乙姫10

乙姫


10



 ダカルガの最大敵国であるホルトバーンが、テラ系の兵器を用いた戦争を仕掛けてくるようになったため、対抗策を練ろうと、兵器に詳しい科学者のテラ人、キザシ・アリモトを中心とした科学者グループをダカルガ国王が呼んだのは、今から10年前のことである。
 キザシは、間諜から得た情報により、ホルトバーンが保有するミサイルの射程距離や破壊力を割り出すと、対兵器戦に不慣れなダカルガ人に次々と方針を提案した。先々代前の国王時代から最新兵器等を取り入れ、軍備を充実させてきたホルトバーンとさすがに互角には張り合えないものの、現時点でダカルガは7つの主要都市全てに対物理シールドを設置し、ミサイルから身を守る術を得るまでになった。
 キザシがダカルガに呼ばれてから6年程経ったある日、ダカルガ軍総司令官のイース・カースレインと二人きりで話す機会がたまたまあった。
 首都アルシードの中央の巨大な丘陵に位置する王宮からは、町を取り囲む二重の煉瓦壁を越えて、農村地帯や防砂林の向こうに広がる砂漠まで眺望することができる。酸味のある果実水を片手に、二人は眼下に広がる景色を眺めながら、ホルトバーンの兵器がもたらす空気汚染、土壌汚染などの二次的な害について、一頻り話したあと、イースがぼそりと呟いた。
 「エイリアンハーフの力を上手く使えればいいのだが」
 キザシはうーんと唸った。
 「どんなに強くても、頭上に核爆弾が降ってきたら皆即死ですよ」
 カストル人を馬鹿にしているともとれる無神経な物言いだったが、イースは激せず、冷笑で応じた。
 「発射ボタンを押すのは所詮人間だ。押させる前に殺してしまえばいいだけのこと」
 「まぁ……確かに。総司令官であれば、ホルトバーンの基地にこっそり忍び込んで、それができるのではないですか?」
 「無謀だな。作戦決行には、俺くらいの力量の人間が最低でも5人は欲しい」
 「はぁ、そんな人間なかなかいないでしょうねぇ。エイリアンハーフは、力の面では申し分ありませんけど、情緒面で相当の不安がありますからねぇ」
 「潜在能力は計り知れないのにな……上手い方法は無いものかな」
 薄く笑ってはいるが、ため息混じりの口調からは、イースの切実な思いが推し量れた。5歳ばかり年下の総司令官の痩せて引き締まった横顔を見ながら、キザシは頭を捻った。
 「うーん、お役に立てるかわかりませんけど、それでしたら・・・・・・」
 キザシには、アカデミー時代からの友人に、人格矯正について研究していたシン・イエイという科学者がいた。
 犯罪者の社会復帰に役立てることを目的とした研究だったが、その方法から人権擁護団体や世論からのバッシングを浴び、研究は頓挫した。
 しかし、テラ政府軍や様々な組織が「兵隊造りに応用出来るだろコレ」と考え、シン・イエイの拉致合戦が始まった。その過程でシンの妻が巻き込まれて殺されてしまい、怒ったシンは研究データーを全て破棄し、あちこちの友人を頼りながら潜伏生活を続けているという。
 「あいつは、今、タイタンにいるらしいんですけど、テラの政府や軍の目を盗んで連れてくるのはさすがに難しいですよねぇ」
 「いや、・・・・・・ホルトバーンに潜り込むよりは、はるかに容易い」
 こうして二人の会話から10ヵ月後、キザシの説得とイースの金と権力の力により、シンはダカルガの地に降り立ったのである。

 現在シンは48歳。櫛を通していないぼさぼさのごま塩頭に、着古したよれよれの服、眼鏡の下の冴えない容貌には張り付いたへらへら笑い。真面目が服を着て科学者然としたキザシとは対極的な風貌で、一見アードアナの路地で酒に潰れて眠ってるオヤジと変わらないように見えるが、口を開けば意外にもちゃきちゃきとした言葉がマシンガンのように飛び出した。
 「で、政府や軍の垂涎の的、画期的天才的発明ってのが擬似人格定着装置、通称『グラコニル』、や。俺の飼ってた2匹の犬の名前からつけた。機械といえど、その方が親近感湧くやろ?シェパードのグランは賢くて力強く、コニールは少しお馬鹿だが人懐っこく勇猛果敢なレトリバーやった」
