第6章 DR.JEKYLL AND MR.HYDE
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「わかりました、すぐそちらへ向かいます」
カール・トリスタンは携帯電話をベッドの上に放り投げると、
中途半端に緩めていたネクタイを完全に解いた。
「お仕事?」
「働き蜂に休む間はないんですよ」
「大変ね〜」
ベッドの上で頬杖をつきながらこちらを眺めている黒い下着姿の女
の傍らに腰掛けると、トリスタン氏はさらりと口付けた。
「この償いは今度きっちりしますから」
「ふふっ、何年後かしら」
赤毛の美女が身を起こし、パーマの見事にかかった髪をかきあげると、
柑橘系の香水の香りがふわりと漂う。
髪と同じ色のマニキュアを施した指を伸ばすと、チョコレート色の土台にアラベスク模様の刺繍が施されたネクタイに手をかけ、器用に結び始めた。
うつむき加減の彼女の顔は、本屋の店頭に並ぶブランドメーカー『サーキュラー』
が発行する、若い女性向けの雑誌でおなじみのものである。
「あなたにとって運がいいことに、ジゴロより仕事虫の方が好みなのよ、
私・・・・・・ハイ、できたわ」
最高のバランスで結ばれたネクタイ越しに胸板を軽く叩きながら、美女は
首を少しかしげて、男の腰を砕く笑みを浮かべた。
「それは確かに運がいい」
トリスタン氏はもう一度、彼女に口付けた。
「そしてあなたにとっても運がいいことに、私の上着の中にはこん
なものが隠れていたんですね」
ベッドサイドに脱ぎ捨てられていた上着を手繰り寄せると、ポケットの中か
らシンプルなラッピングの施された小さな箱を取り出した。
緑色のリボンには金色の文字で小さく「ラージス」と書かれてある。
「プレゼント?何かしら・・・」
丁寧に包装を取り小箱を開くと、黄金色の輝きが彼女の瞳に映った。
「あら、スーリィじゃない」
出てきたのはスーリィの大粒がついたドロップ型のネックレス。
スーリィ以外何もない、いたってシンプルなデザインであるが、透明感溢
れる蜂蜜色の宝石は何に邪魔されることもなく、孤高の存在感を放っていた。
「きれい・・・ありがとう」
心の底から嬉しそうに笑う彼女の顔を見て、トリスタン氏もにっこりさわやかに微笑んだ。
「実はこれ、元はただの石じゃなかったんですよ。生きていた石です。大切にしてくださいね」
部屋の前に待機していたアルカミルを従え、トリスタン氏は颯爽と火星最高級ホテル
「オスマン」の正面玄関を出た。
湿気を帯びた生ぬるい夜風に、金髪が少しなびいた。
空を見上げると、灰色がかった雲がどんよりと重くかかっており、少しつ
つけば滝のように水がこぼれてきそうである。
エランベリー製の腕時計に目をやると、長針、短針共に文字盤の1を指していた。
正面に停車していた黒のエア・カーに乗り込むと、後部座席に2度ほど
腰を上げて座りなおしてから、やっと深く身を沈める。
ききのいいクッションは、わざわざ特別注文して作らせたもので、デスクワー
クの多いトリスタン氏のお気に入りだ。
「本社ビルへ」
「イエス・マスター」
運転席に座ったアルカミルがエンジンを入れると、自動的にラジオにも電源が入り、どこ
かできいたようなクラシック音楽が流れ始める。
重低音のなだらかな旋律が、耳に心地よい。
「この曲、何でしたっけ?」
「バイラム・マーレイの劇『聖ヴィクター』の第4章の曲です。このエア
・カーのCMのBGMに使われていました」
「ああ、そうだった」
滑るように宙を走り始めたエア・カーの中で、トリスタン氏はその音楽に耳
を傾けながら、しばし思考の海を漂った。
曲が終わると、穏やかな声の女性ディスクジョッキーが、曲
が使われた演劇の内容を語り始めた。
政治犯である愛する男を逃がすために、ヒロインの女が蝋燭の光が煌々と
灯った燭台を片手に、自らおとりとなって夜の町を疾走する・・・・・・そこまで
話が進んだ時にエア・カー内に電子音が響いた。
「実動課課長からです」
「つなげて」
「イエス・マスター」
アルカミルはラジオのスイッチをオフにすると、代わりにその下にあった赤い
スイッチを入れた。
『あ、ブレンゴーラです、夜分遅くに度々申し訳ありません!』
先程までの穏やかな静寂を破る落ち着きのない声と共に、汗にまみれた
冴えない中年男の顔が、ホログラム映像となって運転席と助手席の間の空間に現れた。
「何かありましたか?」
『先程の件ですが、18−4型が高空間通信を使って連絡を取ってきました。
小輩の判断ではいかんともしがたい事態になっておりまして、部長の判断を仰ぐべく・・・』
「キネッサが?」
部下が言い終わるのを待たずに、トリスタン氏は割って入った。
『はい、現在『カルティケーヤ』とオンラインでつながっておりま・・・』
