風邪はつらいよ(ブレイズとリーの場合)



 自分たちの運が良かった、というわけでない。
 笛吹隊長はやっぱり運が悪いのだ、とブレイズは昨夜のことで確信していた。
 水飛沫は、笛吹から2メートルも離れていない所にいたブレイズとリーには、ほんの少ししかかからなかったのだ。
 頭から足までぐっしょり濡れそぼって、「どうして俺だけ……」と呟く黒髪の青年の姿は、哀れみを誘うどころか、もはやギャグだった。
 ルークがわざと狙ってやったのではないだろうかと思ったくらいだったが、ブレイズの大爆笑に気付いて駆けつけたルークは、2人と1匹がここにいたことを全く知らなかったようで、「水をかけたのは貴様だ!シノブに謝れ!」と見当違いも甚だしいことを言いながら、噴水に頭から突っ込んでいた男をさらにボコボコにしていた。
 「あそこまで運がないと、病気の回復についても運の無さを発揮するかもしれないね」
 「たとえばたとえば?」
 「熱が下がりかけて、ようやくご飯が食べれるぞーって喜びながら口にしたおかゆに入っていた野菜が腐っててお腹を壊すとか、やっとベッドから起き上がれるようになったぞーって喜んでるときに隕石が頭に直撃するとか」
 「ウスイさん、ウンがなくてかわいそうなのー」
 「ほんと可哀想だよねー。だからお見舞いに行ってあげよう!」
 「それがいいのー!」
 右肩でふかふかと動くリーを撫でて、ブレイズは微笑んだ。


 「ウスイさーん、ウスイさーん、おみまいにきたのー!」
 リーがベッドにぴょいっと飛び乗り、布団の上で2,3回跳ねた。
 布団の下では、笛吹が壁側を向いて体を横にしていた。
 鳥のさえずるような呼びかけに、黒髪の青年は布団から顔を出すと、熱く腫れぼったい瞼を少し持ち上げた。
 潤んだ蒼い瞳が微かに覗く。
 「リー……ブレイズも……」
 「ウスイさーん、おみまいなのー」
 笛吹の力の無い掠れた声に、リーはさっきよりも声をひそめて言った。
 「だいじょうぶ?ねぇだいじょうぶ?とっても苦しそうなのー」
 「熱がかなり高そうだね」
 ブレイズが笛吹の額に手を乗せると、焼きたてのロールパンのように熱かった。
 「ってか熱ッ!すっごいアツッ!40度以上あるんじゃないのこれ!医務室行った?」
 「……ううん」
 あまりの熱さに驚くブレイズに、笛吹はぼんやりと答える。
 「……行ってない。行きたくないし……けど寝てれば治るよ。……風邪がうつるかもしれないから、もう行きなよ。来てくれてありがとう」
 「だめだよー!ただ寝て治すなんて、そんなの自然治癒力が馬鹿みたいに高いカストル系の奴等がやることだよ!僕たちみたいな繊細でつつけば折れんばかりの61α系は、ちゃんと治療しなくちゃ!」
 「しなくちゃだわ!」
 弱々しく笑みを浮かべる笛吹に、少年と小動物は奮起した。
 「ていうか僕が治してあげるよ!」
 「えっ、ブレイズ、お前、医師免許まで持ってたっけ……?」
 「持ってないよ!でも僕にはとっておきの秘密兵器があるんだ!」
 「秘密兵器……?」
 「そうっ!だから隊長は安心して僕たちの看護を受けてればいいの!」
 「そうなのー!わたしとブレイズで、いっしょうけんめいカンゴするのー!」
 「さ、眠った眠った!あとは僕たちに任せておいて!起きたら全てが良くなっているよ!」
 「……あ、ありがとう。迷惑かけてすまない」
 苦しい息の下、嬉しそうに言う笛吹に、ブレイズは芝居がかかった口調で返答した。
 「それは言わない約束でしょおとっつぁん!」
 

:::