 そこで口を切り、シンは大きな食卓を取り囲む面々の顔をじろりと眺め回した。
 シンが身を寄せているカースレイン家の普段の食卓は、仕事で外にいることが多い宗主のイースや、自分の家を構えているジーン抜きで行われることが多く、またシンは、客室で食事をとることが多かった。
 だが今日は新しい客人を迎え、他家に嫁いだ長女のサリアラと地下の少年を除き、レンカルアを加えた家族全員が揃っていた。食卓には専属の料理人が腕を揮った数々の料理がずらりと並び、みな軍人一家らしく姿勢よく素早く食事をかっ込みながら、久々に本家で夕食をとるジーン夫妻と話してばかりで、何度も聞いたシンの話に真剣に耳を傾けようとする姿勢は誰にも見受けられなかったが、61αからの新しい客人たちは興味津々の様子である。中でも最も身を乗り出して聞いていたライオネスが、ハイと元気よく手を挙げてシンに質問した。
 「大型犬が好きだったんッスか?」
 「ずっと昔に小型犬を飼ってたこともあった。チワワや。目のうるうるしてるちっこいの。でもな、俺の親父が間違えて踏んづけてあの世送りにしたことがあって、あれ以来小型犬は弱っちいってゆーイメージが俺の中で出来上がってしまって、正直飼うのが怖い。大型犬だったら俺が間違えて踏んづけたところで弱ることはないやろ?ってか今までの話を聞いてお前は犬についてつっこむんか。もっとグラコニルの性能とか訊くことあるやろ」
 半眼でじろりと睨むシンに、ライオネスは頭をかいて笑った。
 「はぁ、オレ、機械とか全然わかんねーんで、正直詳細を聞いても話についていける自信がねーんッスよ」
 「素人相手に難しく話すほど俺は学問バカでも自慢しぃでも無い。今時の若い奴はすぐワケワカンネーとか言って思考をストップさせちまうからそこでおしまいなんだわ。発展がない。未来がない。あぁ嘆かわしい」
 「じゃぁ聞きますけど、グラコニルってどんな機械なんッスか?優しく教えてください」
 けろりとした表情で悪びれなく返すライオネスに、シンは毒気を抜かれたように一瞬黙り込んだが、「しゃぁないなー」と頭をバリバリ掻いた。
 「グラコニルは、元の人格を抑え込む、擬似人格を作る、擬似人格を定着させる、の3つのプログラムを実行する。人格を操作するんやなくて、人工的に作られた新しい人格を移植するわけや。精神操作と比べると、メリットは多いと考えられるな」
 「精神操作より?」
 アイリーンが目を細め、手に持っていた果実水のグラスをテーブルに置いた。テラ人の作る機械が、私の能力を上回る?
 剣呑な雰囲気を漂わせる美少女に頓着せず、シンは「そ、」と軽く頷いた。
 「どの辺がってのを話すとやな、まず、10年前からエイトコミューンは、人道的見地から、許可なくして精神操作を行ったり、精神操作機を設計・製造したテラ人に厳しーい罰を与えるようになった。認められているのは、61α人の能力者による医療目的の精神操作とか、ちょっとの例しかない。まぁこの辺は61α人の君らの方が詳しいやろ」
 「ええ、勿論」
 自分の今までの行為はさておき、当然とばかりに答えるアイリーン。
 「言うてもそれは表向きで、裏ではじゃんじゃん作られ、バンバン使われとる。テラの某部隊の人間は全員操作された懲役200年以上あるいは極刑の囚人で、紛争の最前線にどんどん送られてるってのは業界では有名な話。刑務所はいつでもどこでも満員やし、極刑判決受けるような人道に反した悪人に対して人道を適用することもないやんなってことですわ。あ、冤罪の人間がいるかもしれんやんかとかいう反論は今は置いておこうな、ややこしくなるから。ま、そういうわけで、精神操作はエイトコミューンからは認められてないけど、グラコニルの3つのプログラムが抵触する法はまだ無い。人権法に照らして突かれる可能性は大有りやけど、抜け穴はたくさんある。つまりグラコニルをガンガン使おうが今のところ捕まらないってことや。これが一つ目のメリット」
 ふんふんと頷きながらも、ライオネスは、あまりマッシムちゃんやウーヴェには聞かせたくない類の話だなぁと思っていた。
