VENUS AS A BOY
6.5 前
弁当箱を下に置くと、そのままゴロンと後ろに寝っ転がった。
空は快晴。
透き通るような水色のはるか上空に、孤を描き旋回する鳥が見える。
人工太陽の輝きを避けるように手をかざしながら、鳥の動きを目で追った。
なんという名前の鳥なのだろう。 トンビにしては少々大きめな気がするし、第一この付近は住宅街ばかりで、 トンビが生息できるような自然は残っていない。
10キロもいけば山脈の端にたどり着くが、トンビはそんなに遠出をす るほど広範囲の縄張りを持っていなかったはずだ。
鳥に関する知識はそれほど持っていないが、10キロ近くの縄張 りを持つのは地球のワシや、カストルのギーナスなどの大型の鳥類だ ったと記憶している。
あれらは小型の動物を捕食するのだが、獲物の生息数には限り があるため、縄張りを広くもたざるを得ないとか。
でもそんな鳥がガニメデに生息していると聞いた記憶が無い。
そういえば最近食用として海に放たれた地球産のサンマが変異を起こして、 獰猛な肉食魚になってしまったというニュースがテレビを賑わせている。
映像で見たが、正常なサンマよりも3倍ほど大きく、口には鋭い牙がサメの ようにぎっしり生えていた。
あれを見たら、海水浴に行こうとはまず思わなくなる。 サンマに噛まれるのも嫌だが、サンマを変えてしまった得体の 知れない何かが海にあるということが気持ち悪い。成分調査は十分さ れていたはずなのに、ああいうことが起きたということは、地球人がま だ発見していない物質がガニメデに存在しているのだ。海だけでなく空気 中にも漂っているのかも。
案外あの鳥も、サンマと同じように地球から誰かが持ち込んだのだろうか。
小型の鳥だったのが、突然変異で巨大化してしまったのかもしれない。
今、俺の周囲には誰もいないので、気兼ねせずにぼんやりすることができる。
屋上に吹く風は寒すぎず熱すぎず、俺の一番好きな気候だった。
このまま授業をさぼって眠ってしまいたいところだが、次の授業は大学 受験に必須の応用数学なのでそういうわけにもいかない。
俺は塾に行かない分、学校の授業だけで理解する必要がある。学校に行くこ とでさえつらいのに、塾なんて人がたくさんいる新しい環境に俺が溶け込める訳が無い。
はっきり言うと、ゾフィエルハイスクールを辞めようと思っていた。
唯一の味方であり宝だった両親が突然死んで3ヶ月、支え無しにここにいるのは正直つらい。
父さんも母さんも俺の能力のことは知らなかったし、もちろんあの事件のことも俺は話していなかった。それでもあの人たちはみるみる暗くなった息子のことを気にかけ、俺自身も二人に心配かけさせたくない一心で、なんとか普通に生活を送ることができたのだ。
しかし今、俺の心を律してくれるものは何もない。家には誰もいない。
がらんとした家で俺は3ヶ月、殆どひきこもって一人で過ごした。
両親との思い出を繰り返しなぞるだけの無為な3ヶ月だった。その間家に訪れたのは、唯一親交のある父方の叔父。それも財産管理についての相談だった。義務でやって来る人しかいないのか、と友人がいないことに改めて気付かされた。
それがある日、ふと庭の状態が目に入った。父さんが手入れしていた庭が、いつのまにか雑草が生い茂って荒れ放題になっていたのだ。
それは父さんがいない、という事実を突きつけられているようだった。
遺体の確認をしたときよりも、生々しい現実感を伴って心の中にするりと落ちてきた。この家の住人は俺しかいないのだ、と。
俺は慌てて庭の手入れをした。機械は使わず、雑草は全て手で引っこ抜いた。時間はかかったが、2日もすると庭は元通りと言わないまでも綺麗な状態になった。
しかし温室の中の蘭は全て枯れてしまっていた。俺が自失して世話を放棄している間に、全て死んでしまったのだ。こんなにも近くで、俺のことを必要としている存在があったのに俺は気付かずにいた、そのことが俺の心を揺らし、奮い立たせた。
蘭をもう一度育てようと思った。
昔から父さんの影響で植物は好きだったが、これをきっかけに本格的に興味を持つようになった。何かに興味を持つことがあの時の俺には必要で、前向きに生きるために植物にのめり込む道を選んだのだ。心に空いた穴を埋めるように生態学関連の本を読み漁り、ガニメデ大学の生物学部に入りたいと思うようになった。
