乙姫5
乙姫
5
アイリーンにとっては、得体の知れぬ恐怖に対抗するため、神託に従い味方を作ることが何よりも優先すべき事項である。
目下、彼女にとっての形ある恐怖にして敵は、仮想ではあるがテラ人となった。
『声』の示唆する恐怖が本当のところ何なのか、アイリーンはつかめていない、
しかし、いつ恐怖が現われてもいいように、早急に味方を作る必要があり、団結を促すためにも、仮想であれ敵の存在が必要だった。
敵は何でもよかった。
テラ人と狙い定めたのには、彼女のコンプレックスが起因していた。
これは、61α人に対して、愛と憎しみの二律背反の想いを抱く彼女が、61α人が自立の一歩を踏み出せば、己の中の憎しみを昇華できるだろうと考えた挙句の結論だった。
また、61α人の自立を阻む壁を壊すという大業を成し遂げれば、彼女は61α人たちから尊敬と畏怖を勝ち取り、『偉人』として名を連ねるだろう。それは彼女の小さな頃からの夢である。
61α人に認められたい。
彼女が心に溜め込んでいたその想いに、『声』は、行動を起こすきっかけを与えたのだ。
アイリーンの決断は、ギルティスとの会話で確固たるものとなった。
バーティルの歌の歌詞は、61α人の敵はテラ人だと暗に示唆し、その歌に61α人達は熱狂している。61α人は意識していないものの、テラ人を心のどこかで敵と認識しているのではないか。
そう、61α人の敵はテラ人なのだ!
『あの恐怖』の正体は、テラ人かもしれないし、そうでないかもしれない。
しかし、彼女は『あの恐怖』から逃れるため、仲間を作らなくてはならない。
61αの敵……エイトコミューンに君臨するテラ人は、規模・権力など全てにおいて最高の仮想の敵である。
これだけ大きな敵を打ち負かせば、『あの恐怖』も恐るるに足らないはずだ……!
彼女は、そう考えていた。
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「こんにちわ、ちょっとお訊きしたいことがあるんですけど……」
「……アイリーン、通じてない」
「あら、この人、61αで仕事をしているのに61α語がわからないの?」
「僕たちの言語はテラやカストルと発声方法自体かなり違うから、彼らに理解しろと言う方が無理なんだよ。僕らがテラ語かカストル語を話すべきだ」
「えー、面倒ね」
「アイリーン、この人良くない事を考えているの。私たちを売り飛ばしたらお金になるなーですって」
「売り飛ばすぅ?」
「えぇ本当よ。タイタンの仲介業者に3人まとめて売り飛ばしたら億万長者だとか、とにかくとても邪な妄想しているの」
「下衆だな。人身売買など、許されるはずが無い。タイタン政府はそんな業者を放置しているのか」
「ふーん、いーじゃない、利用できるわ」
「……アイリーン、君、またくだらないことを企んでいるだろう……」
「くだらなくないわよ。いい?テラ語で会話するわよ。エイトコミューンの公用語だしこの人にも通じるでしょ。私たちはカストル語は挨拶程度しかできないってことで。マッシムはテレパシストじゃなくてDランクのエンパス、ウーヴェはDランクのサイコキネシスしか持ってないふりをする。二人とも、頭悪そうに見えるくらいにこやかにね」
目の前でこんな会話が繰り広げられているとは、会場裏門警備担当のガウスは思ってもいない。
カストル人の彼には、超高音でさえずる様な発声をする61α語を、全く理解できないからだ。
別に彼が無能だとかそういうわけではなく、61α語の発声も、聞き取りも、ウーヴェが今しがた言ったとおり無理なのである。つまり、61α語は61α人にしか習得できない言語なのだ。
だから、ガウスはアイリーンの言葉を理解できなかった事を恥じる必要は無い。
彼が恥じるべきなのは、目の前に立つ3人を売り飛ばす算段を思い巡らしていることについてである。
テラ人は、太陽系連邦のあちこちの星に掃いて捨てるほどおり、治安の悪い都市では路上生活している子供たちまでいる。そういうストリートチルドレンたちを言いくるめて、人身売買を生業とする知り合いのブローカーの元へ連れて行って金をもらう……そんなことをガウスは今まで何度もしてきた。
売られた子供たちが、どう扱われているかなどは、彼の知ったことではない。金持ちの悪趣味な玩具になるのかもしれないし、臓器を高額で売りさばいているのかもしれない。
ガウスは目の前の3人の61α人の少年少女たちを見た。
揃いも揃って上玉である。
特に中央の金髪の少女は、見ているだけでくらくらするほどの超ド級の美貌の持ち主だ。
(こんな3人を業者に渡せたら、どれだけ金がもらえるんだろう……!しかし61α人をこの星から拉致るのは難しいだろうな。まぁ俺、マイ・宇宙船に乗ってきたし、ジャミングとりつけたら港での検問にはひっかからないだろうけど……んー、でもこいつらわけのわからねぇ特殊能力だってあるだろうから無理だな無理)