 アイリーンはこれだからテラ人はとでもいうようなアイスグリーンの侮蔑光線をシンに照射しているだけだったが、マッシムはショックも顕わな表情をしていた。ウーヴェも表情こそ変えないが、食事の手を止めて俯き加減だ。戦争の話や凶悪犯罪ネタに日常的に囲まれたテラ人は、慣れにより、他者の犯罪に対して感覚が鈍磨している部分がある。しかし犯罪発生率が極端に少ない61α星の住人からしてみれば、まず懲役200年というところからして、なんだよそれどんだけ悪いことしたんだよ怖ぇよってかテラ人の寿命って90歳前後じゃねーのありえねーとドン引きするポイントなのだ。精神操作で無理矢理使い捨て兵隊を作るなんて話を聞いた日には、気分も悪くなるだろう。それでなくても、テラ人を嫌っている……というよりも敵意を抱いている節が、アイリーンだけでなく、ウーヴェやマッシムにまであった。その辺りについては、まだアイリーンの壮大な計画を知らないライオネスは、人身売買されそうになったから仕方ないかぁなどと親身になって解釈していたので、雰囲気からしてなんとなく自分とウマが合いそうなテラ人科学者のオッサンと、純粋で真面目な61α人の架け橋になろうか、というかここにはオレしかそんな気の回る人間がいないよな、などと世話焼き思考になっている。まさかウーヴェとマッシムが「テラ人やっぱり危険!敵!滅びろ!」とまで考えているとは思ってもいない。
 シンも、61α人たちがドン引きしているだけと思っているので(例えウーヴェの思考を読めたとしても、『滅ぼす?ええよええよ、ヤッチマイナー!』と流しただけだろうが)、手の中の鳥の手羽先をさっさと骨だけにすると、油で光る指を2本立てて話を続けた。
 「次、二つ目。精神操作よりも効き目が長いと思われる。データーが少ないからはっきりとは言えへんけど、理論と併せて考えてみても、一度の処置で半永久的に効果は持続。精神操作は、時間が経過するに従って効果が落ちる傾向にあるからなぁ」
 アイリーンの機嫌が更に急降下した。そんなことは言われるまでも無く承知している欠点だった。
 その欠点を補うために、アイリーンは1週間置きくらいにマッシムに精神操作を施している。既に精神がアイリーンの支配下に置かれているマッシムは、アイリーンがあからさまに洗脳してこようが、疑問すら持たず受け入れるようになっていた。
 「あと使い勝手がいい。まっさらの状態から人格付けするから、思い通りの性格にすることができる。精神操作の場合、主人格の抵抗があるから上手く矯正できないことが多いんよ。これ、3つ目」
 「それだけメリットがずらずらあっても、実用化に至っていないのなら意味無いわ」
 アイリーンがにっこりと毒を孕んだ笑みを浮かべた。少女の喧嘩腰の雰囲気を察し、ライオネスが慌てて元気よく挙手する。
 「はいっ!まだ実用化に至ってないのはどうしてッスか?」
 ライオネスの質問に、シンが遠い目をした。
 「ハードルがな、高いんよ」
 「ハードル?」
 「テラにおったときした人体実験は99.9パーセント成功した。データは全部破棄したけど俺の頭の中に全部入ってるし、グラコニルはここで100パーセント完璧に復元した。もうすぐにでも実用化できる、それは間違いないんや、なのにな」
 シンが充血した目をくわっと開いた。
 「3つのプログラムのうち『元の人格を抑え込む』がどうしても上手くいかないんですわあの地下の坊ちゃんは!」
 「テラでの人体実験って、その、混血児相手にしたことは無かったんスか?」
 人体実験という言葉に嫌悪感を覚えながら、ライオネスは訊いた。
 「無い。スポンサーから提供されたんは全部テラ人の犯罪者や。子どもを掻っ攫ってはいたぶり殺してペットの鮫の餌にしてたような奴も、婦女強姦殺人157件の奴も、進んで街頭掃除のボランティアをする天使のような清らかな心を持った良い子ちゃんの人格を持たせることが出来た。しかしな、ここに来てからは、人体実験は地下の坊ちゃんでしか許されてないんよ。さすが混血児というべきか、あんなごっつい自我は珍しい。いや、グラコニルに欠陥があるわけじゃぁないんよ。ジーン君にちょっとだけ『元の人格を抑え込む』の実験台になってもらったけど、苦戦したもののちゃんとギュウギュウに押さえ込んでやれたしなぁ」
