは、眠気と疲労と焦燥と不満と何故か微量の笑みが浮かぶ彼の表情から、いとも簡単に見て取ることが出来た。
そんな極限状態の少年の肩の上から、リーが「お帰りなさーい」と小さく軽やかな声を上げる。
「なになに、叱られたのルークさん?」
「あー、・・・報告の最中に意識を手放し休憩を取っていたことに関して、軽く注意を受けただけだ」
トリスタンが考えた言い訳を、なんとか淀みなく答えながら銀髪の青年は頷いてみせた。
「それだけか?」
疑問をぶつけたのは笛吹忍。
意識のないシェダルの傍らに丸椅子を持ってきて、両手で耳をふさぐような格好でシェダルの眠るベッドに肘をついている。
いつのまにか黒いコットンシャツとグレーのージーンズを身につけ、先ほどまで包まっていた毛布は、きちんとたたんで部屋の隅に置いてあった。
「あのトリスタンのことだ、何かしょうもないことでも持ちかけてきたんだろう」
笛吹は直球ストライクで切り込んできた。
「何を言われた?」
「私の筋肉が美しいという賛辞を。今更だがな」
アドリブでルークが返した。
「・・・・・・そうか」
ぽつりとそう言うと、それ以上つっこむ気も失せたのか、笛吹はそのまま黙りこんだ。
手に隠されているのでルークにはその表情がわからないが、先ほどに引き続き機嫌が悪そうなことだけは、漂う雰囲気から容易に察することが出来る。
ルークは笛吹が陣取っているのとは反対側のベッドサイドに立った。
金髪の青年の透けるように白い肌に負けず劣らず、黒髪の青年の顔は青白い色をしている。
「こんなに呼びかけているのに、・・・まだ目を覚まさない」
笛吹はわずかに目を細め、疲弊しきったような表情でシェダルの顔を見ていた。
なんだかやつれているな、とルークは思ってから、そういえば笛吹がついさっき生き返ったばかりだったということを思い出した。
「やつれるはずだ」
「何?」
「疲れているだろう、眠ったらどうだ。自由時間をもらったのだから」
「いや・・・大丈夫だ」
ほんとの所全身がだるく、横になりたいと身体が訴えていたのだが、今眠ると夢見が悪そうな気がしたので、笛吹はルークの気遣わしげな視線に首を横に振る。
「しかし顔色が悪い。隊長たるもの己の健康管理に気を配らなくては」
「精神的にはこれ以上ないというほど高揚しているんだ。身体の不調は気分の持ちようでどうにでもなる。それにブレイズにあんな状態で働かせといて休めるか」
「僕は大丈夫だよタイチョー」
発声に体中のどこの筋肉も使ってないような声が、笛吹の背後から聞こえた。
「ただの天才じゃなくて、超天才なんだもん僕。たった今僕は妥協する道を選んじゃったもんねー。完璧さに拘らなければあと30分そこらで修理できるんだ。でもそのかわりキネッサさんの首が前より4センチほど短くなっちゃうんだけどこの際構ってられないよねそんなこと、えへっえへへへへ」
「かまわないの!キネッサさんは元からすらーっと首が長い方だったから、長くなるより短くなった方がマシだと思うの!」
「寝るんだ、僕は寝るんだ・・・」と笑みを浮かべる少年に、リーは彼女らしい賛同を送る。
そんな年少組の様子をじっと見てから、笛吹はルークに首を傾げて見せた。
「あれを放っておいて眠れと言うのかお前は?」
「う・・・うむ・・・では、これから何をする?」
「・・・・・・」
笛吹は一つ、瞬きをした。
与えられた自由時間はあと5時間。
今は標準時刻で午後10時45分なので、タイムリミットは午前4時前だ。
「ブレイズ、今外は暗いのか?」
「ううん、明るいよ〜、真昼間だよ」
笛吹の問いに、作業の手を休めないままブレイズは答える。
「んっとー、この星は12時間で1回自転するから、あと4時間したら夜になるよ」
「・・・・・・1時間あれば余裕だな」
「何が?」
「害虫駆除」
