乙姫3

乙姫






 上を見上げると、朝方、空を分厚く覆い隠していた乱層雲はどこかに流れていったのか、かわりに白い巻層雲が海のほうから薄っすらと流れてきていた。
 雲を透かして見える水色の空には、南東に61αの白い太陽が浮かび、煌々と惜しみなく光と熱を放出している。
 元々その白い太陽こそ、テラでいう61α星である。
 その他エイトコミューンに属する種族でも、カストル、ベテルギウス、フォーマルハウト、シェダルの4種はそれぞれの星の太陽の名をテラ語では種族名に用いられている。
 テラ語で61αという名前で呼ばれていると知ったとき、アイリーンはもっとかっこいい名前をつけてくれればよかったのにと思ったものだ。
 「数字と記号なんて、その他大勢を分類するために便宜的につけた名前って感じじゃない。カストルなんてテラの神話に登場するキャラの名前なのよ、羨ましくない?いっそテラに存在を知られてなかった星だったなら、新しく名前を考えてもらえたでしょうに。下手に見える範囲内にあったから、その他大勢みたいな名前になったのよ。」
 アイリーンは度々幼馴染にそう語った。
 ウーヴェはというと、アイリーンに言われて初めて「そういうものなのかな?」と思う程度だったのだが、アイスグリーンの瞳に見つめられて度々聞かされるうち、今では「そうだな」と首を縦に振るようになっていた。説得されたのか、彼女の能力によるものなのかは定かではないのだが。
  
 神託(?)を聞いてから、2週間が経っていた。
 今、アイリーンは町外れの小高い丘の中腹に立っている。
 視線を空から下に移すと、穏やかな田園風景が広がっていた。
 61α人の主食であるコットフという芋に似た食物の畑が殆どで、あと1ヶ月もすれば収穫といったところだ。膝下ほどの高さに濃緑の葉が生い茂り、地面を覆い隠していた。
 碁盤目状にきっちり区画整理されている畑には、等間隔に道が走っている。
 農道は、石を敷き詰めて舗装されていた。その上を、サンダルを履いた人々が手ぶらでてくてくと歩いている。
 人々は男女別無く、膝丈の貫頭衣を着込み、その上から皮製のベルトを締め、下半身にはゆったりとしたズボンを着込んでいる。これが61α人の一般的な普段着なのだが、色が若干違う程度でバラエティに富んでいるとは決して言えない。装飾具なども最近テラから輸入されるようになったのだが、音楽ほどは広まっていないようである。
 それは、彼らは着飾る必要が無かったからだ。
 結論だけ聞けば、テラ人の多くが「そりゃ着飾る必要が無いほどの美形ぞろいだからな」と妬み混じりに頷くのだが、それは勘違いである。テラ人の基準から見て61α人は平均的に美しいのであって、61α人にしてみれば普通の容貌なのだから。
 装飾の必要の無さは、外見的な要因ではなく、61α人の内面に問題があった。
 彼らは外見に重きを置かない。というよりも、己を他者と比較して優劣をつけることがない、ただそれだけのことなのだ。
 そしてこの種族の個性の無さ……自己主張及びアイデンティティの決定的な欠如は、競争力の低さを同時に示し、宇宙進出時代において種の滅亡を招くことになる、とアイリーンは確信している。
 そして、そういう考えをもつアイリーンに神託が下ったのは、彼女の懸念が当たっているということなのではないだろうか。

   この2週間、アイリーンは自分が今後採るべき行動……味方作りについて、ひたすら考えていた。
 恐怖の具体的な正体がつかめないため、方策を立てることすらままならない。
 ひとまず、ウーヴェを仲間にしたので、物理的な攻撃の応酬になったとしても、問題は無いだろう。Aランクのサイコキネシス保持者は、エイトコミューンの中でもそうはいないので、心強い味方である。
 ウーヴェが幼馴染だったことを、アイリーンは『声』に感謝した。
 『声』=『神』であり、神がアイリーンを偉人にすべく、最初の味方を取り計らってくれたのに違いない。
 PK能力者はひとまずOKとして、次にESP能力者も充実させたいところである。こちらも目処は立っていた。
 今日の計画について、もう一度アイリーンが頭の中でシミュレーションしようとしたとき、なだらかな丘の斜面を歩いて登ってくる2つの人影が目に入った。
 一人は、幼馴染のウーヴェである。
 61α人の中でも目立つメタリックな輝きを帯びた赤銅色の髪は、海から吹く風に弄ばれてもぐしゃぐしゃにならず、薄い陽の光を反射して遠目にも美しかった。
 そして、ウーヴェの隣を歩くもう一つの小柄な人影。
 同級生のテレパシスト、マッシムガルカンナである。
 赤味を帯びたふわふわの金髪の少女は、アイリーンに手を振りながら駆け寄ると、春の陽だまりのような笑みを浮かべた。

