第2章 BOHEMIAN RHAPSODY


V



 メディフ社エイリアンバスター専用社員寮には、5階にある医療施設とは別に、 地下に極秘の実験施設が設けられていた。
 4階にある専用エレベータの入り口のことはごく一部の者しか知らない。
 エレベータの到着を表す光が地下2階に点滅するのを、ドクター・パーキンスは 特殊ガラス越しに粘着質な瞳で眺めていた。
 頭に張り付いたような油っぽい髪をしきりに撫で付け、鼻息が少し荒い。

 彼はこの実験施設の総責任者であり、権威ある科学者である。
 自分の興味範囲においては最高の才能を発揮するのだが、 それ以外のことについては全く尊敬できない、冴えない中年男で、 常識を一切持たず、解明されないメカニズムへの飽くなき追求を全面に 持ち出して自己正当化し、人体実験を繰り返したため、ついに5年前に名を連ねていた 最高科学学会から除名されたのだが、そこを才能を見込んだメディフ社が拾い上げたのだった。

 硬質な到着音が響き、中から数人の研究所員に伴われて姿を現した 黒髪の青年を見ると、パーキンスは爬虫類じみた風貌を歪ませた。
 「ひ弱そうだなぁ、面白くならないんじゃないのかなぁ」
 聞く者に不快感を与える下卑た声に、近くにいた職員達は誰も反応しなかった。
 パーキンスの独り言はいつものことなのだ。
 被験者、笛吹忍のことは彼の上司であるカール・トリスタンから任されてある。
 氏曰く、「能力を隠しているようなので、お好きに調べてください」とのこと。
 好きにしていいと許可をもらったからには、マッド・サイエンティスとの名にかけて 心置きなく実験を楽しむぞ、とパーキンスは舌なめずりをした。
 彼の目には類稀な容姿をもつ青年は映っておらず、1匹の病気を抱えたモルモットが 彼の手元に自分の足でのこのこと歩いてきただけにしか見えない。
 その病巣をどうやって劇的に発見し、いかに大量のデータを取るか。
 その際モルモットの生死は二の次であることは、この実験所の中では当たり前のことであった。
 ただ最近のパーキンスは、どちらかといえばデータよりも、 劇的な発見方法の方に興味が向いているらしく、自分の手でいかに素晴らしい演出 を創作するかが最大の課題であった。

 彼のモルモットが舞台の中央に立つ。
 セッティングは完璧だ。

 「ようし!今日はレオナ、君に決めた!それ、ぽちっとな」
 ひたすらねっとりとした声を放つと、自称マッド・サイエンティスと にして最高の演出家であるドクター・パーキンスは手元のボタンを押した。



 エレベーターのドアが開くと、笛吹の目の前に巨大な1枚の鏡が現れた。
 それは薄っぺらいのか分厚いのか、奥に何があるのかすらわからないほど 完璧に地下の空間にはまっており、ざっと見て縦は20メートル、横は30メートルは あるように思えた。
 鏡の手前の空間、つまり笛吹が立っている場所は一面中白い壁に囲まれている。 
 笛吹を囲む職員らしい男たちの一人が笛吹を促して、鏡の方に歩き始めた。
 鏡に近づくにつれ、笛吹はもう一人の自分によく似た男がこちらに向かって 歩いてくるような奇妙な錯覚を覚え、唇の端を心持ち上げた。
 向かい合う顔色の悪い青年の口元にも皮肉交じりの笑みが微かにこぼれる。
 相対距離が2メートルほどになったとき、右側にいた職員が胸ポケットから 銀色のカードを取り出し、鏡の隙間に微かに見える差込口に差し込んだ。
 ピーッという電子音が響き、ドア1枚分の大きさの鏡が切り取られたかのように手前に開いた。

 「ドアの向こうに検査室がある。中央部分で待機していろ」

 ドアを開けた職員はそう言うと、あごをしゃくって中に入るよう促した。
 どうやら彼らの付き添いはここまでらしい。

 ドアの中は白い壁に囲まれた細長い一直線の通路になっていた。
 白一色の空間の中で15メートルほど向こうに黒いドアノブが見える。
 その唯一の黒色を目指して笛吹はゆっくりと歩いた。

 『シェダル、聞こえるか?』

 心の中でシェダルに向けて強く呼びかけてみたが、返答はなかった。
 距離的には管理事務所で別れたシェダルの、読心能力のエリア内に十分 入っているはずなので、シェダルが笛吹に心を集中させていないか、 テレパスを遮断する何かが間にあるかである。
 シェダルの性格から考えておそらく後者であることは間違いなく、 遮断物も鏡だと見当はついている。

