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 ケンプ氏は32歳の時、体脂肪測定器の画面に「超肥満」の文字が表示されたその翌朝から 今日まで50年間、1日たりとも早朝ジョギングを欠かしたことがない。
「超肥満」体型だった当時、体重計に乗っても足元のメモリを視界から隠していた腹は、 82歳の現在、歳に似合わず健康的に引き締まり、町内の同世代の年寄りたちのカリスマ となっている。

 実はケンプ氏は、1度泥棒を捕まえたことがあった。
 42年前の早朝、やはりジョギングをしていると、3丁目の角の家の塀を乗り越えて一人 のいかにも怪しい男が、いかにも怪しい包みを抱えてケンプ氏の前に降り立ったのである。
 男はケンプ氏が角を曲がっていきなり現れたことに驚いたらしく、一瞬動きが止まった。
 その一瞬を逃さず、ケンプ氏はジョギングと並行して始めた柔道の技を使ってねじ伏せたのだ。
 3丁目の角を曲がる時、いつもケンプ氏は当時、スポットライトを浴び、ブラウン管の中で英雄 として祭り上げられた当時のことを思い出す。
 「わしゃあん時輝いとったば〜い、しょこんとこヨロシク〜〜!」
 ぶつぶつ言いながらケンプ氏は今日も角を曲がろうとした。
 とその時である。
 数人の男たちが塀の少し上辺りの高さの何もなかった空間に突如姿を現したのだ。
 歩道に重なり合って落下し、下敷きになった男が悲鳴を上げる。7人ほどいるだろうか、 それぞれ怒りの表情でわめき散らし、ふらふらと身を起こした。
 そんな光景を見てケンプ氏は10軒先にまで聞こえるような大声で叫んだ。
 「泥棒じゃ〜〜〜〜!!!!」


 それから3時間後の7時半、背広の厳つい顔の男は通信スクリーンを前に緊張していた。
(くそ!あのじじいが騒ぎ立てなければこんなことにはならなかったのに!)
 脇の下に冷たいものを感じながら男は心の中で毒づいた。
 わざわざ早朝のまだ意識がはっきりしていないだろう時間を狙って訪問したにもかかわらず、 弱そうなエイリアンハーフ一人強制連行するという任務に失敗した挙句、一般市民に泥棒と勘 違いされ、老人の大声を聞きつけた新聞配達の少年の携帯電話によって警察に通報されたの だ。
 警察手帳を見せて弁明したのだが、老人が「いや、こいつは泥棒じゃ!」と断言するのを集ま ってきた住民たちが信用し、「こんな怪しい警官がいてたまるか」と石を投げつけんばかりの 勢いで取り囲み、通報を受けた警察官が来るまで放してもらえなかったのである。
 住民たちが集まってくるまでにさっさと逃げれば良かったのだが、突然の空間転移は身体に 堪えたらしく、しばらく眩暈が止まらず、呂律も回らず動悸は速く、筋肉は痙攣し散々な状態だ ったのだ。
 客観的に見て確かに警察官というよりは、警察官に扮したシンナー中毒の窃盗犯という呈で あったことは否めない。
 実は彼は本当に警官ではなかった。
 偽の警察手帳を持っていただけで、その正体はメディフの社員だったのだ。

 「・・・と言う訳で、そのエイリアンハーフは空間転移能力を持っていたにもかかわらず役所に 届けず、さらに私に対しその能力を使用したわけであります。ですから・・・」
 『空間転移対策用のツールを持っていなかったため任務を失敗した、というわけですね』
 スクリーンには20代後半ほどの、茶色味を帯びた金髪の男が映っている。
 「ハイ、そうです。能力隠匿罪は最高で月行きですから、まさか届け出ていない者がいるとは思 ってもみませんでしたので・・・」
 『トータスさん、言い訳になると思っているのですか?』
 やんわりと嬉しげな口調の中に冷たい響きを感じ取り、厳つい男・・・トータスは唾を飲み込もう としたが、口の中が緊張のためか異常に乾いていたので失敗した。
 (まさかこんな大物が出てくるとは・・・!!)
 通報されたこと自体は後からいくらでも隠しとおすことができる類のものであった。
 しかし任務を失敗したことも報告書に書く予定ではなかったのが、通報された事情を説明するた めに、上に隠し通せなくなってしまったのだった。
 そしてトータスは今、社の中でも大物中の大物である一見さわやかな男と画面越しに話 している。

