第1章 APRIL
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軽い眩暈を感じながら、カール・トリスタンはベッドから身を起こした。
目蓋をゆっくり開けると、不鮮明な薄暗い視界の中にぼんやり輝く球状の透明な物体が目に入る。
戸棚の上に置かれているそれは立体時計で、ホログラムの熱帯魚が泳ぐ金魚鉢の中に青白く発色する長針と短針が「5:58」という時刻を告げていた。
宇宙を渡り歩く有名な時計職人が、ガニメデで漁船に乗った時にヒントを得て製作したとかで、午前中は針が青白く、午後は桃色に発光する。
また時間ごとに動き回る魚の種類が変わったり、付属の小さな釣竿で魚釣りゲームを楽しむことができるなど遊び心満載の時計に、美しいもの・珍しいもの好きのトリスタンが惹かれないわけが無い。
3日前に3台限定で売りに出されたものを、高値で競り落としたのだ。
トリスタンが現在いる部屋は、メディフ社の112階にあるVIP専用の1ルームで、彼の私室であることは周知の事実。
役職柄抱える仕事が多いため、忙しい時や自宅に帰るのが面倒な時にはここに泊まっている。
勿論部屋には洗面台、シャワー、ベッド、冷蔵庫など完全完備されているので、次の日に彼が着たきり雀で社内を歩くなどということは決してありえないのだ。
そんなメディフの社員の憧れの的であり恋愛対象である爽やか男も、ここ最近の仕事の疲れがたまっているのか、今はぼんやりとした目で時計をじっと見つめている。
実はあの時計には目覚まし機能がついていて、トリスタンは昨晩寝る前に6時にセットしたのだ。
それが今、5時58分。
2分前に目を覚ましてしまったのだ。
時計が鳴る前に目を覚ますことは、別段珍しいことではない
人間には体内時計というものがあり、規則正しい生活をしていれば毎日のサイクルに意思よりも先に身体が反応するのは当たり前のことなのだから。
だが今目が覚めたのは、眠りが浅かった上に他の原因があるような気がトリスタンはしていた。
目を細めながら、トリスタンは部屋をゆっくりと見渡した。
カーテンによって厚く閉ざされた窓からは、外の様子を窺うことは全く出来ない。
玄関についている薄暗い電灯と立体時計以外に部屋の光源はなく、寝起きとは関係なく視界は不鮮明だ。
別段怪しい物音はしないが・・・・・・と、このときトリスタンは部屋が静か過ぎることに気付いた。
いつもついている空調の音さえもしないのだ。
少し身動きしたが、シーツや毛布に擦れる音すら聞こえない。
異常を感じ、トリスタンはアルカミルを呼ぼうと口を開いた。
秘書と護衛を兼ねている忠実なアンドロイドは、いつも部屋の外で待機している。
しかしトリスタンの口から声は出なかった。
確かに発音したのだが、息を吐く音すら聞こえない。
一瞬自分の耳がおかしくなったのかと疑ったが、アルカミルが来ないことを考えるとそうではないらしい。
おそらく静寂水が使われたのだろう、とトリスタンは見当をつけた。
太陽系連邦軍が10年前に開発した静寂水は気化しやすく、ばらまくと30秒ほどで付近に広がって全ての音を吸収する。
足音ひとつ聞こえなくなるので暗殺にもってこいのアイテムなのだが、精製の難しさ故に非常に高額で、市販化はされていない。
ゆっくりとした動作でトリスタンは枕の下に手を入れ、護身用のハンドガンをつかんだ。
今この部屋に静寂水を使われたとなれば、十中八九自分の暗殺が目的である。
アルカミルは異常に気付かず待機しているか、はたまたすでに破壊されてしまっているか。
非常スイッチは仕事机の脇に設置されており、トリスタンのいるベッドからは3メートルほど離れている。
そしてその距離を移動する間を、用意周到な暗殺者達は与えてくれないだろう。
上を見上げるトリスタン。
通風孔が見える。
人が通るには十分の大きさだ。
行動を起こすなら早い方がいい。
トリスタンは素早くハンドガンを取り出すと、玄関のドア目掛けて一発発砲した。