 「実に不快な経験だった」
 苦虫を噛み潰したような表情で、ジーンが会話に入ってきた。年若き司令官の左頬は見事に赤く腫れ上がり、唇の端が切れている。地下室から出たところで、待ち構えていたイースにぶん殴られたのである。避けようと思えば避けることができたのだが、親父の拳は黙って受けろというのがカースレイン家の掟だ。
 「頭の中に直に触れてくる、あの押し付けがましい感触が不愉快だわ腹が立つわ」
 「もう一回実験に付き合ってくれへん、ジーン君?」
 「断る」
 ぶすっと即答するジーンを見ながら、アイリーンはやっと得心がいった。ジーンがアイリーンに精神操作をかけられそうになった時、見破った挙句に激昂したのは、シンに一度グラコニルによる実験体にされていたからだったのだ。
 「じゃぁウォール君はどない?なかなかできないよ、そんな体験」
 「誰がするかボケ」
 「ほなユルトラちゃんは」
 「死ね」
 今年17歳になる三男坊は灰色味のかかった濃いブルーの瞳を尖らせてシンを睨み、ユルトラはぷいっと顔を背ける。中年科学者は各々の反応を見て腹を抱えて笑った。
 『あはははは!これや、すぐこれ。自分がされるのはすんごい嫌なのにな!』
 ライオネスの褐色の耳がピクリと動いた。
 シンの言葉を聞き取って正確に理解したのは、この場でライオネスしかいなかった。彼が喋った言語は、テラ系言語の一つ……北京語だった。
 「お前、今なんて言った」
 言葉は分からなかったものの、自分に対するマイナス発言をされたことを雰囲気で察し、ウォールが椅子を蹴って立ち上がろうとしたが、その腕を、隣に座っていた母親のミラクラが掴んで押さえ込んだ。
 「食事中に喧嘩はやめなさい」
 「しかし母上、あいつあんな馬鹿にした笑いして」
 「やめなさいと言ってるでしょ」
 ダカルガは一夫多妻制を認めており、ミラクラはイースの第1夫人である。といっても、イースの妻は現在ミラクラ一人しかおらず、ジーン、サリアラ、ウォール、ユルトラ、キース、ヴィドーの6人の兄弟姉妹全員の母親でもあった。第2夫人はフリーディアという名のテラ人の女だったが、地下の少年を産むのと引き換えにこの世を去っている。
 「お父様の言いつけを忘れたの?テラ人たちに構っては駄目。どんなに腹が立って八つ裂きにして腹の中のものを引きずり出して首に巻き付けて温かい首飾りお似合いねこのモツ野郎と罵って、さらにモツを×××に××××で、××の××はどんな××?なんて訊いてやりたくなっても我慢しなくちゃ駄目よ。苛立ちをやり過ごすには放っておくのが一番なの、わかった?」
 「……はい、母上」
 先日、軍学校の同級生相手に、「てめえコラケツの穴溶接して塞いだ後どてっ腹鎌刺して新しい穴作んぞ!」と威勢よく罵って喧嘩をふっかけたウォール少年が、顔を青褪めさせながら大人しくなった。
 ウォールだけではない。イース以外の全員が引いた表情で食べる手を止めていた。
 11歳になったばかりの四男キースは、口に運びかけていたマルガ(牛に似たカストルの生物)の内臓のピリ辛炒めをしかめっ面で凝視し、ウーヴェとマッシムなど、吐き気をこらえるように胸を撫で擦っている。
 ミラクラは繊細な容貌の美しい女で、今年でイース共々45歳になる。レンカルアと比べれば線が細いものの、引き締まった肉感的な体格をしており、度々猟奇的な発言をかましては、周囲の人間の胃に不快感を与えていた。その昔、ダカルガ軍に所属していた頃は、戦場を高笑いしながら駆け回り鎌で敵を切り刻むことから『猟奇的な女王』と呼ばれ、敵だけでなく仲間達にまで恐怖を与えていた。
 「いやね、ミラクラさん、俺はただ実験体が地下の坊ちゃんだけってのは、ハードル高いし実験的につらいものがあるなぁ的なことを言っただけで、カースレイン家の皆さんをバカになんて全然してないですから、ほら、酒飲んでつい母国語が出ちゃうってことあるじゃないですか、ねえ、不快に思われたんならほんますみません」