ブレイズは笛吹をちらりと見た。小心者の隊長の静かな声の中に、重い怒りと微量の揺れを聞いたように感じたからだ。しかし少年の位置からは笛吹の背中と、真面目くさったルークの顔しか確認できなかった。
「あのへちまどもを殲滅してやろうと思う。あいつらはこの星を食い尽くしたら、きっとどこか次の星へ移動するだろう。そして増殖して、宇宙中に広がって・・・・・・手がつけられなくなるほど増える前に、叩き潰した方がいい」
自分に言い聞かせるようにゆっくり話す笛吹。
誰よりも相談したい友人はまだ目を覚まそうとしない。
:::
同じエイリアンバスター仲間が目の前で無残に殺された。
あの過去の光景は目に焼きつき、へちまたちの咀嚼音は耳から離れない。
笛吹はホラー映画が幼い頃からどうにも苦手で、普通の映画でもスプラッタなえぐいシーンが出てくると、目を背けずにはいられなかった。
そんな青年がいきなりあんな光景を突きつけられて、衝撃を感じないはずがなかった。
しかも精神体で、側にいたシェダルの能力を微かながら受けていた。
殺された二人の怒りと無念が、咀嚼音をあげながら笛吹の頭をぐるぐると取り巻いている。シェダルはこういった精神感応に対する防御を心得ていたが、笛吹は初めての経験だったのでそんなことができるわけもなく、自分がどういう状態にあるかも理解できず、ただ怒りを持て余していた。
カッカしながら外に出ると温い風が頬をなで、笛吹の黒髪をふわりと膨らませた。
オートで形成された階段を下って地面に降り立ったが、あれだけ溢れていたグラウは一本も見当たらず、赤茶色の大地が靴の下でザリッと音をたてるのみだ。
「・・・うるさいな・・・」
笛吹は耳を押さえた。砂利の音に言ったのではない。幻聴に言ったのだ。
過去の光景を思い返す度に耳奥で繰り返される咀嚼音に、笛吹は辟易していた。
あの光景が幻聴を聞かせるほど自分にダメージを与えたのだろうか。
音を振り払おうと耳をほじくったり、ばんばん叩いたり(鼓膜が破れる危険があるので小さなお子様は特に真似をしないように)、「だーっ!」と叫んだりしたが効果は無い。
さらに腹が立って、笛吹は足元に転がっていた手ごろな石を蹴飛ばした。石は身を引きずるようにしか転ばず、重い土に身をとられすぐに活動を停止した。
幾千年も前からグラウが育ち、枯れ、腐り、腐葉土となってまた新たなグラウを育んで・・・その繰り返しを続けてきたのだろう。『カルティケーヤ』が銀白色の優美な船体を横たえている周辺は、よく肥えた土壌が広がっていた。
しかしそのサイクルも終わりになるのだろうか。
この大地の中に、あいつらが潜んでいる。
活動を始める夜を待たずとも、今この目の前に広がる大地に重圧をかければ全部潰れて死ぬのではないだろうか・・・などと過激なことを笛吹が本気で考えたとき、誰もいなかったはずの背後から「シノブ」と名前を呼ばれた。
無視すると、ポカリと軽く頭を殴られた。
「いって・・・・・・何する!」
「じゃれてみた」
しれっと言い返すルーク。
「じゃれるような可愛い歳かお前は!!」
「いつまでも遊び心を忘れない。それでこそいい男なのだ。だからそうかっかするな」
大人気ないことをしておきながら大人ぶって返すルークを、笛吹はいつもの無表情はどこへやら、ギリリと睨みつけた。
「何の用だ。じゃれるだけならあっち行け」
しっしと手を振る笛吹。それをものともせず、ルークは腕を組んで悠々と佇む。
「まぁ待て。私は怒るな、と言いたかったのだ」
「俺は怒っていない」
「怒っている。みなシェダルではないが気付いている。むしろ気付かないほうがおかしい。明らかにおかしい。異常なのだ。異常事態、わかるか?」
「わけのわからないこと言うな五月蝿い。俺が怒ろうが怒るまいが関係ないだろう」
「関係ありだ」
アイスブルーの三白眼で、ルークは目の前の青年をじっと見つめた。