意志決定力に欠ける61α人は、テラ人の繰り人形だと影で言われている。
エイトコミューンに属する種族内では、ダントツに頭の良い種族なのだが、テラ人などにあーだこーだと指図されると、何故か逆らえずにそのとおりに働いてしまうのだ。これをテラ人の学者たちは『偉人コンプレックス』などと名付けて分析している。
頭脳も特殊能力も秀でた種族だけに、テラ人に対して下手に出すぎるにも程がある、とエイトコミューン内で危機感を持つ者は多い。
超能力を操る子羊たちが、不心得者に拉致されて好い様に使われないよう、『61α人を61α星から簡単に出しちゃ駄目』とエイトコミューンからお達しがあるくらいである。そういうわけなので、61α星の入国・出国審査は異種族にも61α人にも非常に厳しく、仕事以外で61α人が外に出てくる事はまず無い。
(しっかしさっきからこいつら俺の前で何をピーチクパーチク言ってやがるんだ?61α人ってマジでなに考えてるかわかんねーよ。あーぁ、でも売ったらホントいい値つくんだろうな。この仕事の20倍くらいの金を一気に稼げるんじゃねー?いや、100倍か!?……まぁ叔父貴の紹介とは言え、こんな金になる警備の仕事にありつけただけでもよしとするか。……でもでも、こいつら売ったらもっともっと金になるんだよなぁっ!ローンの返済に充てても余りまくりだぜっ!?)
金・金・金の妄想を膨らますガウス。
自分の妄想が、一番小柄な61α人の少女に垂れ流しであることなど露とも知らない。
(豪邸を買えるな。宇宙船も買えちゃったり?金持ちになりゃぁ好い女も選び放題だぜ!?あひゃひゃひゃーっ!)
あひゃひゃひゃーなんて下品な笑いを今まで聞いたことなかったマッシムは、驚いて隣にいたアイリーンの手を思わず握った。
握られたアイリーンは、マッシムの行動の理由を概ね察知し、「大丈夫よ」とマッシムの肩を撫でてあげると、頭3つ以上高いところにある男の顔を再度見上げた。
『こんにちわ、私の話す言葉、通じますか?』
『あ、あぁ……何かようかい?』
中央の美少女が、突如流暢なテラ語を話し始めたので、ガウスは妄想をストップさせると会場警備モードに心のスイッチを切り替えた。
彼はカストル人だが、アイリーンの推測どおり、宇宙に出て働く上での必要から、エイトコミューンの公用語であるテラ語は不自由無い程度に話すことが出来た。
『ちょっとお訊きしたいことがあるんですけど』
『トイレならあっちだよ』
『いえ、トイレはいいんです。あの、私、実はカストル人の友達を作りたいんです』
『……はっ?なんて言った今?』と、唐突な話にガウスは聞き返した。
『カストル人の友達が欲しいって?』
『ええ、そう言いました。でも、61αでカストル人を見かけたことないし、難しくってなかなか……』
『そりゃそうだろうな。61αでのカストル人の求人なんてあまり聞かないし。外で仕事探すならテラだからなぁ』
『あぁ、やっぱり』
アイリーンは手を胸の前で組むと、ほんの少し、ガウスににじり寄った。
『61αでは難しいのよ。異文化交流が』
『はぁ』
『それでね、ものは相談なんですけど、私ね、この星を出たいんです』
『はぁっ!?』
これにはガウスのみならず、ウーヴェとマッシムも目を瞬かせた。
『61α星ってほら、閉鎖的でしょ。私、それが嫌なの。外に出て色んな人たちと語り合いたいの。レッツ・異文化交流よ』
『はぁ』
馬鹿の一つ覚えのように、ガウスは同じ返事を繰り返した。
『で、カストル人がたくさんいる星って、61αから一番近いところではどこになるのかしら?』
『そりゃぁ……タイタンだろうな』
言ってにやりと笑うガウスを見て、3人組は「やっぱり売り飛ばす気だ!」と確信した。
ウーヴェはこんな奴と話などしてられない、とばかりにアイリーンの腕をつついたが、幼馴染の忠告に構わず、美しい少女はガウスにさらににじり寄ると、腕に触れて顔を覗き込んだ。
アイスグリーンの双眸に力が漲る。
『あなたにお願いがあるの』
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テラ人を敵と想定し、実際にどう行動すればいいのか。
ひとまず、テラ人に太刀打ちできる味方を作る必要があった。
ギルティスに助言されるまで、アイリーンは味方は全て61α人で固めるつもりだった。
カストル人など、アホで野蛮で融通が利かないに違いないと馬鹿にしていたくらいである。
しかし考えてみれば、そんな欠点など、アイリーンが暗示をかければ問題無くなる。
ESPに免疫のある61α人よりも、カストル人の方が暗示をかけやすい。
それに、61α人は戦争の経験が無い。
実戦経験豊富な彼らがいれば、確かに心強いだろう……あれれ?61α人を味方にするよりメリット多くない?