 「こんにちは、アイリーン。私も誘ってくれてありがとう」
 「マッシムがバーティルのファンだって小耳に挟んだものだから、是非とも一緒にと思って」
 「彼の歌、とっても素敵よね」

 マッシムことマシムガルカンナは、Bクラスのテレパスの他に、Dクラスのサイコメトリ(物体の記憶を読む能力)も持っていた。61α人の中では少ないESP能力者であり、アイリーンに目をつけられた件の哀れな候補者でもあった。
 彼女は、テレパシストの両親の元で育ち、テレパシストとして最高の教育を受けてきた、完璧なテレパシストである。意識して読もうとしない限り、人の心や感情を勝手に読むなどという失態は、日常生活において全く無いと言ってもいい。
 それが今、災いとなっている。
 向かい合っているクラスメイトが野望に心を滾らせているなど、露とも知らない小柄な少女は、大好きな歌手に会わせてもらえると聞いて、ただ純粋に喜んでいる。
 その細っこい背中を見ながら、ウーヴェは複雑そうな表情を浮かべた。
 幼馴染のサイドブレーキを自認している彼は、アイリーンの迷惑な思惑を知りながら、善良なクラスメイトを巻き込もうとしているのを、みすみす見逃そうとしている現況に、良心をちくちく痛めているのである。
 自分は、アイリーンの野望を知っているし、これから面倒ごとが起こるだろうことを、アイリーンと共に成長してきた経験から予感しているし、そうと分かっていてもアイリーンの恐怖とやらを取り除いてやりたいし、味方になると決意したからいいのだ。しかし、マッシムは、決意をするどころか、アイリーンの野望を知りもしないのである。そう、今朝、アイリーンに進言したのだが、「私の偉大な計画を聞けば、誰だって進んで協力してくれるわよ。ひとまず今は仲良くなるのが先決なんだから」と、しれっとした口調で返された。気の無い笑みは、協力しないと言うのであれば、力づくでどうにでもなるし……という言外の思惑を含んでいた……。
 
 「やけに遅かったじゃない」
 アイリーンの声に、ウーヴェがはっと顔を上げた。
 「なによ、ぼーっとして」
 「あぁ……掃除のあとでタリアノ先生に呼ばれた」
 「何か失敗でもしたの?」
 「ここ最近、僕の様子がおかしかったらしくて、何かあったのかと心配された」
 「ええ、変よ。ずっとぼんやり上の空なんだもの」
 マッシムがくすりと笑った。
 「私も心配したのだけど、無用だったみたいね。だってバーティルに会えるんですもの。ぼんやりするのも仕方が無いわ」
 勘違いしたままニコニコ笑っているテレパシストに、ウーヴェは複雑な笑みで答えたが、心の中は「黙っている僕を許せ、マッシム……!」と悶えている。
 反面、アイリーンに神託を授けた輩の正体を、彼女の能力が看破してくれるのではないか、と少し期待してもいた。
 ほんの少し、である。
 話を聞くに、アイリーンを惑わしたテレパシストの能力の方が高そうだからだ。 テレパシストが存在せず、『声』がアイリーンの妄想の産物だったら……問題はあるが、それはそれで一件落着だろう。 
 