「わたしは昔、とても怒ったことがある。私の怒りは神の怒り。大地が裂け雷が轟き、阿鼻叫喚雨あられ、幼子は泣け叫び老人は腰をぬかし、谷中に蟲が溢れ青き衣をまといし少女が黄金の草原を歩いた」
「冗談だろ?」
「この写真はイメージです。実際とは異なる場合があります」
飲食店のお品書きの写真のすみに書いてあったことを、ルークはそのまま言った。
「とにかく私はそのレベルでの怒りを発したのだ。実にハイレベル」
親指をビシッと立てるルークを、笛吹は「はいはい」と言ってさらりと流す。
「お前がもの凄く怒った、と。だからなんなんだ。今の俺にどう関係があるというんだ?」
「私はその後、ひどく哀しかった」
「・・・哀しかった?」
「取り返しのつかないことをした。気がついたときにはたくさんの同朋が死んでいた」
「・・・・・・もう一人のお前がやった、と?」
眉をひそめる笛吹に、ルークは頷く。
「そうだ。私がやったのではないにも関わらず、みな私ともう親しくしてくれない。三番目の義母上も私の元を去った」
「三番目のははうえ?」
「優しくて美しい人だ」
銀髪の青年はぽつりとこぼした。
「私は哀しかった。シノブも後に悲しくなる。みなも不幸。シノブも不幸。したがって怒らないほうがいいという結論を私は導き出したのだ」
とつとつと話すルークの目をじっと見ていた笛吹だが、軽く溜息をつくと視線をそらした。
「どうしてお前、そんなに怒ったんだ?」
「・・・・・・思い出したくない」とルーク。
「シノブこそ何をそんなに怒っている。少年や小動物を怯えさせるのはよくない」
「俺は・・・・・・」
さっきトリスタンにも訊かれた質問だ。
思いつく限りのことを笛吹は頭の中で並べてみる。
「過去の光景を見たから・・・干渉出来たのに同僚が死ぬのを黙って見てた。あの子憎たらしいへちまどもはとにかくムカツク。グラウを貪り尽くしたしな。わざわざあの時を選んで俺たちに見せつけた奴の存在もムカツク。シェダルが目を覚まさないのもムカツク。そういう理由でへちまどもを殺すのは駄目か?」
「なるほど、理解した。大いに結構だ。カストルでは当たり前のことなのでむしろ歓迎。私も手を貸してやるので感謝するがいい。共に殺して殺して殺しまくってやろう」
ルークは目をギラリと光らせ鷹揚に頷いたが、カストルの単細胞たちと同じ次元での動機になるのかなとひねくれたことを考えた笛吹は、ほんのちょっぴり頭を冷ますことに成功した。
と、そのとき、笛吹はルークの肩付近に白いふわふわしたものが揺れているのを発見した。
「ルーク、ゴミがついてる」
「ゴミ?この私にゴミが・・・ありえない!」
「はいはい背中だ背中、とってやるから動くな」
言って笛吹がルークの後ろに回りこんでみると、ゴミではなく、なんとリーが背中にくっついていた。
「な、何してるんだ、リー?」
「あっ、見ちゃダメなのー!」と、リーはルークの背中から飛び降りた。
「見ないで見ないでー!テイサツは見つかっちゃダメなのっキャー!」
嬉しげにキャーキャー言いながら船へと跳ね去るリーを、呆然と見送る笛吹。その傍らでルークが声を上げた。
「忘れていた!うっかりと!」
「何をだ?リーのことをか?」
「少年にいびられる!シノブ、考えを改めろ、今すぐだ!」
「はぁ?」
「改めろ!」
「何をだよ」
「考えをだ!今すぐ!」
「だからどういう考えなんだ!?」
ズンズンとド迫力で詰め寄ってくるルークに、思わず笛吹が後ずさりながら聞き返していると、『カルティケーヤ』のドアがシュンッと音を立てて開いた。
中から現われたのはどんぐり眼を隈で縁取ったブレイズ少年である。
肩に飛び乗ったリーと一言二言なにやら言葉を交わすと、秀麗な顔におどろおどろしい表情を浮かべながら、じとっとルークを睨みつけた。
「なんだよ白髪、やっぱりダメダメじゃん」
「白髪ではない、銀髪だ!」