 のらりくらりと相手をかわすことが得意なシンだが、ミラクラだけは苦手だった。大仰に項垂れてみせ降参の態度をさっさと示したが、ミラクラは容赦なく止めを刺す。
 「ぶつぶつ言ってないで結果を出しなさい。ダカルガの功労賞を胸に飾るか、お前自身のモツを首に飾るか、二つに一つって事を忘れないようにね」
 「母上、食事の席ですよ。61α人もいるというのにそういう発言は控えて下さい」
 カストル人にとって悪口雑言は、たしなみとも言えるものであって、「耳から手ぇつっこんで奥歯がたがた言わすぞゴラ!」が平均点とすれば、先ほどのウォールの台詞は、ちょっと気の利いた言い回しということでポイントが高い、そんな感覚で日常的に使われている。ジーンも、ライオネスの上司を罵ったときのように、えぐかったり、汚い台詞だったりを言える。それに、戦場で内臓などいくらでも見ている。それでも、おっとりした口調で詠うように放たれる母の独特の感性による言い回しは、生理的嫌悪感と「この人なら本当に実行する!」という恐怖感(例えば実際に相手の肛門を溶接しろと命令されたとしても、ウォールは断固拒否するだろうが、ミラクラなら嬉々としてバーナーを手にするだろう)からどうも受け付けないらしい。
 「あら、ジーン。私、何か悪いこと言ったかしら」
 完全に引いている周囲の様子など全く気付いていないのだろう、自慢の次男にミラクラは微笑みかけた。
 「悪くはありませんが気持ち悪いです」
 「やだ、ダーリンったら上手いこと言って!」
 次男の嫁が明るく笑いながらバシッとジーンの腕を叩き、それを機に凍り付いていた夕食の席にわざとらしいながらも笑いとざわめきが戻ってきたのだが、それもすぐに静まり返ってしまった。
 「地下のアレで成功しないことには他の混血たちにも使えまい」
 今まで黙って皆の話に耳を傾けているだけで、ミラクラの発言をものともせず黙々と食事を続けていた宗主が口を開いたのだ。


:::


 話は少し遡る。
 実は、地下の少年には一族とテラ人の科学者にしか会わせてはならないし、少年の存在自体、無闇に他言してはならないと、イースから関係者一同は厳しく言いつけられていたのだ。そんなカースレイン家宗主の命令をジーンは、鬼の居ぬまになんとやらとばかりに破ったのである。
 いわんや、地上に出たジーンは、イースにいきなりぶん殴られた。
 灰色熊の頭を吹き飛ばす一撃だったが、ジーンは踏ん張って耐えた。
 「……パラド辺りでゆっくり湯治でもしてから帰られると思ってましたが」
 切れた唇から流れる血を舐めると、ジーンは父親に向き直った。
 「王から至急の用で召還されたのだ。湯治はまた次だ」
 宗主はしれっとした表情で、顎の短い髭を撫でた。
 「ザガン平定の報告がてら、今朝、直接王宮に参上してな、その帰りに町に寄ってみたのだが、あちこちで面白い噂話を聞いた。カースレイン家の次男坊が戦争に61α人の力を借りようとしている、とな。他にも口にするのも憚るような下世話な噂が多々あったが」
 「うわさ?」
 「嗜好が変わったとか、な」
 「くだらない」
 不機嫌に息子が吐き捨てるのを聞いて、イースは喉を鳴らすように低く笑った。ウェーブがかった髪はジーンよりも長く、引き締まった顎には髭がある。顔に少し皺があるものの老いは全く感じない。幾年月を経れば、ジーンはこうなるのだろうというような容姿の持ち主だ。
 「お前がレンカルア一筋だということを皆わかって言っているのだ。そう目くじらを立てるな」
 「冗談でもその手の噂は好きになれませんよ。それに戦争に61α人の力を借りようとも考えていない。カストル人の問題はカストル人で解決するべきだ」
 「カストルの血をひく混血児ならいいのだろう」
 「親父殿、それについては何度も申し上げてるとおり、」
 「客人の紹介はないのか」