 「それじゃぁ行きましょうか」

 マッシムに、罪の無い笑顔を返しながらアイリーンが歩き出した。

 今をときめく61αの新星、バーティルの凱旋ライブに行こうとアイリーンが言い出したのは、8日も前のことだった。
 アイリーンは、別にバーティルのファンではない。
 『危機』を作詞・作曲したバーティルに、彼の唄う『敵』とは誰なのか、ただそれを参考までに訊きたいだけだ、と彼女はウーヴェに説明した。
 ついでに味方候補のマッシムも同行させて、ただのクラスメイトに過ぎない関係のところを親睦を深めて絆を結び、さらにライブチケットを無料でプレゼントして恩を売ろうというのである。
 そのために、アイリーンは、彼女に恋焦がれる少年の一人におねだりして、3日間しかない凱旋ライブの最終日のチケットを手に入れたのだ。(マッシムはアイリーンにではなく、その少年に恩を感じるべきである)
 ちなみにその少年は、裕福な家の子供で、彼女にしょっちゅうカモにされている。それでも彼は、アイスグリーンの瞳でじっと見つめられると、彼女の為に奔走せずにいられなくなるのである。今回も、3日間しかない凱旋ライブの最終日のチケットを、彼の父親のコネを駆使して3枚も手に入れた。しかし、アイリーンはその3枚を、自分、ウーヴェ、そしてマッシムのものにした。少年の能力はサイコキネシスのCランク。彼女の計画の中心には必要が無いとみなされたのだ。
 自分が一緒にライブに行けないとわかっても、私の役に立てて喜んでいたからいいの、とアイリーンはウーヴェに自慢げにでもなく、ただ淡々と話した。
 アイリーンは、他人は自分に利用されるために存在するとでも考えているのではないだろうか。
 もし、自分がAランクの能力者でなかったら、今のような関係は築けていなかったのだろうか。
 彼女の、他人に対する冷淡な態度を見るにつけてウーヴェは考える。


:::

 
 3人は、丘の頂上にあるポートマスターの家へ足を運んだ。
 アイリーンの住む町……ハルカナのマスターは、30代後半の青い髪の男だ。

 「グァレルシティ?結構距離があるね。そんな遠くまで3人揃ってお出かけとは、どうしたの?」

 ポートマスターとは、各町で最もテレポート能力の高い者が選ばれる職業で、住民たちが遠くへ出掛ける際、移動させるためにその能力を揮う。大きい町になると10人は常駐しているが、ハルカナは田舎の小さな町で、人口は1千人にも満たず、人々の生活が自給自足を基本としているので、町の中での生活だけで事足りるため使用頻度が少ないこともあって、マスターは一人しかいない。勿論、ポートマスターに頼まなくても、5人に一人の確率でテレポート能力を保持する61α人は、10キロ程度の距離であれば自力で移動することが出来る。しかし30キロ以上の移動だったり、一度に大人数での移動の場合はマスターにほぼ頼っている。
 アイリーンたちが今回目指すのは、ハルカナから700キロほど離れたところにある大都市グァレル。
 出掛ける理由を話さなくてはならない義務など無いのだが、マスターは詮索する風では勿論無く、親しみのこもった声で3人に話しかけた。ハルカナのような小さな町の玄関口でもあるマスターは、町の全住民の顔と名前を把握しているのだ。

 「バーティルに会いに行くのです」
 夢見るような表情で、マッシムが答える。 
 「バーティル?あの『危機』を歌ってる?」
 「そうなのです!私もウーヴェもアイリーンも、彼の歌がとても好きで、所謂ファンなのです」
 「へぇ、君たちがああいう歌を好きだなんて意外だな。特にマッシムちゃんは」
 「?過激でしょうか」
 首をかしげるマッシムに、青い髪のポートマスターは顎をさすりながら頷いた。
 「君みたいな人一倍おっとりした子が聴く曲には聴こえなくてね。僕はもっとゆったりした曲が好きだな。ほら、『危機』のカップリング曲の『母星』とか。あれの方が僕は好み」
 「ああ、あの歌も素敵ですよね!頭が蕩けそうになります!」
 「……僕はやっぱり『危機』が一番好きです」
 バーティルの曲談義に、ついにウーヴェまで口を出し始めた。
 早く出発したくてならないアイリーンは、天使のような微笑を顔に貼り付け、「早く出発しないとバーティルに会えないわよ」と内心のイライラを全く感じさせない穏やかな声で3人に声をかけた。
 「おっといけないいけない」
 美少女アイリーンの優しげなたしなめに、マスターは頭をかく。
 「話に花を咲かせて仕事を忘れるところだった!3人一度に飛ばすとなると、私の力ではカウファメンドくらいが安全かな。あそこのポートマスターは私よりも力があるから、一気にジーリまで飛ばせてもらえると思うよ。そこからグァレルに飛んだらいい」

