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 カール・トリスタン、29歳。

 年若くしてメディフ社の最大・最重要な開発環境部の部長を務め、最高幹部の筆頭であり、 副社長を押さえて自他共に認める社のナンバー2でもある。
 頭が切れる新進気鋭の彼は、温厚でさわやかな性格もあって幅広く人望を集めていた。
 社内報のアンケートコーナーの企画、「理想の上司は誰?」で見事1位を取ったという実績もある。
 彼がここまで上り詰めたのは、人望や性格のおかげだけではなく、情報を大きなものから小 さなものまで、世間の噂話から隠された裏話に至るまで根こそぎかき集める情報収集能力と、 それらを分析・分類・活用する能力に恵まれていたことが第1の要因といえる。
 彼に弱みを握られているほかの最高幹部などは環境開発部のことを皮肉交じりに情報部と 言っているほどで、それを耳にしたトリスタン氏は「本当のことですし」とさわやかに笑うだ けだった。

 そんな才能と権力、人望を持った怖いものなしの超大物がなぜか、社会的少数派である エイリアンハーフの家のダイニングのクッションに笛吹と向かい合って座り、澄ました顔 でウーロン茶をすすっている。
 笛吹は視線を右にずらすと、社の説明をしている濃く淹れた紅茶色の髪の青年をチラッと見た。
 彼の名前はアルカミル。
 紹介されるまで笛吹は気付かなかったのだが、最高級のAランク・アンドロイドである。
 外見は全く普通の人間と同じで、エモーションシステム(感情システム)を搭載した彼は自分 の意志で動き、自発的に考え、プログラムされた感情を処理する(感じる)ことができるのだ。
 機械ならではの正確で緻密な情報処理能力と記憶力を持つほか、あらゆる機械や武器のコント ロールにも長けているので、トリスタン氏の秘書のほかにボディガードも兼ねている。

 「・・・そういう事情から護衛出動の要請は頻繁にかかることが予測されますので、社員になる方々 には、社員寮で生活していただくことになります」
 「社員寮?どこにあるんですか?」
 「火星です」
 「火星?」
 それまで観念したのかアルカミルの話に大人しく耳を傾けていた笛吹が、その鉄面皮に 不快成分を含ませてトリスタン氏の方を向いた。
 「俺はこの家から離れるつもりはない。手放す気は全くない」
 「そうですよね、手入れの行き届いたいい庭をお持ちのようですから、そのお気持ちは良 く分かります」
 そう言って笛吹の淹れたハーグリーブスのセイロンティを一口すすると、トリスタン氏は 窓の方を向いた。
 もう変に警戒する必要もないと判断した笛吹が開いた深草色のカーテンに縁取られ、 まばゆい緑の庭が目にやさしい命の光を投げかける。
 眩しそうに目を細めると、トリスタン氏は笛吹のほうに向き直り、さわやかにきっぱり言った。
 「でもダメです」
 ダメなんかい、と本来つっこみを入れるところだが、残念ながらつっこみに関しては、笛吹本人も 自覚していることだがいまいちなので、反応が遅れ、タイミングを外してしまい不発に終わった。
 「決定したことなので、社員になる以上従っていただかないと・・・」
 「強制スカウトだろ?俺は好きで社員になるわけでは・・・」
 「7年前の事故は悲惨でしたね」
 「っく・・・!」
 忌々しげに美しい眉をひそめる笛吹を、トリスタン氏は心から楽しそうに眺めると、それでは、と ティカップを置いた。
 「腕のいい庭師を派遣するよう、取り計らいましょうか」
 会ったこともない庭師に自分の庭をいじくりまわされるのは不快だが、そう頼むよりほか 無かった。
 「温室の方はどうしましょうか?」
 「いや、それは何とかなる」
 アルカミルの問いに、長い白いひげを持った視力の弱いよぼよぼの老人の姿を笛吹は 思い浮かべた。
 植物学の教授は植物の栽培に詳しく、彼から笛吹は色々なことを学んだ。
蘭の栽培も教授の助言無しでは、ここまで育てられなかっただろう。
 ふと笛吹は今朝書き上げた植物生態学のレポートのことを思い出した。
 レポートのテーマを知らせたとき、教授は分厚い眼鏡の奥の白濁した目をネコのように細めて、  「面白いところに目をつけたね」と静かに笑っていた。
 栽培が難しいとされるトウジョウランが蕾をつけたと報告した時も、同じように笑い、研究室で 紅茶を振舞ってくれた。今度のことを報告すると、どんな反応を返してくれるのだろうか。