「あんなに自信満々だったのに、もうろくしたんじゃないの?まったく」
階段を降りながら悪態をつく少年に、最初状況がつかめなかった笛吹だったが、ふと思い当たったのか眉根にしわを寄せた。
「ブレイズ、お前へちま殲滅作戦を撤回させようとしてルークを俺に仕向けたんだな」
「ふっふっふ、ご名答」
ブレイズが悪代官よろしく笑う側で、リーも真似して「ふっふっふ」と明るく笑った。
「グリードたちを殺すこと自体に僕は異議は無いよ。あいつら嫌いだし、僕は笛吹さんほど殺す事に対して禁忌を感じないから」
「別に俺は」
「でも今、問題はそこじゃないんだ」
ブレイズが羽織っていたはんてんのポケットから1枚の紙を取り出した。
「笛吹さんは今、能力を使うべきじゃないよ。さっき報告の時に、ブラックホールを出した後頭が痛かったって言ってたよね。あれって膨大な量の力を使いすぎて身体に負荷がかかってなるんだよ。これはエッグによる笛吹さんの身体状況の分析結果なんだけど、絶対安静って書いてある」
「・・・・・・」
「それにさっきの部長、あれは明らかに隊長のことをたきつけてたしね」
「たきつける?」とルーク。
「白髪は寝てたから判らなかっただろうけど、ていうか起きていたところで気付かなかった率ほぼ100%だけど、部長は隊長にグリードを殺させたいって感じだったよ。それと修理中にキネッサさんから聞いたんだけど、僕たちに本当は部長からグリード皆殺しぶっ殺し命令が出てたんだ。その後笛吹さんが瀕死で帰ってきたじゃん。そのことをキネッサさんは火星に連絡したんだ。そしたら皆殺し命令が撤回されて、火星に帰還するよう新たな命令が下ってたらしいんだ。でも今度はキネッサさんがあんな状態になっちゃって、死にかけてた笛吹さんは生き返ったでしょ?キネッサさんが修復して船が動かせるようになるまでの時間を計算した上で、部長は不機嫌な笛吹さんをわざと挑発して自由時間なんて与えたんだ。まぁ能力が体に負荷を与える今の笛吹さんの状態を知っていたなら、あんなこと言わなかったと思うけど」
笛吹は少し顔をしかめた。
「しかしどうしてそんなことをわざわざ俺の決断でさせる必要がある?新たに命令を下せばいじゃないか」
「多分、部長は笛吹さんを試したいんだよ」
「・・・試す・・・?」
「前々から噂はあったけど、さっきの会話聞いてて確信した。親友☆説は嘘にしても、部長は笛吹さんのことをとっても目にかけてるよ。ものスゴイ力を持ってるのに押しに弱い、そんなところが『手駒』として気に入られたんだよ。もちろん外見もあると思うけど」
ブレイズはきっぱり言ってのけた。
「今回も笛吹さんがどれくらい思い通りに動くかを試してるんだと思う。グリードを殺してくれたら扱いやすい駒、殺さなかったら思惑に乗ってくれない駒、そんなところじゃないかな。なんにせよ部長は笛吹さんにグリードを皆殺しぶっ殺しさせたいんだ。笛吹さんがグリードを皆殺ししたら部長がさわやかに喜ぶんだよ、それでもいいの?」
問われて笛吹は考え込んだ。
少年の推測は事実に限りなく近かったが、完璧な事実ではなかった。
そんなことは知る術もないが、あくまで推測なのだからこの際細かなところはどうでもよくて、トリスタンが笛吹を手中に収めたいこと、逆に笛吹がトリスタンを嫌っているという2つの重要ポイントさえ押さえていればいいのだ。
直接的には言わないが、ブレイズは弱っている隊長にとにかく無理をさせたくなかったのだから。
そしてブレイズの目論見どおり、揺さぶりはかなり効いていた。
「トリスタンの良いようには動きたくない」
笛吹は俯いた。
トリスタンが自分をけしかけていることはなんとなく判っていたのだが、自分の感情を優先させて、都合の悪い部分を見ないように見ないようにしていた。
しかし少年に面と向かって指摘され、しかも自由時間内の行動が今後これからの人生に悪い方向で関わってくるかもしれない可能性があるとなると、理性を総動員させて考え直す必要が生じてくる。
