第2章 BOHEMIAN RHAPSODY
T
宇宙暦をやめてコミューン歴にしようという動きが、最近政府に見られる。
もっと他にすることはたくさんあるはずなのだが、向かい合うべき現実的な問題へ
の責任を全うしようとはせず、飛行記念日という6月の第二日曜日にあった祝日を
第二月曜日に変更し「ハッピーフライデー」とするなど、どうでもいいことに力を注いでいる。
コミューン暦も、汚職事件続きの連邦政府が注目を他に向けようとした駒だという
うわさが専らであるが、世間はそんな一部の者達の税金の無駄使いに、真剣に
怒る者ももはやなく、ただ冷ややかな目で切るか、無関心かのどちらかで、後
者は特に若い世代に多く見られた。
1年は12ヶ月、1ヶ月は約30日、1日は24時間の太陽暦は標準時間とされ、
地球人の開拓した星の8割において使用されている。
何万年も前の先祖から脈々と受け継がれてきた体に宿るリズムを崩す
ことは容易ではなく、人工太陽などを使ってその星のリズムを地球人用に変えていった。
ここ、火星は1.026日、とほぼ地球と同じ自転周期をもつ。
地球人が初めて開拓した星でもあり、現在銀河系でガニメデと1、2を争う繁栄を見せている。
直径6794km、公転周期686.98日、衛星はフォボスとダイモスの2つ。
「へぇ、火星って衛星があったんだ」
座席に取り付けてあるイヤホンに、丸い物体を押し付けながら火星についての
説明を聞いていたシェダル・ディケンズは、隣に座る友人に話し掛けた。
「伝達機の調子、いいみたいだな」
友人は丸い物体・・・視聴覚伝達器を美しい指で軽く弾くと、サングラスの下でやさしく笑った。
キュインと小さな機械音がして、伝達機に内蔵してあるカメラが黒髪の美青年の姿を捕らえる。
「ああ、ポンコツなりに絶好調だぜ!笛吹の顔もバッチリ!」
「バカ、今俺の鼻の穴、下からズームアップしただろ、何見てんだ」
「見てないよー、ふんふふーん☆」
シェダル人はカシオペア座のα星シェダルの衛星の1つに住むエイリアンで、テレパシスト
として有名である。
61α人によって発見され、武器などの攻撃手段を一切もたない彼らは抵抗する術も無く
地球人と同盟を組まされることになり、その後言葉の全く
通じないベテルギウス人やカストル人とのコンタクトに一役買うことになる。
テレパシー能力以外にも、シェダル人はその「外見」のため、
非常に外交に適した種であったからだ。
どんな外見か、と聞かれても、それに答えることは難しい。
なぜなら彼らは見るものの記憶からランダムに掠め取った姿を自身に投影させるから
である。
たとえば一人のシェダル人を
数人が見ても、自分の母親だったり、友人だったり、現実に
は存在しない者だったりと、全員まちまちに見えてしまう。
だから彼らの真実の姿を見たものは誰もいない。
「真実の姿」自体あるのか不思議なところで、実体があるにも関わらず
レントゲンに映らなかったりと未知な部分が未だに満載だ。
地球人の研究者などはとても調べたがっているのだが、わけわからん実験されるのは困る、
とシェダル人が嫌がって逃げ惑うので出来ずじまいである。
騙して連れていこうにも、彼らはテレパシストなのでまず不可能だ。
そんな彼らなので、はっきりわかっていることは
互いに精神を読んで会話を行うということだけである。
このテレパシー能力は地球人にとって脅威であり、またシェダル人にとっても
地球人の整理されていないめちゃくちゃな思考は精神に過度の負担を
かけるので、なかなか恋愛どころか友好感情すら芽生えない。
しかしシェダルの生みの親は違った。
シェダルの母親は裏表のない性格で、思考回路も極めて単純豪快、
心が読まれても全く気にしない、とても強い女性だった。
シェダル人の住む星に観光で行ったそんな彼女を待ち受けていたのは、彼女の