目的を持ち、ようやく俺は外に出ることができるまでに回復した。
大学に行くためには勉強しなくてはならない。
ゾフィエルへの復学には勇気を必要としたが、入学試験に合格した時の両親の喜びようを思い出し、退学なんてしたら二人が草葉の陰で悲しむに違いないなどと色々想像して自分を叱咤した。それに何より俺自身のためでもある。大学進学を決意した以上、集団の中に身を置き、人に接することに慣れなくてはならないからだ。
3ヶ月ぶりの学校は、相変わらず俺を隔絶している。
生徒はみな俺をいない者として振舞う。それでも誰もが俺を見ているのだ。
俺を取りまく目が見える。あちらからもこちらからも、目が見ている。無言で俺を監視している。
でも今回は、一つだけ違う視線があった。
隣の席の転校生だ。
61α人かと思ったが、俺と同じく混血だという。
この学校にきて初めて、俺に語りかけ、俺にノートを貸してくれた奴である。
弱々しげな外見に似合わず、タフな精神の持ち主らしい。
俺はとても嬉しかった。テレパシストだと知ったとき、俺が殺人者だということがばれるのではと恐怖を感じたが、その一方で俺の心に巣食う闇を理解してくれるかもしれない存在に希望を持った。両親にさえ言えなかったことを、俺はもうずっと誰かれ構わず叫びたかったのだ。
誰かに知って欲しい。
秘め事を穴に向けて叫んだ童話の男の気持ちがよくわかる。だけど逆にばらされる側の怒りや悲しみも俺は想像できる。
先日教室に「セイラン・ディケンズはテレパシストだ」と書かれていたのを見た時、心の底から怒りが湧きあがった。俺が「シノブ・ウスイは能力を隠匿している殺人者だ」と書かれるようなものなのだ。だってあいつは自分がテレパシストであることを隠したがっていたのだから。俺がディケンズの能力に気付いたと知った時の、あいつの表情は忘れない。
絶望と拒絶。
いつも儚げに微笑んでいるあいつが心に抱えているものを、垣間見た瞬間だった。
だから俺はわざとサイコキネシスを使って文字を消し、自分がハーフであることを周囲に見せつけた。子供じみていたと今では反省しているが、暴露者に対する俺なりの牽制だった。非力なテレパシストを苛めて楽しんでいるつもりだろうが、PK能力者の俺も敵にまわすぞ、と。
今朝のカミングアウトの際、心は読まないと明言していたセイラン・ディケンズだが、俺の隠匿している能力にすでに気付いているようだ。地理の授業の時、俺がシカトされている原因についてほのめかしていたが、あの事件のことなのではないかと焦った。それ以外に俺が周囲からシカトされる原因が思いつかなかったからだ。
俺が犯人だと言う決定的証拠は無いまでも、ガニメデのドール地区に住むハーフといえば俺くらいで、あんな不審事故があったら真っ先に疑われて当たり前なのだ。証拠が無くて警察が逮捕できなくても、世間は俺だと思っているだろう。
でもそれは疑惑の段階であって、あいつは確信しているはずだ。
それでもあいつは俺に接してくれた。
俺はそれが本当に嬉しかった。
・・・・・・なにやら騒々しい声が聞こえる。
聞こえてきた方向がわからなかったが、この前あいつが集団暴行を受けていたのが裏庭だったこともあって、俺は起き上がるとフェンスから身を乗り出して、裏庭側の下を覗き込んだ。
ビンゴ、真下に数人の人影が見える。
上から見下ろしているので判別しにくいが、あの赤い髪の女子は俺のクラスの級長、アステリエ・ペシェールだろう。彼女は黒い服の男に食って掛かっていた。制服を着ていないので男が学校関係者でないことは明らかだ。遠目で顔立ちまではよくわからないが、赤銅色の髪を後ろで一つくくりにし、はみ出た耳が地球人のものよりも、俺のものよりも長いように見える。おそらく61α人だ。
そして男の足元に倒れ付している男子が一人・・・・・・あの薄い金髪といい華奢な体格といい、間違いなくセイラン・ディケンズだ。
不審な61α人、騒ぐペシェール、倒れているディケンズ。
最初から見ていないので詳しいところがわからないが、ぱっと見た予測ではディケンズを男が気絶させ、それにペシェールが怒っているといったところか。
下を見ながら、俺はこの間のことを思い出した。