否、笛吹は自分が採るべき行動を知っている。
ブレイズは疲労困憊な上にキネッサの修理をしなくてはならないので戦力外、リーはブレイズの側を離れないだろう。
やる気満々なのはルークだが、谷底から崖を登る際おぶってもらった時、背中に大きな裂傷があったことを笛吹は思い出した。(恐ろしいことにほぼ完治しているのだが、そのことを笛吹は知らない)
そして肝心の笛吹自身、能力を使用すると身体に負荷がかかる状態だという。
あの頭痛ははっきり言って勘弁願いたいほどの痛みだった、と笛吹は激痛を思い出して顔をしかめた。
仮に笛吹とルークが激痛や怪我をおして頑張ったとしても、索敵能力保持者のシェダルが意識を回復しないと殲滅作戦は不可能で、ただの中途半端な殺戮作戦になってしまう。
そもそもスペシャル・スカッドの面々がこれだけ疲労しているのは、笛吹が単独行動をとったことを端を発しており、これ以上己の我がままで皆に負担をかけていいわけがない。
グリードに怒るより先に、同僚たちに土下座して謝罪するのが筋なのだろう。
冷やした頭でふと行き着いた考えに、笛吹は泣きたくなった。
みんなに心配かけさせたのに、感謝も謝罪もまだ言っていない。
今からでもすぐに言いたいが、タイミングを逸してしまったようで切り出しにくい。
「ありがとう」と「すまなかった」を言うことを忘れるほど、自分は何をそんなに怒りに囚われていたのか。
先ほどルークに問われて答えたことを、笛吹は冷えつつある頭の中でもう一度反芻させた。
そのうち、グリードを憎む直接的原因となるのは、同僚二人が目の前で惨殺され、それを黙って見ていたことである。
生き返ってからずっと、思い返す度にあの咀嚼音が耳の奥で再現され、自分が食べられているような錯覚を受ける。
例えではなく、実際に幻聴が聞こえるのだ。
肉を食む音、骨が砕かれる音、血をすする音・・・・・・全てが耳障りで不快を誘い、吐き気を促す。
平和なガニメデの片隅で植物を愛でながら静かに暮らしていた青年にとって、生々しい光景を見せつけられるのは、精神的暴力を受けるようなものだった。
笛吹は暴力が苦手だ。痛そうな光景を見るのも苦手だ。
ホラー映画やスプラッタ映画を見るのが嫌いなのは、登場人物たちに感情移入してしまって、自分がああいう目にあったらどういう気持ちになるのだろうと怖くなるからである。
画面越しではなく、直に見た惨殺現場は笛吹にいつも以上の想像力をかきたてさせた。
一歩間違えれば笛吹もああなっていたのかもしれない。
目の前にいる友人たちだったかもしれない。
そう考えると怒りだけじゃなく・・・・・・。
「そうだ」
失う恐怖を自分は感じていたからこそ、グリードを皆殺しにして安心したかったのだ。
自分の感情を正確に把握し、笛吹は小さく息を吐いた。
胸にわだかまっていたもやが一枚はがれたような気分だ。
しかしその結論は笛吹を安心させたが、同時に己の嫌な面をも突きつける。
笛吹は昔、4人の男を殺し、一人の女の子を巻き添えにした。
ガニメデでは「月」送りどころか極刑決定の犯罪だ。
そのことをシェダルに出会うまで、家族にも誰にも言わずに胸にしまって生きてきた。
何故なら、笛吹は大事なものを喪いたくなかった。
大切な家族や友人と暮らす平穏な大切な毎日を壊したくなかったからである。
他人の人生を永久に奪ったにも関わらず、だ。
それと同じではないだろうか。
「正義感からじゃない」
「笛吹さん?」
独り言を不審がるブレイズに、笛吹は少し疲れた笑みを向けた。
「結局俺は、自分が傷つくのが怖いんだ」
突然自分を語り始めた隊長にブレイズは心配しつつも、一方でシェダルさんが好きなネクラモードだ!と胸をドキドキさせた。
「あの、笛吹さん?いきなりどうしちゃったの?グリードを殺すか否かを考えてたんじゃ・・・」