長年思い浮かべていた理想の男性像を自身の姿に投影させたシェダル人・・・シェダルの父だったので
ある。
父親の方もシェダル人の中では変わった性格の持ち主だったらしく、積極的に
地球人に興味を示して交流したがる活動派であった。
二人の間でどんな恋愛が繰り広げられたかまでは深く掘り下げないことととするが、
とにもかくにも彼女が星を発つ時、腹の中にはすでに小さな命が宿っていた。
それがシェダル・ディケンズ。
現在唯一確認されているシェダル系ハーフである。
外見は母親の生き写しで、長い耳、ストレートの腰まである長い金髪
を無造作にゴムで束み、透き通るような白い肌を持ち、切れ長の一重
の奥にはビリジアンの瞳が深い色をたたえている。
しかしその瞳は何も映さない。
父親のテレパシー能力を色
濃く受け継いだシェダルは、生まれつき目と耳が機能しなかったのだ。
地球管轄下の星で暮らす以上、周囲にテレパシストがいないため非常に不自由なことこの上ない
ので、シェダルは視覚・聴覚不自由者専用の視聴覚伝達器を常に携帯している。
それが通称ポンコツ・・・ガタのきている年代ものの伝達器で、反重力装置を内蔵し、
シェダルの意志のままに周囲をふわふわ飛んでは情報を収集してくれる優れものなのだ。
シェダルはまた生き物の気配を読み
取ることにも優れ、テレパシストとしての能力はエイリアンである父親を凌駕し、
Sランクを認定されている。
心を読むことは周囲の人間にも知れ渡り、少年時代から苦労を強いられ
いじめを受けたこともあったが、16才のときにドール地区に引っ越し、
不良が避けて通る笛吹と知り合ってからは嫌がらせを受けることもなくなった。
能力を制御できず周囲の人間の思念を次々と取り込み、さらにいじめを受け、
最悪な状態だった頃の性格に比べて、笛吹という友人が出来てからは、本来の
母親譲りの性格が徐々に頭を出し始め、能力を完全に制御できるようになった
今ではすっかり明るく陽気になっている。
強制スカウトを受けてから1週間後、二人はガニメデを旅立ち、
4時間かけて火星までやってきた。
笛吹とシェダルは3月2日現在、火星第2港からメディフ社の本社ビル
があるMa25(Mars25番地区)に向かう、メディフ社専用飛行機
に乗って移動しているところである。
メディフ社専用機とは名ばかりの古い小型機で、揺れがとにかくひどく、
シェダルは一時気分が悪くなって大変だったが、笛吹からミント味の
ガムをもらってから何とか持ち直した。
「程度の低い嫌がらせだ。わざとこんなポンコツに乗せて」と笛吹は言ったものの、
非常に効果的であることは否めない。
笛吹にも嫌がらせの効果が表れ始めた頃、ようやく飛行機はMa25に着いたのだった。
Ma25は巨大なビルが立ち並ぶビジネス街だが、その中でも
メディフ社の本社ビルはひときわ大きく目立っていた。
とにかくでかい。
高さ495メートルの全面反射ガラス張りの巨体は、その足元に立って見上げて
ももやがかかって頂上付近が見えないことすらある。
飛行場から本社へ移動するリムジンバスの中でその噂に違わない威容っぷりを眺めつつ、笛吹は
これからの窮屈な生活を思ってげんなりしたように溜息を
ついた。
それを聞いたのか、隣で目を瞑って眠っているように見えたシェダルが口を開く。
「そ〜溜息つきなさんな、幸せが逃げていくぞ」
「幸せなんてとっくの昔にどこかへ逃げてったよ」
遠くを見る目つきの笛吹。
「学問の道は閉ざされ、野郎ばかりが詰め込まれた宿舎へと放り込まれ・・・うぅっぷ、
いいことなんて考えられない・・・」
「げっ、お前車酔いしてない!?」
ポンコツを駆使して笛吹の顔色が尋常でなく悪いことに気付いたシェダルは、慌てて
座席に取り付けられているビニール袋とで二重構造になっている紙袋を笛吹の顔に突きつけた。
が、笛吹は落ち着き払って手を振り、少し寂しげな表情を浮かべた。
「俺みたいな外見の男は車酔いなんてしないのが普通なんだ・・・」