あの時、俺はいつも通りここで音楽を聴きながらうとうとしていた。聴いていたのは軽快な民族音楽。ボリュームを大きめにしているのでチャイムを聞き逃すこともあるから、携帯のタイマー機能を使ってチャイムの鳴る時間にバイブを鳴らすようにしているくらいだ。
そんな大音量の音楽を突き破って聞こえてきたのが、ディケンズの叫びだった。
切迫した叫びに慌ててこうやって下を見ると、あいつが殴られるわ蹴られるわしていたのだ。あんな華奢でつつけば折れそうな奴に3人がかりとは卑怯であるし、ハーフに対する差別的発言も耳に入った。ハーフである俺がケンカに強そうだと見て不良グループも避けていたのだろう、そして弱そうなディケンズに狙いをつけたのだ。あまり人の諍いに干渉したくない俺だが、無性に腹がたって馬鹿どもをボコボコにのしてやったのだけれど、ディケンズが言うには色恋沙汰によるケンカだったとか。
・・・・・・はっ。ひょっとしなくても、今下にいる男はペシェールのことが好きで、彼女と仲のいいディケンズに腹がたって殴り倒したのではないだろうか。いや、彼女を巡って決闘したのかもしれない。想像が想像を生む。
だとしたら俺がしゃしゃり出るのは余計なおせっかいというものだ。
助けてやりたいところだが、下手にいらない手を出してディケンズにうざく思われるのだけは、今後のためなるべく避けたい。
痴情のもつれなら放っておこう・・・・・・そう考えたものの、違った場合に備えてもう少し野次馬をしようとフェンスを握りなおした時、男が胸元から取り出した何かをペシェールに向けた。
ひょっとしなくてもあれは銃だ。
ペシェールが撃たれる。
そう思ったとき、何も考えず俺は男の手元めがけて意志の力を放った。
「逃げろ、ペシェール!」
俺の声に、銃を取り落とした男がこちらを見上げた。
顔を見られてはやばいかなと思い、思わず顔を腕で隠す、その横を何か大きなものがうなりをたてて急降下していった。
鳥だ。
さっき頭上を旋回していた巨大なワシのような鳥である。
鳥は男に向かって一直線に急降下していったが、途中で衝撃を受けたように身体をよろめかすと、校舎の三階くらいの高さのところで静止した。
おそらく男がサイコキネシスを放ったのだろう、白い羽が数枚宙を舞う。
男はその隙にとディケンズを抱え上げ、もう一度鳥に向けてサイコキネシスを放った。
それを避けながら鳥はくるりととんぼ返りをうつと、翼を大きく広げた。
途端、タイプを早打ちするような音が聞こえ、それに合わせて男の足元に土煙がたつ。ペシェールが悲鳴を上げ頭を抱えながら、地面にうずくまった。
鳥がマシンガンを撃っている・・・!?
いや、ありえない、そんな鳥いてたまるか。
あれは鳥タイプのバトロイドだ!かっこいい・・・はじめて見たぞ。
攻撃の対象は男かディケンズのどちらかなのだろう、二人が密着した状態にあるため、思い切って攻撃できないでいるようだ。
それに気付いたのか、男が反撃に出た。
緋色の陽炎を身にまとったかと思うと、凄まじいサイコキネシスを鳥目掛けて放ったのだ。
ごうっと風の駆け抜ける音がして、鳥が吹き飛ばされた。
フェンスがガタガタを音をたて、裏庭の木がいっせいに葉を揺らす。
強い。
・・・俺のサイコキネシスとは、全然レベルが違う。
ふと気付くと、男の姿がかき消えていた。
・・・ディケンズの姿も・・・無い。
下にいるのはペシェールのみで、葉が舞い落ちる中、ぺたりと地面にへたれこんでいる。彼女はしばらく尻餅をついたままだったが、すぐに自失から回復したのか立ち上がって校舎内へと走り去った。教師に連絡するのだろうか。
バトロイドはどこか故障したのか、ふらふらとぎこちない動作で空高く舞い上がると、頭上を旋回し始めたが、そのうち二人を見つけたのだろう、北の方へ飛んでいった。見ているとそのままゆるやかに滑降していき、突然急降下し、ビルの間に姿を消した。
瞬間、またあのマシンガンの音が遠くで聞こえ、続いて今度は爆音が響いた。
角のコンビニの辺りだ、土煙が立ち昇っている。人々の悲鳴やざわめきも聞こえてくる。その間も銃撃音は鳴り止まない。
また爆発が起こった。今度は3つ向こうの筋だ・・・!
そのまま爆発や銃撃音は悲鳴と喧騒をBGMにどんどん北上し、見え隠れしていた巨大な鳥型バトロイドもそのうち見えなくなった。
・・・・・・一体なんだったんだ・・・?