「そのことを考えてた」
笛吹は悲しげな表情に口元だけ笑みを浮かべて、ブレイズ、リー、ルークの順にじっと顔を見つめた。
「俺はお前達が大切なんだ。だからグリードを殺したかったんだ」
絶世の美貌から飛び出したこのセリフ。
心を揺さぶられないものがこの世に存在しようか、いや、いるはずが無い。
また、ここにいる面々・・・特にルークとブレイズは、笛吹に出会うまで普通の友人を持っていなかった。
美貌に耐性はついていたものの、能力抜きに『大切』などと言われたことはそれぞれの事情により生まれて此の方なく、被告白経験値は0に等しい。
そもそも笛吹と馴れ合っていたが、『俺たちは友人だ』と口に出して言い交わしたことは一度も無い。
それが突然のこの殺し文句である。
グリードを殺すこととの因果関係が説明不十分だが、そんなことは細かいことを気にするブレイズにとってさえ、ヘソのごまほどのどうでも良さだった。
口を開けたまま惚けているルークたちに気付かず、笛吹は己の内面を見つめながら訥々と語ろうとする。
「おかしな強迫観念に囚われてたんだ。だから柄にも無くあんなこと言って・・・俺は隊長失格だな。それ以前に人間失格だ。ダメダメ人間なんだ。喪うことが怖い、傷つくことが怖い。ネクラで小心者で贖罪する勇気もなけ」
「そんなことはない!」
笛吹のセリフを遮って、自失から立ち直ったルークが声を張り上げた。
「全部合格だ!美人合格だ!」
「失格かもしれない!でも笛吹さんのいいところはそこなんだから全然おかしくないよ!」とブレイズもひょろひょろに疲れた身体のどこにそんなエネルギーが残っていたのか、というくらいの声を出した。
「僕も笛吹さんのこと大切だと思ってるからね!」
「そうよ!わたしも笛吹さんが大切なのー!」とリーも続く。
「私もシノブにぞっこんだ!」
ルークが握りこぶしを作った。
「友情万歳!シノブが私のためにへちまを殺すと言うなら私もへちまを殺す!」
「僕も笛吹さんにどこまでもついて行くよー!」
「キャー!わたしもっわたしもなのー!」
「え、あ、ちょっと、みんななに興奮してるんだ?グリードを殺さない方向へと持っていこうと俺は考えてるんだ」
突然の友情合戦に慌てふためく笛吹。
「おい、聞けよ。俺は傷つきたくないというエゴから色々なものから逃げまわって今度はグリードを殺そうとした。俺は汚い奴なんだ、さっきブラックホール造った時だってグリードが攻撃しかけてくるのを待って正当防衛を成立させた上で」
『アホかお前は。お前が待とうが待つまいがへちまはそんなこと関係無しに槍を浴びせたに違いないだろーが』
「だけど俺は自分がそう意識して行ったことが許せないんだ」
『だけどじゃないだろ笛吹君、そうやってぐだぐだ沈んでいくのは精神的に良くないとあれだけ言ってきたのに、まーだわからないかな』
「別にぐだぐだ沈んでなんか・・・ってえぇっ!?」
外見から想像できないような素っ頓狂な声を笛吹は出した。
「シェダル!?」
『そんなにビックリするない。テレパスには慣れてるだろーが』
驚く笛吹と、それにさらに驚く二人と一匹から距離にして30メートル離れた医務室の中で、金髪の青年がベッドから身を起こしていた。
『みんなそっちいるな、ヨカッタ!目ぇ覚ましたらいきなりキネッサの首切断死体が転がってるから皆死に絶えたかと思っちゃったゼ、アハハ!』
「アハハって・・・」
『ていうか実際死にかけたのはお前くらいだよな』
「お前もなかなか帰ってこないから死ぬんじゃないかと思ったぞ」
『オレはちょっと連れまわされてただけ。んでもってちょっと目を離したらもうぐだぐだしてるんだから参っちゃうよお兄さんは』
「お前俺よりも9ヶ月年下だろう!?」
『まぁまぁまぁそこが問題じゃなくて。ひとまずこっちこいよー、キネッサどうしちゃったんだコレは?わけわからんし気味悪いんだけどオレ』