部屋内の音は聞こえないだろうが、アルカミルがいるならばドアを伝って衝撃音が聞こえることを考えたのだ。
と同時に通風孔の格子が音も無く吹き飛び、人影が二つ部屋の中央に降り立つ。
暗視スコープをつけ、口元にスカーフで覆面をしているため顔はよく見えないが、一人は中肉中背、もう一人は背が高く頑強な体格の持ち主だ。
背の高い男は右手の甲からスルリと50センチほどの鎌を出すと、体躯に似合わない素早い動作でトリスタンにつかみかかろうとした。
その寸前に枕もとの電灯のスイッチをトリスタンが押した。
「がぁっ!」
寝室用のランプなのでたいした光ではないのだが、暗視スコープ越しに直視してしまった方はたまらない。
くぐもった叫びを上げると、暗視スコープをもぎとり目を押さえて床につっぷしてしまった。
直視を避けたもう一人の男も、必要が無くなったスコープを外し、トリスタンにやおら右手を突き出した。
その後ろで玄関の戸が開いた。
廊下の明かりを背に立つのは紅茶色の髪の青年。
仏のような薄ら笑みを浮かべているが、その半身は赤く染まり、いつもきっちり着こなしているスーツはビリビリに破れている。
その腕から2段、3段と階段状に飛び出しているのは小型の機関銃、それらが一斉に音も無く火を噴いた。
トリスタンを人質に取る間もなく開始された射撃と同時に、背の低い方の男が右手をかざした。
途端、両者の間にPK(サイコキネシス)によるバリアが展開し、アルカミルの放った銃弾は全て打ち砕かれ床に落ちる。
それでもアルカミルは笑みを崩さず、両腕の機関銃の脇から、より威力の高いエネルギー銃を出すと、機関銃ともどもバリアに向けて打ち込み始めた。
部屋中に炸裂するエネルギーの火花。
肉眼でも目が痛くなるほどのまばゆい光が、青白く室内を照らし出す。
もちろんトリスタンに当たらないように計算して発砲しているのだが、そう見えないほどの猛撃である。
部下の思考はわかっているものの、トリスタンは念のためベッドの端にずり逃げて毛布を身にまとった。
そのうち気化した静寂水が、開け放たれたドアから外へ漏れ出したのだろう、室内に音が戻り始めた。
機関銃の軽い音と、エネルギー弾がバリアを攻撃する音とが次第に大きくなる中で、目覚し時計のクラシック音楽が場にそぐわない雰囲気をかもし出している。
そうこうしているうちにもアルカミルは距離を詰めはじめる。
対して猛撃に押されるPK使いの男は反撃する間も与えられず、バリアは打ち砕かれる寸前だ。
一方屈強な男は光に目をやられた痛みからようやく回復したのか、涙と脂汗を浮かべながら立ち上がった。
「このくそったれが・・・!」
悪態をつくと、ベッドの上で毛布を被って情けなく縮こまる金髪の優男と、笑顔で攻撃の手を休めないアンドロイドをちらっと見比べて舌打ちする。
トリスタンを殺すより先に、煩いアンドロイドを片付けることにしたらしい。
「どけ」と一言呟くなりPK使いを後ろへ突き飛ばすと、アルカミルの頭上目掛けてジャンプした。
瓦なら50枚くらい割れたんじゃないかと思えるほど凄まじい踵落としだったが、アルカミルはそれを軽やかにかわした。
そうしながらも右手はバリアへの攻撃を怠らず、左手で至近距離に迫る男への的確な牽制弾を放っている。
バリアへの攻撃が右手一本分になったことに余裕を取り戻したのか、PK使いは反撃に出ようとした。
バリアへ費やす力とは別に、攻撃の意志を秘めた力を練り上げ、仲間の援護にと放とうとした、が、突然背中に衝撃が走った。
後ろを振り向くと、ターゲットがハンドガンを構えていた。
自分の背中から腹部にかけて走る激痛。
銃口から立ち昇る白い煙。
その銃口が今度は自分の頭部目掛けて火を噴いたとき、認識する間もなく男は永遠に意識を失った。
アルカミルは大男をうまく牽制しながらトリスタンの前に立ち塞がった。
「遅くなってしまって申し訳ありません、マスター。お怪我は?」
「大丈夫です。廊下にも?」