 かぶさるように言われ、ジーンはほんの少し唇を噛むと、地下への入り口のところで、興味津々に親子の会話を聞いていたアイリーンと、ジーンが殴られたあたりでフリーズしてしまっていたその他の少年少女たちをイースに紹介した。
 ライオネス、マッシム、その次にアイリーンだった。
 アイリーンは、イースの顔をじっと見つめたまま名乗った。
 別に精神操作を試みようとしたわけではない。男の瞳に惹きつけられたのだ。
 同じアイスブルーの瞳でも、ジーンのそれは自分の信念を貫かんとする強い意志の輝きと温もりを湛えていたし、地下の少年は全ての事象に対する憎悪と破壊衝動を漲らせていた。しかし、今相対している男が目に宿す力が何によるものなのか、アイリーンには掴めなかった。静なのか動なのかすらわからない。穏やかなのか荒れているのかさえもわからない。根にあるものは未知だが、その眼力が凄まじいものであることだけ、アイリーンは感じ取っていた。
 イースはというと、アイリーンを一瞥して「ほう」と言った後、口の端を少し上げただけだった。それからイースの視線が次に紹介されているウーヴェに移っても、アイリーンはイースを見つめ続けた。

 「あれはどうだった。変わらないだろう」
 イースは地下室への扉を顎で示した。
 「少し軟化してきた気もしますが、弱っているからでしょうね」
 ジーンの返答に、あれでか!と少年少女たちはそれぞれ思ったが口には出さなかった。
 「で、なんとかなりそうか」
 「……なんのことです、としらばっくれても意味が無さそうだ」
 唇を片端だけあげて笑みを浮かべえるジーンに、イースは目を細めた。
 「ESP能力者を連れてきたのだろう。誰だ」
 「アイリーンです。精神操作のB。マッシムはエンパスのB」
 ジーンは、傲然と立つアイリーンを目で指し示し、ウーヴェに縋るように震えていたマッシムの蜜柑色がかったふわふわの金髪頭を、怖くないからと落ち着けるように優しく撫でてやる。少女二人に対する態度が違うけどその気持ちすんげーわかる、とライオネスは心の底から思った。
 「それで?」
 イースがアイリーンに視線を返す。発言を求める視線だった。息を小さくほうっと吐き出してから、アイリーンはゆっくりと言葉を紡いだ。
 「あと二、三歩というところで失敗しました。でもそれは距離があったから。間近で行えば成功率はぐんと上がります」
 「ふうん……」
 臆することなく話す少女を見て、イースは顎鬚をショリショリと撫でた。
 「夕食はうちで食べろ。シンと会わせる」


:::


 そして現在に至る。
 いきなりジーンをぶん殴るわ、威厳がそこはかとなく漂っているわで、ライオネスはイースを「強くて怖いジーンの親父殿」と思っていたのだが、今では「強くて怖くてしかもあのミラクラさんを嫁にしているものすごい男」という位置づけになっていた。
 「シン、そこのアイリーンはBランクの精神操作能力者だ」
 イースの言葉に、「あいやー」とシンは感嘆したような声をあげた。
 「ほんまですか。だからさっきから俺に噛み付いてたんやな。61α人の精神操作は、テラ製の機械による操作より安全やし成功率も高い!別に嬢ちゃんのこと貶してないから堪忍な」
 シンがウィンクを寄越してきたが、アイリーンはそれをぺいっと払い除ける仕草をする。払い除けられたウィンクが飛んだ(と思しき)先に座っていた四男坊のキースは、右手でキャッチすると口の中に放り込んでもぐもぐし、顔を露骨にしかめて吐き出す真似をした。
 「筋張っててマッズー!」
 「お腹こわすよ、拾い食いはダメだって母さまから注意されてるのに」
 末っ子のヴィドーが、すぐ上の兄をたしなめる。子ども達にまでバカにされた中年科学者は、腕組みして首を振った。
 「10年前は苦みばしった大人の味、20年前は熟して深みのある味、30年前には蕩けるほど甘くて美味しいと評されたもんやけど、寄る年波には勝てませんわ」
 「誰も訊いてないわよそんなこと」
 アイリーンは眉根を寄せた。「で、私は何をすればいいの」
 「嬢ちゃんには、地下の坊ちゃんを眠らせて欲しいんや」