「んなこと言ってる場合か!窓開けろ窓!」
窓を開けて新鮮な空気を浴び、なんとか誤魔化し誤魔化ししつつ、笛吹は終着地・・・メディフ
本社ビルまで持ちこたえることが出来た。
ちなみに笛吹の前や後ろの座席に座っていた他のエイリアンハーフたちは、いつのまにか
遠くの座席に移動していたらしい。
ようやくバスが停車し、一番前の座席に座っていた案内係の男が全員に降りるよう指示を出す。
リムジンバスから降りると、排気熱がむわっと笛吹の顔を撫でた。
吐き気を促すようなそれに顔をしかめ、額ににじむ脂汗を拭う。
一息ついて上を見上げると、ビルばっかりで、ガニメデで見たよりも空が狭い。
夕暮れでもないのに微妙に赤い空は、大気中を赤い砂が舞っている為そう見えるのだとか。
「赤いなぁ〜」と隣でシェダルがしみじみ愉快そうに言ったが、笛吹はこの時すでに
ガニメデに帰りたい病に襲われていたので、「ガニメデのほうが青くて綺麗だ」などと
変に対抗意識を燃やして眉根にしわを寄せていた。
バスを降りた一行は、最終手続きを行うため本社ビルの中へと案内された。
笛吹たちが正面玄関からビルへ入ると、ロビー付近にいた人間たちの
視線が一斉に向けられる。
「ハーフたちだぜ」
「スカウトされたAB様たちだ。ご足労ありがとうございま〜す、なんちゃって」
「わざわざ死にきたようなもんさ」
「あの中でどれだけが生き残るのかなぁ・・・」
このようなささやきをシェダルのポンコツは拾い、電波化して主の
脳に直接送ったが、受信者は一向に気にしなかった。
情報として受け取ったものの、感情では「ゴミ」として切り捨てていたからだ。
シェダルは欠伸をしながら、ポンコツのピントを隣を歩く友人に合わせた。
ポンコツはサングラスをかけた笛吹がいたって無表情に、真っ直ぐ前を向いて颯爽と歩く姿を捉えたが、
シェダルの能力は「お、俺のことをひょっとして見てるのか・・・?」とドキドキしている
笛吹の心を捉えている。
視線を浴びることを笛吹が嫌うことも、一見クールだが実は感情の浮き沈みが激しいという
こともシェダルは知っている。
苦笑しながらシェダルが笛吹に声をかけようとしたそのとき、
濃い金髪をした青年実業家風の男が数人の部下を従えて
ロビー奥のエレベーターから姿を現した。
「お久し振りです、笛吹さん!」
さわやかな声に笛吹は「げっ」と言うと身体を強張らせた。
タイミングを見計らったかのように完璧な、トリスタン氏の登場である。
磨かれて輝く白い壁も、ロビーにゆるやかに流れているクラシック音楽も、
「トリスタン部長だ・・・!」というギャラリーのどよめきも、
全て彼の登場シーンのために用意されたかのごとく、恐ろしくマッチしていた。
「お元気そうで何よりです。ガニメデから
の長旅はどうでしたか?何か支障があったら遠慮なく申し出てください。
確か火星は初めてですよね。どうです、ガニメデは素晴らしい星
ですが火星もなかなかものでしょう。10番街付近には自然公園や植
物園もあります。無料招待券があるので行きたい時には是非おっしゃってください」
と、はきはきした口調で言いながらこの社のナンバー2は、目立たないよう
に他のハーフたちに紛れていた笛吹にずんずん近づき、にこやかに笑いかけた。
瞬間、笛吹一人にロビー中の全ての視線が集中する。
「え、なにあのハーフ、トリスタン部長の知り合いなのか?」
「ちょっとちょっと、あのサングラスの人凄くかっこいい!モデルみたい!!」
視線にさらされ、笛吹の背中に冷たいものが走った。
一瞬硬直しかかったが、シェダルが『ファイトだ笛吹!戦うんだ〜!』とテレパシーでエールを送って
きたので少し勇気を得る。
車酔いからようやく立ち直った顔をまた紙のように白くしつつ、笛吹は「こんにちわ」と
ぼそりと言って、無理矢理営業スマイルを顔面に貼り付けた。