「イェス、3人ほど。仕留めましたが、VIP区域担当の警備兵も全滅です」
周囲の音は少し聞こえづらいが、会話に支障がない程度にまで回復していた。
このうるさい銃撃音も、センサーが感知しているだろうから、あと2、3分もすれば他の区域担当の警備兵が到着するだろう。
さらに目の前には全幅の信頼を預けているアンドロイドが仁王立ちしている。
「そうですか・・・アルカミル、その男は生け捕りにしてください」
「イェス・マスター」
身の安全を確信したトリスタンが毛布から這い出ようとした時、大男が突然吼え声を上げた。
「オレを捕まえる?のんきなこと言ってんじゃねーよ!」
言うなり男は左手を胸ポケットに差し入れた。
危険を察知したアルカミルがトリスタンに覆い被さるのと、男が何か叫びながらボタンを押すのは同時だった。
:::
早朝の静けさを破って突如響いた爆音に、ビルのあちこちから鳥がバサバサと飛び立ちやかましく鳴き声をあげた。
まばらとはいえオフィス街には人通りがあり、それぞれ眠気など吹き飛んだような顔で、一斉に音のした火星最大のビル・・・・・・メディフ社を見上げた。
上層階の一角から黒煙混じりの白煙が立ち昇り、地面目掛けてバラバラとガラスや何かの破片が落下している。
「なんだあれ、爆発したぞ!?」
「おい、警察呼んだほうがいいんじゃないか?」
「あれってメディフだろ?」
好奇と不安が飛び交う地上から、約340メートルのところにあるメディフの爆発地点では、顔を真っ青にした警備兵達がようやく到着したところであった。
ドアも壁も窓も吹き飛び、筒抜けになったビルの外から入ってくる生暖かな火星の風が、未練がましくしがみついているボロボロのカーテンをはためかせている。
粉塵漂う周辺には、到着した警備兵以外誰も見当たらない。
警備兵のガムルは煙に目を細めながら、生え際の後退しつつある額に流れる冷や汗を拭った。
実はガムルはVIPルーム周辺の担当ではなく、下の100階から110階地域担当である。
この付近担当の警備兵は数分前に侵入者達によって皆殺しにされ、連絡が取れなくなったことに不審を抱いたガムルたちがVIP階に急行したところ、侵入センサーに続いて爆発音が鳴り響いたのである。
相当な訓練をつんだVIP区域担当の仲間たちの死体が、廊下に血臭漂わせながら散乱しているのを乗り越え、たどり着いた爆心地はVIPルーム。
部屋の主は、メディフ会長の甥っ子にして開発環境部部長のカール・トリスタンである。
「トリスタン部長ー!トリスタン部長、おられますか!?」
叫びつつもガムルは、トリスタンの生存は諦めていた。
部屋は室内のものはおろか壁まで粉々に吹き飛び、高級な調度は跡形も無い。
「主任」
仲間の警備兵のサナンが上司を呼んだ。
指差すところには、なにやらどこのものともしれない肉片が落ちている。
「うっはー、これって部長ですかね、侵入者ですかね」
「こうなっちゃ男前もただの細切れ肉だな・・・」
「こら!無駄口を叩いている暇があったら賊が周囲にいないか確認しろ!」
不謹慎な発言をするガルムとサナンを、額に青筋をたてて叱咤する警備主任。
目は血走っているが顔色はすこぶる悪い。
というのはビル内に暗殺者の侵入を許した挙句、あのトリスタンが部屋ごとふっ飛ばされたとなれば、立場上首を切られるどころでは済まないかもしれないからだ。
恐ろしいことにここメディフ社では、とある噂が社員達の間でまことしやかに囁かれている。
その噂とは、『反省部屋』の存在である。
営業成績がずば抜けて悪かったり、大失敗を犯したものが閉じ込められる牢獄で、そこでは辺境宇宙で捕獲した不気味な生物が涎をだらだら流しているのだとか。
勿論学校の怪談のようなノリで噂されているだけなのだが、主任は自分の大失態を思うと、悲観的妄想が膨らみ、そんなこともあるんじゃないかと本気で思えてきたのである。
得体の知れないエイリアンの檻の中に放り込まれるかもしれない・・・!