 「ブレイズ、ブレイズ、おとっつぁんって何?」
 「父親のことだよ。ああいうシチュエーションではああ言うのが地球人のお約束なんだよ」
 笛吹の部屋のキッチンで手を洗いながら、ブレイズは少々偏った知識を披露した。
 薄い水色の花の刺繍が入った綿タオルで手を拭くと、持ってきた紙袋の中から、古びた一冊の本を取り出す。
 「じゃんじゃじゃーん!秘密兵器登場!」
 本のタイトルは、「ウメおばあちゃんの知恵袋」だ。
 表紙には、ひょろひょろのフォントのタイトルの下、頭のてっぺんで白髪を団子状に結ってかんざしを挿し、正座してお茶をすすっている老婆の可愛らしいイラストが描かれている。
 おそらくこの老婆が『ウメおばあちゃん』なのだろう。
 地球人のアジア地区に伝わる民間療法の記された本で、火星のアジア街の古本屋で買ったものだ。
 「すごいんだよこの本!医者に診てもらわなくても、身近にあるもので病気を治療してしまうという、地球人の知恵の集大成なんだ!」
 「ウメおばあちゃんすごいのー!」
 「エイリアンハーフに効くかどうかは疑問が残るところだけど、まぁ多分大丈夫!試行錯誤の上に今の文明が成り立っているんだ!過ちを恐れちゃいけないってね!さぁレッツトライだ!」
 自分が風邪を引いたわけではないブレイズは、嬉々として本のページをめくった。


:::


 頬に何か、さわさわしたものが触れた。
 朦朧とした意識を刺激したそれが何なのか、笛吹は重たいまぶたを開けると、そちらを見ようとした。
 と、小鳥がさえずるような声が、笛吹の意識を完全に覚醒させた。
 「あっ、ウスイさん動いちゃだめなのー!」
 「……えっ?」
 「お花さんたちがつぶれちゃうのー!」
 「…………えぇっ!?」
 もぞもぞと動こうとした笛吹は、慌てて全身の筋肉にストップ命令を出した。
 視界の隅……自分の顔のすぐ傍に、白いカスミソウがちらちらと見える。
 「な、なに、……なんなんだ一体」
 「お花さんたちを、飾ってるところなのー」
 「飾るって……」
 「ウスイさんを花でいっぱいにしてあげるの!そしたら幸せでしょ?」
 ベッドに横たわるウスイの視界に、ぴょこぴょことリーが飛び回る姿が入る。
 どうやら見舞いのため持参した花を、眠る笛吹の周囲に置いているようだ。
 キッチンから、まな板の上で何かを切っている音がする。
 姿の見えないブレイズが、おそらく何か作ってくれているのだろう。
 「うん、ありがとう……とっても幸せだよ……」
 小動物の心優しさに、笛吹は笑みを浮かべた。
 花に包まれ、確かに幸せだ。
 が、寝にくいことこの上ない。
 花が気になって身動きが取れないのである。
 どうしたものか。笛吹は少し考えてから、リーに優しく言った。
 「でもな、リー、花ってのは花瓶に挿して、水をあげなくちゃ、すぐに死んじゃうんだ……」
 「えっ、しょうにゃの!?」
 口に白百合をくわえたリーが、ライトグリーンの瞳をうるうるさせながら、笛吹を見た。
 「あちゃし、しょんにゃことしりゃなくて……」
 「あ、別にお花さんはまだ死んでないから!ブレイズに言って、花瓶に挿してもらってくれないかな。そこのライトスタンドの横に置いたら、寝た状態からでも俺、花を見ることができるから」
 「わかったのー!」
 口から百合の花をぽとりと落として元気よく了解したリーに、笛吹はほっとした。
 不用意にリーを傷つけたくなかったし、そのことによってブレイズ少年にいたずらの猛攻撃を受けたくなかったからだ。
 たったの今まで泣きそうだったリーは、もうニコニコ顔になり、ぴょいっと笛吹の上から床に下りると、ブレイズがいるキッチンに向かおうとして、ふと動きを止めた。

 「お花さんは花瓶に入ってたら、大丈夫なのね?」
 「そうだよ」
 「わたし知ってるの!ウスイさんがとっても好きなお花さんを持ってきてあげる!」
 「?」
 リーの声が聞こえなくなったかと思うと、しばらくして、何かを引きずる音が聞こえた。
 「リー?」
 「もうちょっとなのー」
 ベッドのすぐ傍で、リーの声が聞こえた。
 と思うと、白い小動物が、尻尾と胴体を使って小さな植木鉢を抱え込みながら、ベッドの上にぴょいと飛び乗った。