 マスターはグァレルまでの経由プランを組み立てると、靴箱の上に置いてあった帳面に、3人の名前をそれぞれ記入させ、行き先の欄に「カウファメンド」と自分で書いてから、訪問者を奥の部屋に通した。
 部屋は丁度木造家屋の中央に位置し、窓は無く、天井にはめ込まれた電灯が、何も無い部屋の中を照らしている。
 8メートル四方の部屋の中央部分の床には、半径2メートル程の白い円が描かれていた。アイリーンたちはその円の真ん中に立った。テレポートという力は、空間にではなく、物質に作用する。対象物のみに作用させる事が可能なのだから、白い円の中でなくても、また玄関ででも、外でも、どこでも発動OKなのだが、だからと言って、あちこちに飛ばそうものなら、飛ばした先に人やものがあった場合、混ざってしまうという事故が起こってしまう。
 部屋に入ってすぐ右の壁に、スイッチが6つほどある。その一つ、カウファメンドと書かれたプレートの上のスイッチを押すと、リーン、リーンと、大きな鈴を振るような音が部屋の中に響いた。この音は、カウファメンドのポートマスターの家の中でも鳴っている筈だ。こうして、カウファメンドのポートマスターは、ハルカナからテレポートがあることを知り、自分のテレポートの客を部屋の中に入れないようにするのである。ちなみに各町ごとに、チャイムの音は違うらしい。

 「カウファメンドまで3人一斉に飛ばすよ。君たちは確か全員テレポートを使えなかったね」
 「ええ、1度テレポートしたら、次のテレポートまで10分以上間を置くこと、でしょう?耳にタコができるくらい聞いたし、言われなくてもそうします」
 生意気な態度のアイリーンの腕を、「こら」とウーヴェが軽くつねったが、小娘の言うことなど気にした風もなく、マスターはうんうんと頷いた。
 「なら結構。ライブに間に合わなそうになっても無理は禁物だからね」

 そうこう話しているうちに、パララーンというチャイムの音がなった。カウファメンドのマスターからのOKの合図である。
 ハルカナのマスターが、右手を3人に突き出した。
 人の良さそうな青い髪の男の輪郭が揺らぐ。

 「いってらっしゃい」
 マスターの声は、薄い膜を通したかのように聞こえた。
 次にくる感覚を想像し、アイリーンは両手に作った握りこぶしにぎゅっと力をこめる。
 目の前に陽炎が立ち上ったかのように見えた次の瞬間、強い酩酊感がアイリーンを襲った。
 思わず目を閉じた。
 それは時間にして2秒にも満たない、一瞬の出来事である。
 だがアイリーンは、この上も下も分からない無重力空間に投げ出されたような感覚が、何度経験しても苦手だった。
 こういうところも、自分は61α人らしくないのだろうか、と彼女は自嘲気味に思うのだ。
 「アイリーン」
 名前を呼ばれて、アイリーンは硬く瞑っていた目を開けた。
 「大丈夫か?」
 気遣うようなウーヴェの顔が見えた。
 テレポートが終わったようである。
 「大丈夫」
 3人は、先ほどと同じような部屋の中に立っていた。
 足元には白い円がある。
 木の壁で、何も無いのは同じだが、部屋の広さが若干違うように見える。カウファメンドのポートマスターの家の中なのだろう。
 アイリーンは意識にかかるぼんやりとした不快な霞を追い払おうと、額に右手をやり頭を振った。その様子を見て、赤銅色の髪の少年は言った。
 「僕はアイリーンとマッシム二人を連れて長時間空を飛ぶくらいわけないけれど」
 「別にテレポートなんてどうってことないわ。私が苦手にしているとでも思ってるの?それにグァレルまで飛んでいくなんて時間がかかるし寒いわよ」
 苦手なことがある、と思われるのは、アイリーンには屈辱だった。
 偉人になるためにも、能力の弱さを補うためにも、彼女はあらゆることにおいてパーフェクトでなければならなかったからだ。
 別に過去の偉人たちが皆そうだったとか、そういう決まりがあるというわけではないのだが、彼女は小さな頃から固くそう信じていた。偉人という目標が無くても、アイリーンはそうしていただろう。彼女はひねくれている上、自尊心が人一倍高いのだ。
 であるからして、
 「え、アイリーン、気分が悪いの?テレポート酔いした?」
 マッシムが心の底から心配して声をかけてこようが、アイリーンは感謝するでもなく、むしろ苛立ちすら感じるのである。
 「大丈夫よマッシム、テレポートが久々だったからちょっとふらついただけ」
 「よかった。無理はしちゃ駄目よ。私の肩に捕まる?」
 「本当に大丈夫だから」
 「でもウーヴェが困ってるわよ」
 穏やかに微笑むマッシムの言葉に、アイリーンは、自分の左手がウーヴェの服の裾を固く握り締めていることに気付いた。
 舌打ちをやっとのことでこらえると、アイリーンはウーヴェの顔を見ずに左手を離した。