年老いた父母と、妻、嫁にまだ行く予定の無い娘3人を家に抱える52歳の男の心を、そんな恐怖が冬の東シナ海の波のように襲った。
軍現役時代、マーシャルアーツで敵をばったばったと薙ぎ倒した彼だが、その敵とは自分と同じ地球人であった。
スライム状のわけのわからん生物や、獰猛な牙を持った生物に彼の格闘術が通用するとは思えない。
部下に捜索を命じ、自分は飛び散る肉片を観察しながら、主任は心をどこか遠くへ飛ばした。
その後ろ、風の吹きこむ無残な元・窓から突然手が現われ、床をつかんだ。
そしてその手を軸に、くるっと回転しながら部屋の中に飛び込み着地したのは護衛アンドロイドで、その腕の中に抱えられているのは毛布をまとったトリスタン。
「アクション向きのキャラじゃないんですけどね、私は」
ビルの外から無事生還したトリスタンは誰にともなく呟いた。
爆風からトリスタンを体でもって護ったアルカミルは、ビルの外へ主人ごと吹き飛ばされた後、手から出したワイヤーを部屋の床にひっかけてぶら下がっていたのである。
「ぶっ部長ォーー!!よくご無事で!!」
泣き叫ばんばかりに駆け寄る主任に、トリスタンはいつもの爽やかな笑みを返した。
「はははっ、心配をおかけしてしまったようですね!私はこのとおり怪我一つありません。全てアルカミルのおかげです」
「いイェ、マすターのご活躍がぁれバこソです」
謙遜する忠実なアンドロイドも、いつもの仏のような笑みを浮かべていたが、発声回路がやられたのか発音がおかしく、さらに爆風が直撃した身体の後ろ半分は機械が露出していた。
動作もどこかぎこちなく、軋むような音をたてている。
「あ、後ろの付け毛のアクセサリーが吹き飛んじゃいましたね。それ以前に後頭部の髪が燃えて禿げてますよ、ハハハ!」
「もォしワケありマセん、マスたァ」
「キネッサもおさげを斬られたからお揃いですね。さすが兄弟!」
「髪のしゅゥふくまでハできまセんが、しばしオマちを」
そう言うなり、アルカミルは目を閉じて俯いた。
途端、アルカミルの体の中でキュルルやらガシャンバキバキなどもの凄い音がし始めた。
「あ、あの、トリスタン部長、一体何が起こったのか伺ってもよろしいでしょうか・・・」
現場の雰囲気そっちのけで和やかな会話をしていた主従の間に、ようやく入り込む機会を見つけた警備主任は、自分の職務を忠実にこなすためトリスタンに話し掛けた。
「ああ、すみません」とトリスタン。
「私を襲った犯人はPK使いの男と、カストル系の男です。二人とも死にました」
「エイリアンかハーフの仕業ですね・・・」
「部屋の外でもアルカミルが数人倒したようでしたが・・・」
「はい、VIP区域担当の警備兵は全滅で、その中に3人ほど見知らぬ顔が倒れていました。傷の具合から見てそちらのバトロイドがやったのではないかと・・・」
「バトロイドではありません」
トリスタンが笑みを浮かべたまま、じっと主任を見た。
「アルカミルは戦闘モードにチェンジ可能な、多機能アンドロイドです」
トリスタンの声音に爽やかさ以外の何かを感じ取って、主任は先ほどの恐怖を思い出したかのように慌てた。
「はっ!不勉強なもので失礼しました!」
「いえいえ・・・・・・ほら、見て御覧なさい」
トリスタンが顎で示す方では、アルカミルが依然として不気味な機械音と共に細かく、ときに激しく振動をしていたのだが、そのうちぴたりと動きを止め、目を開いた。
「先ほどは見苦しい発音をお聞かせしてしまって申し訳ありませんでした、マスター」
人当たりのいい、まろやかな声が彼の口から発音された。
「そんなこと気にしなくて結構ですよ、アルカミル。細かなところは後で時間を与えるので、整備ルームで修復してもらいましょう」
「イェス・マスター」
温かな笑みを浮かべるアルカミル。
それを部屋の中にいた警備兵たちは異様なものを見る目つきで見た。
「これが、A18型・・・・・・」
感嘆とも畏怖ともつかない声が、誰からともなく漏れた。
自己修復機能を備えていることは知識として皆知っていたが、目の前でこうも元通りに動かれると、科学への感嘆を通り越えて、不気味さを感じずにはいられなかったのだろう。
周囲の反応を得体の知れない笑みで受け流し、トリスタンは部屋の残骸を見渡した。
黒く焦げた壁の残りと、ふき抜けになったため見渡せる隣の部屋。
木っ端微塵の調度品。
絨毯の燃えかす。
ボロボロのカーテン。
ベッドはひっくり返りながらも、かろうじて窓ギリギリに踏みとどまっていた。
「・・・・・・粉々だな」
「マスター?」
「気に入ってたのですけどね。愛でる間もなかった」
トリスタンは目を細めると、額にかかったオレンジ味の強い金髪をかき上げた。
「全てタイミングが悪かった。こういうことが私にもたまにはあるんですね。それとも計算していたのかな・・・?」
アルカミルに対して肩をすくめてみせるトリスタン。
そこから少し離れたところで無線を使って仲間と交信していたガムルが、主任に建物内の状況を報告した。
ビル内に不審者はもういない、とのことだ。
「部長、暗殺者に心当たりは・・・」
「ありすぎて誰から上げればいいのやら、と言いたいところですが見当はついています」
爽やかに笑うと、トリスタンは指を鳴らした。
「アルカミル」
「イェス・マスター」
応じた忠実なアンドロイドの部下は、記憶保存していた男の最期の言葉を、声音・発音寸分違わず発声した。