 何故このような地下の分かり難い場所に検査室は造られているのか。

 何とはなしに嫌な予感に囚われた時、笛吹は黒いドアノブの前に立っていた。
多少勇気を込めてドアを開くと、そこには一面鏡張りの広い空間が広がっていた。
 「またか」と深くため息をついて、笛吹はげんなりした様子で鏡の部屋の中に足を踏み入れた。
 後ろでドアが閉まる音がしたのでなんとなく振り返ってみると、 こちら側にはドアノブが無く、開ける事が出来ない仕組みになっていた。
 小さく舌打ちすると笛吹は先ほど職員に言われたとおり部屋の中央部分に向かい、そ こで足を止めて辺りをもう1度ぐるりと見回した。

 奥行きがいまいちつかめにくいものの、およそ20メートル四方の立方体状の部屋 の壁はどこもかしこも鏡。鏡。鏡。

 「俺がナルシストだったら大喜びなんだろうな」

 元気無く軽口を叩いた調度その時、ウィィンという機械音と共に笛吹が出て きたドア付近とちょうど真向かいに当たる壁付近の鏡の1部分が、 ゆっくりと上にスライドし始めた。
 と同時にマイクを通したような滑舌の悪い声が響き渡った。

 『いやぁ、こんにちは!これから実験を始めるよ!』

 異常に明るい声は、笛吹が置かれた状況にふさわしくなく奇妙に響き渡った。

 「実験!?俺は検査と聞いてたんだけど」

 『検査とも言うね。言っておくが君にはこちらが許可を与えない限り発言権はないのだよ』

  鏡のスライドが止まった。
 奥の暗い部屋からうっそりと人影が1つ現れる。

 『そこに現れたのは僕の大切なペット、レオナちゃんだ!彼女は強いよ。 さぁ、本気でいってみよう!』

 人影は全身を一枚の大きな黒色の布で包んだ女のようだった。

 「ちょっと待て、俺は女とは・・・」
 『殺らなきゃ殺られる本気バトルスタート!どっちが勝つか実験さ!』

 マッド・サイエンティストの声が実験開始のゴングとなった。


 女…レオナが床に崩れ落ちたように見えた、次の瞬間、黒い布 を払いのけ半透明のスライム状のエイリアンが笛吹目掛けて飛び出した。

 「あれはモーラ…!?」

 人類が初めて出会ったケフェウス型変光星系の住人、 後にモーラと名づけられたエイリアンは、その戦闘力、凶暴性から第1級 の危険生命体に指定されており、星から連れ出すことはおろか、 星に足を踏み入れることすら禁止されている。
 地球人の子供は「悪いことをするとモーラが来るよ」と言って育てられているほど 知名度が高いわりに、モーラのサンプルの入手の難しさから、伸縮自在の体と強酸の 液体を持つ身体メカニズムについてはいまだ解明されていない 点が多いというのが公式発表である。

 『そう、モーラだよ!可愛いだろう!?』

 粘着質の笑い声が検査室内に響き渡る。
 笛吹は数瞬の驚愕を収めると、天井隅に意識を集中させ、空間転移を行った。
 レオナとの相対距離が3メートルから一気に18メートルに広がる。
 さらにそこで念動力を自分の身体に作用させて宙に浮き、間合いを取った。

 『エイリアンを10人雇ってね、テレポーテーションを使って ブレーカープレートのαタイプで作った檻の中に閉じ込めたんだ』

 レオナは伸縮しながら滑るように笛吹の真下に来ると、何の取っ掛かりも 無い壁をものすごい勢いで登り始めた。

 笛吹もモーラの話を聴かされて育ったくちで、いたずらをする度に両親から叩き込まれ た恐ろしい話の主人公が接近しつつある今、冷たい手で心臓をわしづかみにされた ような気分を味わっていた。

 「テレポーテーションを使って…ね…」

 一人ごちると笛吹はレオナに意識を集中させ、この部屋の外へ空間転移させようとした。
 が、壁のところで意識が拡散され、モーラは笛吹の浮かぶ反対側の壁にテレポートした だけに終わる。
 舌打ちする笛吹にレオナの飼い主の声が降りかかる。