 「それだけ?」
 「それだけ。それだけのことやけど、あの坊ちゃん相当キツイで。睡眠薬も麻酔も効かなかったし。できるか?」
 「できるか?ですって……笑止!」
 アイリーンは鼻で笑った。
 「テラ製の睡眠薬なんかと私の能力を一緒にしないで欲しいわ!」
 「……私が思い描いていた61α人像と、あの子、外見以外はだいぶかけ離れているんだけど」
 ユルトラの呟きに、隣に座っていたライオネスが、食べかけの骨付き肉を片手に心から同意した。
 「オレも最初ビックリした。61α人の皮を被った何かじゃないかって今でも疑ってるんだ」
 「何をこそこそ話しているのよライオネス」
 アイリーンの矛先が自分に向いたと知り、少年は露骨に表情を強張らせた。
 「いや、アイリーンちゃんにとっちゃ簡単なミッションだなーって……」
 「61α人の皮を被った何かって何よ」
 「聞こえてるし!」
 地獄耳を発揮する女王に対して、ライオネスは恐れを抱きながらもツッコミは忘れない。アイリーンはツンと形の良い顎を上げると、見下すかのように青味がかった髪の少年を睨みつけた。
「私の正体なら決まってるじゃない!」
 食べる手を止めて、やりとりを興味深げに注視しているカースレイン一家の前で、アイリーンは傲然と言ってのけた。
「<偉人>よ!」
 束の間の静寂が、食卓の上に落ちる。
 「そういえば地下でもそんなことを言っていたな」
 果実酒を飲み干すと、ジーンが最初に口を開いた。
 「<偉人>って何?」とユルトラ。視線で兄に尋ねたが、彼女の疑問に答えようとしたのは中年科学者だった。
 「<偉人>いうたらアレやろ、アレ、61α史に度々登場する啓発家・先駆者・発明家……4人おって、<4大偉人>なんて呼ばれてなかったか?」
 「そうよ」
 頷くアイリーンに、シンは眼鏡の奥のギョロッとした目を瞬いた。
 「えらい自信満々やけど、何を根拠に言ってるん?」
 「行動力、発想力、自己主張の激しさにおいて、彼女の右に出る61α人がいないことは、断言できる」
 アイリーンが何か言う前に、とウーヴェが口を挟んだが、アイリーンは「それに加えて!」と引き継いでしまった。
 「私は神の声を聞いたの」
 シンは眉を下げながら唇を捻じ曲げ、とても変な顔をした。
 「あぁ、……宗教家として5代目の偉人を狙ってるんか。これは予想外や」
 「違うわよ」
 「テラには、あんたみたいに神のお告げを聞いたとか言う奴たくさんおって、宗教の数数えたらきりが無いほどや」
 「テラ人なんかと一緒にしないで。私は神の声を聞いたからここまで来たの」
 アイリーンはぷいっと顔を背けた。
 思わずウーヴェはため息を洩らす。彼は彼女がおかしな子と思われることを危惧していたのだが、そのとおりになってしまったようだ……テラ人科学者については。
 カースレイン家の面々に関しては、ウーヴェの心配は杞憂に終わった。宗主も含めて皆、アイリーンを見る目が不思議なものを見るそれに変化した。火と戦いの神アバスを信仰するダカルガの人間には、無神論者のテラ人科学者と同じ目でアイリーンを見ることはできなかったのである。
 カストル人にとって、特殊能力を持った異種族は神秘のベールに包まれた存在である。61αには他者の心を読む人間がごろごろ存在していると知って、エイトコミューンの中で一番驚いたのはカストル人だろう。
 それほどまでに精神文明の発達した種族であれば、神の声を聞くことができてもおかしい話ではない。
 加えて、勝気な発言が目に付くものの、アイリーンは類を見ない繊細な容貌の美少女だった。
 この少女なら、有り得るかもしれない……カースレイン家の人間たちは、少しでもそう思ってしまったのだ。

 手に持っていたグラスを置くと、イースが口を開いた。
 「それで、お前の神は、何と告げた?」
 アイリーンはカースレイン家宗主に視線を返した。
 深い、深い、底無しの沼のような瞳がアイリーンを捉える。
 吸い込まれそう。
 アイリーンが心の中で洩らした声は、彼女からの指示を待機していたマッシムだけが感知した。