もの凄く派手すぎて映画のワンシーンのようだったが・・・。
痴情のもつれにしては派手すぎる気がする。
しかも男はペシェールに向けて銃を向けていた。
つまりこれはペシェールを巡る決闘などではなくて、セイラン・ディケンズを巡ってのバトロイドと61α人との闘いだったのか?今見た光景からは、そう考えるのが一番納得できる。
ディケンズはつまり攫われたのか・・・!?
俺の友人候補が・・・・・・ならば救出しに行かなくてはならない。
しかしあの男のサイコキネシスは、少なくとも俺のサイコキネシスの2ランク以上は上だった。はっきり言って太刀打ちできないだろう。
俺が勝つには・・・・・・。
と、後ろで扉の開く音がした。
振り返ると、ペシェールが立っていた。
ここまで走ってきたのだろう、頬を赤く上気させて肩で息を切らしている。
俺を見て一瞬怯むような表情をしたが、大きく深呼吸すると俺に近づいてきた。
今まで直視したことがなかったので意識したことも無かったが、ペシェールは目のパッチリした明るい女の子だ。ディケンズと一緒にいる姿をよく見かけたが、片や燃えるような赤い髪の少女、片や透き通るような金髪の少年コンビの姿はもの凄く目立っていた。
「あの、お願い・・・お願いしますっ」
・・・女の子から話し掛けられたのは何年ぶりだろう・・・・・・!
・・・・・・いやいやいや、感動を味わっている場合じゃない。
何を頼まれるのかは、さっきの光景を見ていたので大体想像ついているが、念のため訊き返すことにした。
「・・・・・・何を?」
努めて冷静に返事を返すと、ペシェールが驚いたように肩を揺らした。
顔が真っ赤で泣きそうだ。
そんなに冷たく声が響いただろうか。この場面で冷静に返すこと自体が冷たいのかもしれない。
しかしペシェールはめげずに俺に話し掛けてきた。
「あ、あの、その、せ、セイラン君を助けて欲しいんですっ!!」
どうして彼女は敬語なんだろう。そして何故どもるほど怯えているのだろう。
俺がハーフだから、突然暴れだすのではとでも思ってるのだろうか。
いや、ディケンズもハーフなのだから、それは違うだろう。
ということは俺自身が怖いのか。サイコキネシスを使うからか、はたまたクラスで孤立している不気味な男だからか・・・・・・・いや、そうだった、俺は孤立するならいっそアウトローっぽい格好をしてしまえと考え、実践中だったのだ。嫌われているのではなく、好きで孤立しているんだという体裁をとるには、このような着崩しかたがいいと思ったのだ。つまり、彼女は俺を不良と思って怖がっているのだ。俺の目論みは成功しているらしい。
俺はなんとは無しに気分が良くなったが、顔には出さず「ディケンズを?」と訊いた。
「はいっ、あの、セイラン君が攫われたんです。私たち、裏庭でちょっと話してたんです、その後セイラン君といったん離れたんですが、あの時セイラン君、具合がもの凄く悪かったんでやっぱり気になって戻ろうとしたんです。そしたら男の人の声が急に聞こえて、セイラン君を気絶させて・・・・・・それからは知ってますよね?さっきウスイ様、私のこと助けてくれましたよね・・・?」
「あぁ。ディケンズが攫われる原因に何か心当たりは?」
「あっあの、多分、ウスイ教関係だと・・・」
・・・・・・今、なんて言った?
「・・・・・・ウスイ教?」
「あ、あのウスイ様を信奉する宗教団体のことで、セイラン君に酷いことするんです!さっきもセイラン君、あやしげな薬を注射されそうになって逃げてきたんです、アランもウスイ様から言われればやめると思うんです、お願いします、セイラン君を助けて!」
ちょっと待て、俺を信奉する宗教ってなんだ?どうしてディケンズに酷いことをする?
俺は興奮状態のペシェールを宥めすかし、色々聞き出した。
ウスイ教のこと、セイラン・ディケンズが俺と友達になりたいと思っているらしいこと、そしてディケンズがウスイ教関係者らしき人物に拉致られたこと。
そして俺は確信した。
「ウスイ様、どこに・・・・・・」
弁当箱とその他諸々を引っつかんで突然去ろうとする俺に戸惑ったのか、ペシェールが言った。
「数学研究室。そこにウスイ教とやらがあるんだろう?それと様付けで呼ぶの、やめてくれ」
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