そんなわけでアイリーンは、カストル人の味方を作ることに決めたのだ。
アイリーンは早速行動に出た。
エイトコミューンの許可の関係上、61α人の学生が他の星へ自由に出かけることなどまず無理だ。
61αの外に出るには、密航するのが一番手っ取り早い手段だと彼女は考えた。
彼女の能力を使って無理矢理ガウスに手伝ってもらおうと思っていたのだが、ガウスの方も彼女たちをタイタンに連れ出したいと都合よく考えていたので、少し力を使うだけで話はまとまった。
明後日、ガウスの船に乗せてもらい、タイタンへと発つ。
「大丈夫」
年老いた母親がいるウーヴェは言った。(年老いたと言ってもまだ40代半ば。61α人の寿命は平均50年程度なのだ)
「僕は君について行く」
「私も大丈夫よ」
両親共に健在のマッシムが微笑んだ。
「61α人のためだもの。私たちのすることを知ったらみんなびっくりするでしょうね。あぁ、もちろん誰にも言わないわ。こっそり家を出る」
アイリーンの二人の仲間は、急なタイタン行きを、気味の悪いほど快く承諾した。
家族や周囲に黙っての家出である。
精神操作しているマッシムはともかく、ウーヴェには渋られるかと思っていたので、アイリーンはほっと胸を撫で下ろした。
ハルカナに戻り、3人は帰路に着いた。
家の前でウーヴェと別れ、アイリーンは建てつけの悪い玄関のドアを開けた。
木製のドアがギィと軋んだ音をたてた。
玄関にはアイリーンの履くサンダルよりも一回り大きなそれが乱雑に脱ぎ捨てられており、1階奥の居間に灯りがついている。
アイリーンの身のうちで闇がざわついた。
不快に粘つくそれを押し込め、彼女は黙ったまま、2階にある自分の部屋に上がろうとした。
その背中に、『帰ったのか』と男のだみ声がかけられる。テラ語である。
アイリーンは立ち止まったが振り返らなかった。
床をギィ、ギィと踏み鳴らす音がだんだん近づき、アルコールの臭いが漂ってきた。
『こんな遅くまでどこに行ってたんだ』
『どこだっていいでしょ。あんたには関係ない』
テラ語で言い捨てると、アイリーンはさっさと駆け上がろうとした。しかし彼女の右腕を男の手がつかみ、階段から無理矢理引き摺り下ろした。
床に投げ出されたアイリーンに馬乗りになると、男は彼女の長い髪を鷲掴みにし引っ張る。
アイリーンの顔が苦痛に歪んだ。
『父親に向かってなんだその口の利き方は!』
酒臭い息と共に平手が振り下ろされ、彼女の頬を打ちすえる。
『誰のおかげで食っていけると思っているんだ!』
反対側の頬もはられた。
『混血のくせに、弱い、この、ただ飯食らいが!』
父親の目がアイリーンに突き刺さる。悲しみから酒に溺れた濁った目だ。
昔はもっと澄んだ目をしていた。
こんな無精ひげを伸び散らかせ、酒の臭いを撒き散らす小汚い男ではなく、テラ製のスーツを着こなす洒落た男だったのだ。
それが、アイリーンの母が死んで以来、こんな無様な姿に変わってしまった。
『何も出来ないくせに、いっちょ前の口利くんじゃねぇよ!』
床に頭を叩きつけられ、服を破られた。
アイリーンは自分の上の男を見上げた。
目は落ち窪み、頬はこそげ落ち、目だけが濁ってギラギラしている。
なんて醜悪な様だ。
私の身体にはこんな男の血が半分も流れている。
テラ人の血が。
アイリーンが自分の顔を見つめているのに気付き、男は一瞬怯んだ気配をみせたが、そんな自分にさらに怒り、アイリーンの腕を彼女の頭の上で強くひねり上げた。
アイリーンは歯を食いしばって、悲鳴を咽喉でこらえた。
こんな男が、テラ人が、61α人を支配している。
どうして61α人はテラ人を放っておくのか。
あまつさえ言いなりになるのか。
わたしには、この男を打ち倒す力は無い。
彼 ら に は そ の 力 が あ る の に !
……でももう大丈夫。
こんな男とも、あともう少しでさよならだ。
アイリーンはいつもどおり、心の闇にふたをする。
テラ人の父親などに支配される自分など、『偉人』としてあってはならないことなのだから。
支配されているのは61α人なのだ。
61α人を助けてやらなくてはならない。
彼らをテラ人から助けてやらなくては。
自分達の力を気付かせなくては。
そして……。