:::
「シェダル!」
「・・・・・・あぁ、なるほどな・・・」
無表情に慌しく姿を現した笛吹を一目見て、シェダルは納得がいったというように頷いた。頭の怪我が痛々しいが、表情は明るく生気に溢れいている。
「オレのせいだな。精神体のときにお前、オレの側にいたから影響受けたんだよ」
「?」
怪訝そうな笛吹にシェダルは笑みを浮かべた。
「余計なものがとりついてる。だいぶ薄れかけてるけど・・・ブレイズ」
「いぇーい、シェダルさん大丈夫?」
笛吹に続いて医務室に戻ってきた少年は、ルークに背負われての登場だった。
突発的に盛り上がった友情騒ぎで力を使い果たしたといった態で、シェダルを見ても力なく笑みを浮かべて手をひらひらさせるだけである。
歩くくらいの力は残っていたが、今からキネッサを修理するのになるべく無駄なエネルギーを費やしたくないという立派な理由で、ルークを足代わりにしているのだ。
その肩には冷たい頬を温めるようにリーが寄り添い、ルークはシェダルを見て無言で親指をビシッと立てた。
「うっは〜、お前こそ大丈夫か?これじゃ頼めないな・・・」
ルークに親指を立てて挨拶をし返しながら、シェダルは少年を気遣うように言った。
「何を?」
ルークから億劫そうに降りると、ブレイズは訊き返した。
「イリュージョンを笛吹にぶつけて欲しかったんだ。こいつに他の奴の感情が取り付いちゃってるから」
「他の奴の?」と、驚く笛吹。
「そ、過去で死んだあいつらの感情がお前の周りでぐるぐる回ってるぞ。オレはそれを払いのけることはできない。ブレイズなら精神ぶつけてそのぐるぐる回ってるのを追い払うことできるんだろーけど、これじゃ使わせるの可哀相だわ。お前一人でがんばれよ」
「つまり、俺が無性に腹が立ってグリードを殺したかったのは・・・」
「そゆこと。前向き思考が肝心だぞ。自分の思考と感情をしっかり把握すれば見極めることができる・・・まぁそれはできたようだな」
シェダルはにやりと笑った。
「あとは前向き思考だ。あぁ、グリードを殺さないことには賛成だぜ。トリスタンの思惑に乗ってやることはないし、みんな疲れてるからな」
笛吹がそれを聞いて安心したような表情を微かに浮かべた。
渦で笛吹とはぐれた後、シェダルはまた別の過去へと飛ばされていた。
時期で言えば、グリードがアンバーにやってきた時と、AB第3部隊が惨殺された時の間くらいだろうか。
「いやホント。ラージスの奴ら、わざと巨人を壊してたんだわ」
そこでシェダルが目撃したのは、ラージス社に雇われた61α人が空間転移を用いて巨人を大地から切り離し、バラバラに崩している現場であった。
「純度の高いスーリィを得るには手っ取り早い方法ですな、げへげへとラージスのおっさん達が話してた。巨人がいなくなったのはグリードたちの仕業じゃなかったってわけ」
頭の包帯をルークに巻きなおしてもらいながら、シェダルはうんうんと頷いた。
「いやはや、人間って怖いな〜と思ったよ。グリードは生きるために食べるじゃん。でもラージスの奴らは金儲けのためにアンバーを食い物にしたわけだ。まぁそれもたくさん抱えてる社員の生活を養うためには必要な行為なんだけどな」
それにひきかえ俺がさっきしようとしていたグリード皆殺しぶっ殺し作戦は、無意味な虐殺というわけか・・・と、椅子の背にまたがりながら笛吹は考えた。
麻痺した感覚の左腕が気持ち悪いのか、ぶらぶらさせている。
7年前の女の子も殺される必要はなかったのに、意図的でないにしろ巻き添えにしてしまった。
警察に事情を説明してもいなければ、女の子の両親にも謝っていない。事件は闇に葬られたまま、被害者の家族の心に未だに傷を残し続けている。
「笛吹」
呼ばれて顔を上げると、それ自身は機能を果たさないビリジアンの瞳がひたと自分を見据えていた。