 『ちなみに実験室の壁はただの鏡じゃないよ。ブレーカープレートのβ タイプを使ってるんだ。αタイプは対物理専用なんだけど、βタイプはさらに 対ESP加工も施してあって、内部からは勿論、 外部からの接触も効かない設計になってるんだよ』

 反対側の壁に張り付いていたレオナは笛吹と同じ高さまで登りつめると、 数本の触手を笛吹に向けて伸ばした。
 笛吹はとっさに念動力を使って応戦しようとしたが、元から念動力はあまり得意 ではないことと、今すでに自分の身体に対して力を割いていることから判断し直し、 迫った触手を空間転移でかわし、床に移動した。

 『君はレオナを退治するしか生き残る道は無いんだよ、わかる? ただ逃げてるだけじゃダメだ。疲れるだけでどんどん不利になるからね』

 床に逃げた笛吹を追って、レオナは数本の触手を伸ばしつつ、それらを1本にまとめて 巨大な触手に変化させた。
 笛吹はありったけの念動力を迫る触手目掛けて放った。
 人間の頭1つを弾けさせるくらいの威力を持っていたが、触手の先がボフッと音 を立ててへこんだだけで接近する速度は緩まず、笛吹を頭から叩き潰そうとした。
 笛吹はそれを間一髪で右に飛んでかわし、触手は鏡のような床をむなしく叩いた。
 バチンッと空気を震わすほど大きな音がしたが、床には亀裂1つ入らない。
 触手を床に貼り付けたまま縮めると、レオナは体勢を立て直そうとしている笛吹の 傍にものすごい勢いで落ちてきた。

 肉迫したレオナが触手を振り上げた。
 横凪に腹を打ち据えようとした一撃を笛吹は身を沈めてやり過ごす。
 風圧が笛吹の髪をまきあげ、そのうち何本かは持っていかれてしまった。
 笛吹はそのまま後ろに3連続でバック転して距離をおくと、迫り狂う触手にもう一度念動力を 放った。
 しかし効かない。

 「俺の能力ではこいつを倒すことはできない、それがわからないのか!?」

 空間転移で部屋の隅へと移動し、さらに距離をおきながら笛吹はどこにいるとも知れぬ 科学者に向けて叫んだ。

 「さっさと検査を中止しろ!」
 
 『判断を下すのは僕だ、中止はしないよ』

 うっとりねっちょり嬉しそうな返事に、笛吹の頭に血が上った。

 「検査結果は明らかだろうが!こんな簡単な判断もできないのかバカ科学者!」

 壁の向こうでパーキンスが目をむいた。

 『な、なんだってーー!?ボ、僕を、天才の僕のことをた、た、たかがエイリアンハーフが バカだと!?ば、バカと言ったな!?』
 「そうだ、たかがエイリアンハーフにこんな恐ろしいやつ殺せないから早く中止しろ! そもそも何の検査なんだこれは!?」
 『黙れ!は、発言権は無いと言っただろう!?』
 「早く中止しろ、さもないとあんた殺人罪で捕まることになるぞ!」
 『だまれだまれだまれだまれーーーー!!』

 パーキンスが叫んだ。

 『君が検査中に死んでも僕は捕まらないんだ!社会の厄介者が一人失踪したってだけ で、警察は動きもしないだよっ!?わかってないのは君の方なんだからなぁ!? 何か能力を隠しているんだろう君、いけないのはそっちの方じゃぁないかぁ! 明らかだよ、君のほうが悪いって明らかだ明らかだアキラカダ!』

 飛んできた触手の一撃をやり過ごしながら、自分のとある能力の存在がばれている ことを知って笛吹は絶句した。
 逃げ惑う笛吹の後ろをなおもパーキンスの声が追って来る。

 『君はただ僕を楽しませてくれればいいんだよ、わかるかい?わからないだろうなぁ 凡人には僕の崇高な趣味がぁ!逃げてばかりじゃダメだよ立ち向かわなくちゃ! 学校で習わなかったのかい?困難に立ち向かわないようではいい大人になれませんよって!? エイリアンハーフなんかには難しすぎてわからなかったのかなぁ!? 教えてあげるよ僕が、親切でしょ、親切心で言ってるんだ、だから立ち向かうんだ、 さすれば道は開かんってね、だから行けよいいから行けよ行けよ面白くないじゃないかぁ!?』
 
 動き回って汗をかくほど体温が上がっている笛吹だが、おもわず鳥肌が立った。
 同じ言語を用いているにも関わらず、言葉が通じる相手ではないことがわかったからだ。
 しかも実験も何も、最初から狂った科学者は自分のことを殺す気だったのである。