 返答に窮し、額に浮かぶ大量の脂汗をハンカチでぬぐっていると、不意に画面の中の男が 横を向いた。
 隣に立った誰かから資料らしい数枚の紙を受け取ると、男はトータスを無視して視線を手 元に落とす。
 1分ほど男はその紙に視線を走らせていたが、トータスはその無言の時間を1時間にも長 く感じた。
 そんな緊張状態であったので、トータスは金髪の男の微妙な表情の変化に 気付かなかった。
 『そうですね、・・・どうしようかな・・・』
 嬉しそうに男はつぶやくと、ふと思い出したかのようにブルーグレイの瞳をトータスに向けた。
 『ああ、もういいですよ。そうですね、1週間の自宅謹慎。以上』
 さわやかに言い放つと、男はにっこり笑って通信を切った。
 トータスは大きく息をつくと、すでにぐっしょり濡れて役割を果たせないであろう ハンカチで顔中の汗をぬぐった。
 「まさか開発環境部のトップが出てくるとは・・・」
 思ったよりも軽い罰で済んだことに、もう1度安堵のため息を漏らすとトータスは今朝 会ったばかりの黒髪の美貌の青年のことを思い出した。
 網膜に張り付くくらい美人だったな・・・・・・・いやいやそうじゃない!
 ふてぶてしい態度で、権力を持った自分たちに刃向ったその罪は大きい。
 能力隠匿だけでも極寒の流刑地、月に流されることは決定だ!
 「ざまを見やがれ、逃げても無駄だ!貴様の処分はトリスタン部長にかかっているんだぞ・・・!」


 一方、そのころ黒髪の美貌の青年本人はというと、逃げも隠れもせず、まだ自宅にいた。
 しかも寝ていた。とにかく眠かったのである。
 逃げられないことは分かっていたし、逃げたらさらに罪が重くなることも分かっていた。
 笛吹は眠い頭で開き直り、警官隊が来た時は「空間転移はさっき初めて発動した」と言い逃れ するしかないと考えたのだ。
 ハーフの能力についてはまだ詳しくは解明されていない。
 能力は生まれてから思春期が終わる頃までに発現するのが普通とされているが、発育に個人差 があるように、能力に関しても多少の個人差がみられることは認められている。
 前例がなかったわけではなく、16歳で初めて能力を発動したというハーフも確認されて いる。
 しかし19歳という例は今までになかったはずだ。
 笛吹はもちろんその言い訳の危うさも承知だったが、他に良い言い訳も思いつかず、「俺が 前例になってやる!」と息巻いて眠るしかなかったのだ。

 すぐにでも大勢で警官隊が押しかけてくるに違いないという笛吹の予測は外れ、ベッドの上で 目を覚ました時、枕もとのアヒルの形をした目覚し時計は11時をまわっていた。

 起き上がり、閉じた白いカーテンの隙間から外を覗いてみると、ベランダに止まっていた野生の 小鳥が2羽、笛吹の存在に気が付いたのか飛び立った。
 笛吹の部屋は2階の南に面した日当たりのいい位置にある。
 眼下にはベランダ越しに、40平米はある広い庭と特殊ガラス張りの温室、視線を先に延ばす と塀の向こうの道路が少しだけ見えた。取り囲まれている様子はなく、怪しい人影も 見当たらない。
 カーテンをそのまま15センチほど開けると、部屋の隅に置いてあったパキラを日によく 当たる位置に置いた。
 パジャマを脱ぎ、英語の白いロゴが入った黒い長袖のTシャツと、薄めの水色のジーンズを 身に付けると、体重を感じさせない足取りで部屋を出て、1階のダイニングルームに下りた。
 「あいつら汚い土足で・・・!」
 厚手のカーテンを閉めきった薄暗がりの中でも、庭に面した廊下からダイニング、そして玄関 まで汚れが続いているのが見て取れた。
 1番小さな明かりをつけ、笛吹はむすっとした顔で洗面所から雑巾を持ってくると、床 の汚れをふき取っていく。
絨毯ではなく板張りの床だったことが幸いして掃除はすぐに終わった。

 ダイニングと一つながりのキッチンは、昨日の夜から全く変わった様子はなかった。
 冷蔵庫の中に生ハムとキュウリ、チーズがあることを確認すると、笛吹はトーストをオーブンに 入れた。
キュウリをしゃっきりとした歯ごたえが感じる厚さにスライスし、さらに市販で安く売っ ている割には味のいいジャガイモの冷たいスープを、白い陶器製のマグカップにそそぐ。
 トーストが焼けるのを待つ間、笛吹はダイニングのテレビをつけた。