 笛吹は社員になるため、大学を退学しなくてはならなかった。
 履歴に関してはただの退学ではなく、名誉退学というわけの分からない文字が書き込まれると トリスタン氏はさわやかに説明した。
 学生生活最後のレポートを提出しに行くついでに、教授に今度のことを話しておく必要がある。
それほど苦労せず大学に入り、性格のせいか友人が少なかった笛吹は、植物学の授業を受けるこ とが出来なくなることと、教授に会えなくなること以外に大学には未練は無かった。
 未練・・・と笛吹はさっき電話をかけようとした親友のことを思った。
 唯一の友達にして親友である彼もまた、孤独なエイリアンハーフである。
 体が弱く、時にはいじめを受けていた友人を残していくことが心配でならない。
 と、このとき笛吹の顔に疑問が浮かんだ。

 「この強制スカウトはどういう基準で対象を決めて行われているんだ?」
 「使えそうな能力を持っているか、です」
 そういうと、トリスタン氏は足を組みなおした。
 「調査書を見る限り、笛吹さんはそれほど強い念動力をお持ちというわけではありません。 今朝発現したばかりの空間転移能力に関しても、話していただいた状況から察するに最大の 力を使われたと思うのですが、人7人をここから50メートルほどの位置に飛ばしただけで すので、まぁ、ギリギリ普通の力といったところでしょうか」
 全くそのとおりで、笛吹の念動力はAからEまでの5段階判定のうちCランク、100キログラ ム未満の物を持ち上げることができるレベルである。空間転移にしたって、測定したことは無いが 、せいぜいDランクであろう。
 「能力の高さも基準のひとつですが、他に、希少の特殊能力を持っていることも審査において 判断の基準となります」
 笛吹の身体を走った緊張を知ってか知らないでか、トリスタン氏は続ける。
 「笛吹さんの場合は、はじめ、ハーフにしては珍しいことに大学に通っていることが目を引きまし た。脳や精神に変調をきたすことが多い混血児達の中で、性格異常も特に見受けられなく、 太陽系連邦でもトップクラスのガニメデユニバーシティに入学するということはあなたが思っ ている以上にたいしたことなんですよ」
 「護衛に必要な能力と、俺の専門分野は全然別物だと思うんだけど」
 「もちろんそれだけではありません」
 トリスタン氏は優雅な仕草であごに手をやった。
 それを見て笛吹は全て計算された動きではないかとなんとなく思った。
 「このドール地区には現在笛吹さんの他にもう一人ハーフが住んでいますが、7年前の事件 の時、もう一人の方はまだこの地区には住んでおられませんでした。当時ガニメデを騒がせ ていた凶悪エイリアンたちによる犯行ということで片付けられましたが、彼らは未だにあの 事件への関与は認めていません。もうお気付きのとおり私はあなたを疑っています。念動力 、空間転移能力など一般能力で起こされたものでない。空間転移能力を使えるとなったら簡単 にアリバイは崩れるのですから」
 笛吹はうつむき加減になると、自分の組んだ手を見た。
 無意識のうちに力が入り、指先がほのかに紅くなっている。
 爪が手の甲に食い込み、鈍い痛みを感じた。
 「・・・で、俺を警察に突き出すのか?」
 「月に送られるよりは、我が社で働いた方が楽しいですよね」
 月は地球人が初めて踏みしめた地球以外の地であるが、現在は囚人が送られる最大規模の監獄 となっている。
 囚人の数は年々増加し、月だけでは収まりきれなくなりつつあるので、第2の"月"を作る計 画が数年前から持ち上がっていた。
 「同じエイリアンハーフの方々が集まるわけですし、人間に囲まれて暮らすよりは気を使わな くて済むと思うのですが」
 うつむいた笛吹の表情など気にせずにトリスタン氏は淡々と話す。
 「ドール地区のもう一人のハーフの方もスカウトしたので、寂しいことも無いでしょう」
 「お前ら、シェダルも最前線でこき使う気か!?」
 笛吹は顔をキッと上げると声を荒げてトリスタン氏を睨みつけた。
 アイスブルーの瞳が深い海の色に変化したように見える。
 今日他人に初めて見せた感情そのままの表情だった。
 「あいつの能力は集団生活に向かないし、戦場にも向かない!」
 「彼の能力は役に立ちます。本人の了承も数時間前にすでに得ました」
 そんな笛吹を興味深げに見やりながら、トリスタン氏は「アルカミル」と秘書の名を呼んだ。
 紅茶色の髪の秘書はスーツケースから数枚の紙を取り出すと机の上に置いた。
 それを指でとんとんと叩くと、トリスタン氏はいまだ怒りが収まらない様 子の美しい青年にさわやかな笑顔で言った。
 「さぁ、後はあなたがここにサインするだけです」