 「や、やってられるか・・・!」

 笛吹が生きて外に出るためには、凶悪凶暴凶力の3拍子揃ったモーラを倒すしかなかった。
 しかし念動力と空間転移を必死に駆使したとしても、100%無理な注文だ。
 
 笛吹は悩んだ。
 その一瞬できた隙をレオナは見逃さなかった。

 巨大なスライム状のモーラの体から、部屋の四方八方に向けて大小さまざまな触手が放たれた。
 隅にいた笛吹は慌てて伸びてきたそれを避けようとしたが一瞬遅れてしまい、 脇腹を強酸性の触手がかすめる。

 粘りついた強酸はほんのわずかではあったが、服を溶かし、笛吹の左脇腹の皮膚を焼いて ダメージを与えるには充分の量だった。
 
 「っ・・・!!」

 歯を食いしばり、痛みに耐えながら笛吹は床に転がる。
 変態科学者に悲鳴など聞かせてやるか、と笛吹は意地になっていた。
 スピーカーを通して湿った哄笑が、緊迫した部屋にどろどろと吐き出されている。
 実に不快なBGMだった。

 笛吹は脇腹をかばいつつ起き上がると、空間転移で間を取ろうとした。
 が、触手は部屋中に伸ばされ、安全なスペースが見当たらない。

 笛吹は唇を噛んだ。

 立ちすくむ黒衣の青年に肉迫するレオナ。
 わき腹に走る焼きつくような激痛。
 まとわりつくような笑い声。

 「クソッ!」

 観念した笛吹は唇から流れる血もそのままに 、ギリギリまで押さえていた『第3の能力』を解き放った。


 笛吹の熱帯の海のような蒼い瞳が、夕暮れの紫に変わった。


 そう見えた次の瞬間、部屋中に伸ばされていた全ての触手が床に落ち・・・いや、叩きつけられた。
 そしてそのままぴくりとも動けなくなる。
 レオナ本体も何かに押さえつけられているかのように、床にぐじゅりと広がった。

 「何だ今のは!?サイコキネシスか!?」

 マジックミラーと同じ要領の壁の向こうの研究室で、実験の様子を楽しんでいた パーキンスが声を荒げた。
 彼の手元にある笛吹のデータには、念動力はCランクと書いてあり、 そのレベルの力ではレオナの力強い弾力性に飛んだ身体をひしゃげさせることは出来ないはずだ。
 さらにおかしなことに検査室・・・もとい実験室内のメンタルエナジー量を計測する機械は、 被験者が念動力を使用していないことを示している。

 「サイコキネシスじゃないとしたら・・・?」
 「ドクター」

 計測技師が声を上げた。

 「検査室内に重力変動が見られます」
 「重力!?」
 「40倍、は、80倍…・・・・・・150倍!・・・なっ、そ、測定不可能!」

 その間もレオナの身体はどんどん平べったくなっていき、屋台で売られるべっこう飴ほどの 薄さになったとき、ピシッと何かがひび割れるような音がした。

 「床が…ブレーカープレート破損!」

 驚愕にあえぐ計測技師の声に、パーキンスは自分の耳を疑った。
 かぶさるように研究室内にエマージェンシーコールが鳴り響く。
 パーキンスは視線を計測器から壁の向こうの被験者に移した。
 ちょうど笛吹忍は足元に広がるレオナの体から目をそらし、周囲に視線をさまよわせ、 周囲の反応を待っているところだった。
 体から紫色の陽炎がゆらゆらと立ち昇っているのが、普通の人間である パーキンスにも視認できた。
 パーキンスと笛吹の視線が一瞬、壁越しに交錯する。
 笛吹にはただの鏡にしか見えないので気がつかなかったが、 紫の瞳を一瞬でも真っ向から受け止める形となったパーキンスの方は冷水を浴びたかの ように寒気に襲われた。
 このとき初めてマッド・サイエンティストは、彼のモルモットの恐ろし いまでの美しさに気がついたのである。

 「…殺せ…」

 「…は…?」

 今度は計測技師が耳を疑う番だった。

 「しかし格好の研究材料では…」

 目を剥く計測技師に、恐怖に囚われた科学者は唾を飛ばして叫んだ。
 「殺せと言っている!βタイプが破られたんだ!ここも危ないに違いない!いいから殺れ!」