 「じゃーん!これならウスイさんのすぐ傍に置いても問題ナッシングなのー!」
 
 リーが持っていたのは、笛吹のエウロパピクシーサボテンの鉢だった。
 笛吹が最も愛してやまない植物で、小さくて、愛らしくて、そしてサボテンなので棘がびっしり生えている。
 嫌な予感に笛吹の顔がひきつった。

 「置いたげるのー!」
 「いいよっありがとう!でもサボテンに風邪がうつっちゃうといけないから、元のところに戻して置いてあげようね!」
 「ウスイさんは熱で頭がおかしくなってるのー!サボテンは風邪をひかないの!」
 「いやっ、そうじゃなくて、それはまずい!サボテンには棘がっ、あー」

 目前に迫るエウロパピクシーサボテンの棘。

 布団から手を出そうにも、傍らに置かれっぱなしの百合やらなんやらの花を潰しそうでできない。
 起き上がれば、笛吹の上に乗った状態のリーが、サボテンの鉢を抱えたまま転がって怪我をしそうだ。
 笛吹はサイコキネシスを使って、リーの動きを止めようとした。
 そのとき、笛吹の顔に影が落ちた。

 「病人が能力使っちゃだめだよ」

 キッチンからブレイズが戻ってきたのだ。
 
 「リー、笛吹さんの顔に棘が刺さっちゃうかもしれないから、それは元どおりにしておこうね」
 「とげが?」
 「リーはふわふわした毛に守られてるから大丈夫だけど、笛吹隊長や僕は、触ったら刺さって痛いんだ」
 「そうなの!?ごめんなさーい!」
 リーの声とともに、視界から消えた棘に心から安堵しながら、笛吹はブレイズを見上げた。
 「助かった……」
 「はい、氷枕」
 ブレイズは、笛吹の枕と、自分が用意してきた氷枕を交換してやった。
 「そしてこれ」
 「?」
 ブレイズが差し出したのは、10センチくらいの長さに切りそろえられたネギだった。
 「これを首にまくと、風邪に効くんだよ。はい、身体起こして!」
 「は……ネギを?」
 自分の首の周りに、紐でネギを縛りつける少年に、笛吹は不審を隠せない様子だ。
 「これ、本当に効くのか?」
 「うん、医学書にそう書いてあるんだ!」
 ネギの匂いが笛吹の鼻を刺激する。
 気持ち悪かったが、天才少年が言うことなのだから間違いないだろう。
 熱のせいで抵抗する元気も全く無い笛吹は、されるがままにしておいた。
 ようやくネギを巻き終えると、少年は今度は梅干の瓶を取り出した。
 「これをおでこに貼り付けると、熱が下がりやすくなるんだよ」
 「……ちょっと待て」
 笛吹は顔をこわばらせた。
 「……それも医学書に載っているのか?」
 「そうだよ!」
 「その医学書、見せてくれないか?」
 「熱が下がったらね!はい、笛吹さん大人しくしてー」
 「ま、待て!医学的根拠を聞かせてくれ!ネギの何の成分が風邪に効くのか、梅干のどんな成分が熱を下げるのに効くのかを……」
 「もう、病人なんだから静かにしてなくちゃー!」
 悪あがきする笛吹に、ブレイズは口を尖らせると、頭の中で素早く描いた風景を笛吹の脳に送りつけた。

 「ブレイズ、ブレイズ、何のイリュージョン?」
 「花畑だよ。笛吹さんにはこれが一番!」
 どこか遠くを見ながら次第に顔を緩ませる笛吹に、リーは、「ウスイさん、ほんとにうれしそうなのー」と言った。
 「これでサボテンさんにとげが無かったらもっとヨカッタの!」
 「ようしっ、出血大サービス!笛吹隊長が今いる花畑に、棘の無いサボテンも入れてあげちゃおう!」
 「キャー!ウスイさんもっとよろこぶと思うわ!」
 「そして梅干を頭に乗っけたら……完璧だ!明日にはきっと元気になってるよ!」
 「カンペキなのー!」
 




→パーフェクト!!

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