「またあのこと考えてただろ」
「読んだのか?」
「顔見りゃわかる」
そう言うと、ルークの巻き方が痛かったのか軽く顔をしかめた。
「なんていうかさ、過去って推測どおりじゃないよな。ラージスの奴らを襲ったのは巨人じゃなくて新生物だったし、巨人が消えたのはラージスの奴らのせいだったし」
「そうだな。予想外だった・・・」
「だろ?笛吹が思っている過去も、推測どおりじゃないかもしれないとか思わないか?」
「?」
飲み込めずに瞬きする笛吹に、シェダルはにぃっと笑ってささやいた。
「お前は女の子を殺していないのかもしれないってことだよ。だってあの時、
あの場に女の子がいたのを見たわけじゃないんだろ?女の子も死んだとは決まってない。
町から行方不明になっただけだ。偶々あの日、人攫いが連れて行ったのかもしれないじゃん」
「・・・そんな偶然が」
「あるかもしれないな。だーかーら、暗い自分に酔って勢いで警察に出頭するなんて
やめてくれよ。ガニメデじゃ、ハーフってだけでろくに調べられもせずに極刑間違い無
しだぜ。まぁ仮にお前がやったんだとしてもお前はもう十分苦しんでるよ。オレが言う
んだから間違いない。贖罪の方法は社会的制裁だけじゃないだろう」
笛吹は唖然とした表情をしていたが、しばらくすると、椅子の背に顔を埋めてたまま黙ってしまった。
幻聴はいつのまにか消えていた。
「シノブ、どうした?傷が痛むのか?」
「えっ、笛吹さんイタイの?ねぇイタイの大丈夫かしら?」
「今度は一体なんなの笛吹さーん!?もー僕の作業の邪魔しないでよー!さっき生き返ったばかりなのに張り切って怒るからだよまったく!ほらほら、早く服脱いでエッグに戻った戻った!」
「そのように邪険に扱うのはよくない。君は少し心にゆとりを持つべきだ」
「僕からゆとりを奪っているのは白髪たちなんだってば、それがまだわからないのこの筋肉馬鹿!」
「私は筋肉天才だと言っているだろう!シノブ、私が天才だと言うことを証言しろ!」
「ありえない!ぜっったい白髪が天才なんてありえないから!」
「天才はブレイズなのー!ブレイズはとってもいい子なのー!」
「それこそありえない!悪口を言うブレイズは悪い子だ!」
「白髪なんて変態極悪暴力馬鹿じゃないか!」
叫んだブレイズが手に持っていたものをルークに投げつけた。
が、如何せん体力が落ちていたので、予定よりも短い放物線を描いて、中間地点に座っていた笛吹の後頭部へそれは直撃した。
「・・・お前ら、いい加減にしろ・・・!」
後頭部をさすりながら笛吹は立ち上がると、目に涙を浮かべてキネッサの頭部を振りかざし怒鳴った。
「ルーク、お前はもういいから黙って寝ろ!ブレイズはルークに構うな!リーは二人がケンカしないように見張るんだ!」
「おーおー笛吹くん、見事な隊長っぷり!」
「シェダルは黙って休め!いいか?俺は隊長なんて向いていないんだ、内気なんだ、プレッシャーに弱いんだ、この仕事が終わったら辞職して家にひきこもって陰々鬱々と贖罪の日々を送るんだからな!」
「わー、笛吹がキレたぞ、逃げろ逃げろ〜」
明るい笑いが場に満ち溢れている。
その中に身を置くことに罪悪感を感じる暇も無いほど、周囲は笛吹をひっかきまわしてくれるのだ。
前途は多難、火星に戻れば戻ったで報告書だの仕事は山積みだろう。
他にも色々考えなくてはならないことがある。
でもそんなのは自分だけではない、みんなそれぞれ何かを抱えている。
自分のことで大変なのに、それでも人のために気を使ってくれる友人達がいる。
笛吹は友人達を軽く睨みつけた。
「遊ぶな、任務中だぞ」
言ってから笑みを浮かべた。
なんだかとっても疲れたので、これからのことを考えるのはまた後でにしよう。
火星に帰るまでにその時間はたっぷりあるのだから。
しかし。あの『手』は一体なんだったのだろう・・・・・・?
--fin--