 雇用契約書を前に笛吹は声も無かった。



 笛吹が教授の部屋から出てきたとき、フォールドロッド社製の年代物の腕時計は4時22分 を指していた。
 教授は笛吹の話を時々うなずきながら聞いていた。
話が終わるとしばらく黙ってから、  「蘭の事は任せてくれたまえ。しかし君のような真面目で面白い生徒を失うのは惜しい。実に惜しいよ」 と白濁した目をしょぼしょぼさせて言った。
 「でもね、君にとってはいい機会かもしれないよ」
 「何故ですか?」
 「未開発の星で、新種の植物を発見して1番に調べることができるじゃないか」
 目を1つぱちくりさせると、笛吹は相好を崩して微笑んだ。雲の隙間から光が差し、可憐な美しい 華が周囲を舞ったかのようだった。
 しかし教授は視力が弱いため、残念ながら全ての者の心を揺さぶるエンジェルスマイルを見ることは 出来なかった。
 「学問はね、大学でしか学べないわけではないよ。学ぼうと思ったらどこでも学ぶことがで きるのだから」
 教授の言葉を心の中で反芻しながら笛吹は学生課に向かった。
 大学は3日前に後期の試験期間が終わり、春休みの真っ最中だったが、レポート提出に来たの か人影はまばらながらあった。
 すれ違うたびに男女問わず笛吹の顔に視線を向け、すれ違った後も背中に視線を感じる。
 ひとえに人離れした美貌の成せる技で、視線は多少のやっかみを含むものの憧れと賞賛がほと んどだったのだが、笛吹はいつも針のむしろに立たされているような気分を味わっていた。
 自分の過去を、あの事件のことを知って、視線を刺してくるのではないかと思って。

 退学手続きを済ませると、笛吹はロッカーの荷物をまとめて後ろを1度も振り返ることなく 大学を後にした。

 安穏とした日常は、突然の闖入者たちによってたった1日のうちに無造作に踏み砕かれ、 密かに心に抱いていた夢も捨てざるを得なくなった。
 人並みの幸せを願ってはならないと心に鎖を巻きつけた7年前のあの日から、今日から進ん でいく道は用意されていたのだろうか。
 顔を上げるとビルの谷間に人工太陽が、さらにそれに重なるように木星が赤茶けた巨体 をさらしているのが見えた。

 あの時も木星は悠然と笛吹を見下ろしていた。
「勝手な話だ、全くもってね。あんたが告げ口したのかい?」
 笛吹は無表情に神を睨んだ。

意図せずしてカッコつけていた笛吹のシルエットは非常に様に なっていたので、通行人たちは奇異の目を向けるどころか、老若男女全てが頬を染めて そんな笛吹を遠巻きに眺めていた。
 数秒後、視線に気付いた笛吹は集中する視線に気付き、 怯えながらその場を立ち去ることになる。


あとがき