サングラスで隠しているとはいえ絶世の美形、笛吹忍。
神の芸術作品と例えるべきその凄まじい美が作り上げた笑い顔に、数人の心弱い人間と、
不幸にも笛吹のすぐ近くにいたがために直視してしまったエイリアンハーフが一人、
神経を揺さぶられ失神した。
たまたまそれを見過ごした数人がわけがわからず、「細菌兵器か!?」と周囲をキョロキョロ
見回したが、周囲の人々の視線の先を知ってそのまま絶句する。
そんな周囲を知ってか知らないでか、トリスタン氏は親しげにぎこちない笛吹の肩
をぽんぽんと叩くと、はっきりとした声で言った。
「我が社は社員教育を厳しく行っているので、不躾な対応をする社員など
いるとは思いませんが、何かご不満やお気付きの点があればどんどんおっしゃってください」
聞き耳を立てていた(立てずとも大きな声だったので耳に入ったが)何人もの人間がぎくっとする。
「あ、ああ・・・お気遣いありがとうございます」
笛吹がトリスタン氏に頭を下げると、また肩がぽんぽんと叩かれた。
「そんな気になさらなくても結構ですよ、私たち、友人じゃないですか」
トリスタン氏のことを知らないハーフたちを除く社の人間全員がもう一度固まった。
笛吹の目が点になった。
シェダルが「友人だとーーーー!?」という笛吹の魂の叫びを聞いてビックリした。
他のハーフたちは事態が飲み込めず落ち着かなさげにきょろきょろした。
営業先から社員が一人帰ってきたが、ロビーに漂う異様な静けさにおもわず
動けなくなり、閉まりかけた自動ドアにはさまれた。
諸々の症状を多くの人間に引き起こし、トリスタン氏は自分の
発言に対する反応のよさを楽しむかのように会心の笑みを浮かべた。
確信犯である。
「マスター、そろそろお時間が・・・」
相変わらず落ち着いた紅茶色の髪の青年アンドロイドの声に、
トリスタン氏はうなずくと、固まったままの笛吹に大げさな動作で別れの抱擁をする。
笛吹の魂の絶叫をシェダルはまたも聞く羽目になったが、次の瞬間、
予想しなかった音声をポンコツはデジタル化して脳に伝えた。
「夕方4時に能力測定を行いますのでご協力よろしく」
笛吹にしか聞こえないように小さくささやいた声だった。
トリスタン氏はさわやかに離れ、さわやかに別れの言葉を言うと、
部下を引き連れてさわやかに外に出て行った。
ざわめきを取り戻したロビーの中、笛吹はさっきまでとは明らかに
違った険しい表情で立ち尽くしていた。
(笛吹、能力測定って・・・)
シェダルは思念を笛吹に送った。
数秒置いて、笛吹がシェダルに対して方向性を持った言葉を心の中でつぶやいた。
(俺のあの能力についてだな)
笛吹の心に漂う恐怖とも諦めとも悲しみとも怒りともつかない感情が、
シェダルの心に言葉とともに流れ込んで来る。
それらは二人が出会った頃に比べて多少弱くなっていたものの、
鈍い光を放ちながら相変わらず精神を引っ掻き回していた。
友人の心配そうな顔に気付き、「大丈夫だよ」と言って笛吹は軽く笑った。
笛吹は思考や感情をシェダルにさらすことはあまり厭わない。
ここまでなら読み取っても良いという精神エリアは友人になったとき決めてあった。
笛吹は読み取られたくない思考や、精神の核の部分を硬くガードする術を持って
いたので、シェダルが無理矢理侵入しない限り、読心能力が及ぶのは心の表層に限っていた。
笛吹が心をガードする方法を身につけていなかったとしても、
笛吹はシェダルを友人としていただろうと笛吹自身考えたことがある。
恥ずかしくて感情をあまり表に出せずにいるものの、本当は自分が何を感じ、
何を思っているのか口に出さないでもわかってほしいという甘えたわがままを、
意識せずにしろシェダルの能力が可能にしているのだ。
一見笛吹がシェダルの世話を焼いているようだが、実は精神的に
依存しているのは笛吹の方であって、そのことに二人ともなんとなく
気付いているものの、暗黙の了解だったのである。