 本日の株式相場、お料理番組、とチャンネルを変え、ニュースでリモコンを持つ手の指の動き は止まった。普段と変わらず政治家の汚職事件が報道されている。
 しばらくニュース画面を笛吹は眺めていたが、キッチンからトーストの香ばしい香りが漂って くると、白い陶器皿を持ってオーブンを開けた。
 ハムとチーズ、キュウリを載せたトーストをかじりながら、笛吹はふと唯一の友人のことを思い 出した。ズボンのポケットから携帯を取り出すと、番号を打つ。
 スープを飲みながら15回目のコールを不安な気持ちで聞いていると、玄関のチャイムが 本日2度目の客の訪問を告げた。
 電話とテレビの電源、両方を切り、いやいやながらインターホンの画面を覗くと、短い金髪 を後ろになでつけた若い男と、濃く淹れた紅茶色の長い髪を後ろで1つに束ねた青年が立っ ているのが見えた。
 二人ともスーツに身を包み、髪を束ねた青年の方は紙袋を手に提げている。
 笛吹にすぐにでも危害を与えようという雰囲気は感じられなかった。
 「はい」
 「私はメディフの開発環境部部長、カール・トリスタンというものです」
 金髪の男の白い歯が、朝の光を反射して燦然と輝いた。
 「先ほどの件に関して伺いにきました」


 今回、笛吹は突っぱねるわけにはいかなかった。
 鍵が壊れたままの玄関のドアを開け、直接対面すると二人の青年どちらもとても高価そうなスー ツを着こなしていることが分かった。
 笛吹の顔を見て、カール・トリスタンと名乗る男は1度瞬きをすると「ああ、調査書の写真 で拝見するより男前だ」と言ってさわやかに笑った。
 彼自身、貴公子然とした端正な顔をしており十分男前である。
 涼しげなブルーグレーの瞳には愉快そうな光がちらつき、落ち着いた態度をとっていながら も活動的な印象を笛吹に与える。
 「・・・なんの用ですか?」
 「先ほどは私どもの部下が大変失礼をしました。申し訳ございません」
 二人一斉に深々と頭を下げるのを笛吹は眉をひそめて見た。
 「部下?さっき来た不躾な客は警察だと名乗っていたけど」
 「6人の制服姿の男は本物の警官ですが、背広姿の者は我が社の社員です、本当に申 し訳ございませんでした」
 すまなそうな顔をすると、トリスタン氏は隣の髪を束ねた青年にチラッと視線を向けた。
 視線を受けた青年はてきぱきとした動作で手に提げた黄色い紙袋を笛吹に差し出す。
 「つまらないものですが、どうぞお受け取りください」
 紅茶色の髪の青年はこれまた整った容姿をしていた。
 柔和な表情が暖かな雰囲気をかもし出し、彼から悪印象を感じようとするのは困難な技だ。
 一瞬つられて受け取りそうになり、ハッと笛吹は我に返った。
 「いや、結構。ちょっと用事があるんでお引き取りいただけないかな」
 「用事ですか?」
 トリスタン氏が尋ねた。
 「ええ、役所に用事が出来たんで」
 「ああ、空間転移能力の発現を届け出るのですね」
 笑みを浮かべたままのトリスタン氏に、笛吹は無表情のまま顔を向けた。
 「さっきのいきなりの行動に驚いた瞬間、初めて発動したんだ」
 言いながら笛吹は肩越しに後ろをあごで指す。
 「庭の方から土足でこそこそ家に上がりこんで、玄関からと後ろからで俺を挟撃 しようとしたんだな」
 笛吹は二人のほうに向き直ると、にっこり凡人撃退用アルカイックスマイルを作った。
 普通の感性を持つものならこれだけでノックアウトである。
 「おそらくああいう状況下に陥らなかったら一生目覚めることのなかった能力だったんだろうな」
 「笛吹さんは19歳でしたよね」
 「ああ、そうだけど」
 「長いですね、思春期」
 瞬間、トリスタン氏と笛吹の間に見えない火花が散った。
 両者微笑を浮かべたまま目をそらさない。
 緊迫した状況を分かっているのか分かっていないのか、紅茶色の髪の青年がニコニコと その光景を眺めている。
 「・・・そういえば7年前」
 短い静寂を破ったのはトリスタン氏だった。
 「ここから1キロほど離れたところにある空き地で不審な事故があった事をご存知ですか?」
 笛吹の表情は一見変わらなかった。
 が、完璧なアルカイックスマイルの下で大きなうねりが生じたことをトリスタン氏は空気で感 じ取ったのだろうか、白い歯をさらに輝かせ、会心のさわやかな笑みを浮かべた。
 「来る途中にふと思い出したんですけどね。今もふと思い出しただけで、全然関係ないことなんです が。さて、立ち話もなんですし、ゆっくり落ち着いて話すことにしませんか?最前線開発に関して話 すことは山ほどありますし。お茶でも飲みながら・・・この紙袋の中身はタイミングのいいことに文 化堂のカステラなんですよ」
 最大の弱みを握られた笛吹は、強引な押しに不本意ながら屈するしか術がなかった。