「今すぐこちらにつないで」
トリスタンからの命令を待たずに、アルカミルは左手でハンドルを握ったまま、右
手でホログラムを消しすと、ノート型パソコンほどの大きさのハイ・スペース通信用の
液晶画面をホログラムリフレクタの手前から引き出して立てる。
スイッチを入れると、ブゥンという動作音と共に、白黒の斜線交じりの画
面が浮かび上がり、次いで群青の髪を三編みに束ねたアルカミルによく似た
女性の上半身が姿を表した。
外周探知センサーの信号を受けて操縦室に向かったキネッサは、船の周りを映す
モニター画面で予想外の生物群を確認した。
黄金の巨人ではない生き物は、死骸に群がるありさながら群れをな
して押し寄せ、『カルティケーヤ』の船体に鋭い牙を立てようとしてい
たが、ダールアンスティールの数10倍の強度を誇る金属を使用した外壁
に、傷1つ入れることができないで、刃こぼれした歯を嘆くように耳障りな奇声を発している。
船への被害はないものの、スペシャル・スカッドのメンバーが帰還する際の支障になる
と考えた美人船長は、すぐさま『カルティケーヤ』に直リンクし、起動させた。
もうもうと砂煙を立てて宙に浮かび上がる『カルティケーヤ』。
黒山のようにたかり始めていたグリードたちは、あっという間に振り落とされ
、打ち所が悪くて死んだものには、その死骸を貪るべく仲間が群がる。
そうして船体に一匹も張り付いていないことを確認してから、キネッサは『
カルティケーヤ』の下腹部から巨大なペンチ状の機械を下ろすと、地面を埋め
尽くすグリード目掛けて伸ばし、そのうちの一匹を摘み上げた。
「まるでUFOキャッチャーみたいね・・・ふっ・・・ふふっ・・・ハッハッハハ・
・・は!!いけないいけない!」
周囲に誰もいないのに爆笑しかけたアンドロイドは、笑うところではない
ことにいち早く気付き、何とか発作を押さえることに成功した。
「という次第で捕獲に成功しました」
『なるほど・・・ありがとう。分析は行いましたか?』
キネッサは今、4000光年も離れたところにいるトリスタン氏と、タイ
ム・ラグもなくハイ・スペース通信を行っている。
モニターに映る映像はとてもスムーズな上に鮮明で、開発環境部長
のトレードマークである白い歯の輝きも、美しく再現していた。
「ハイ、早速アナライズ・ボックスにかけたのですが、残念ながら回答を得られませんでした」
『ふむ・・・では、実物を見せてくださいませんか?』
「はい、こちらに」
キネッサはひょいと不気味な生き物を持ち上げ、モニターに見せた。
なんとずっと右手につかんでいたのである。
グリードはあまりに騒ぎ、暴れたので、キネッサに麻酔銃を撃たれていた。
「部長にお見せするのを躊躇うほど醜悪な外見をしておりますが・・・・・・・部長?」
トリスタン氏はじっとグリードを見つめたまま動かなかった。
さわやかな雰囲気は消え失せ、至極真剣な目でキネッサの右手にぶら下がる醜悪な
緑色のひょうたんを見つめている。
アンドロイドの女性船長が、インプットされた何千もある人間の表情パタ
ーンから推察するに、それははじめて見る生き物に対する驚きの反応とは違
ったもので、また、意識して造られたものではない、素の表情であるようだった。
しかしその表情はほんの一瞬で拭い去られた。
『ああ、なんて醜い生き物なんだ!』
いつも通りさわやかな空気を身にまとうと、トリスタン氏は大げさに顔
をしかめ、額に手をやった。
『この生き物の数は?』
「先程測定したところ、『カルティケーヤ』を中心に半径6キロ
以内の地域にだけでも15000近く・・・・・・現在5000ほどまでに減少しています」
『減少?』
「SS(スペシャルスカッド)のメンバーが、外で戦闘を続けているようで
す。5分前にもここから5キロ離れた地点で巨大重力場が観測されました」
薄く笑みを浮かべながら、トリスタン氏は何か考え込んだ。
『隊員たちの被害状況は?』
「現時点では何もわかりません」
『・・・・・・あなたの考えでは、先発部隊やラージス社の社員達は現在どういう
状態にあると思いますか?』
「亡くなられたと思います。先程歯型を届けてくれたスタンフィールド隊員
も『絶望的だよ〜』とおっしゃってました」
モニターの中で金髪の青年が小さくため息をついた。
『そうですか・・・遺品は?』
「支部の建物内には、血糊と歯形のついた壁しか残っていないようです。発
掘所のほうは笛吹隊長が向かったと報告を受けましたが、たとえ残っていたと
しても先程の巨大重力場の発生により、消滅したと思われます」
キネッサはグリードをモニターに向けて掲げっぱなしだったことに気付き、ひょいと下ろした。
『・・・・・・グラウや巨人の姿は依然として見えないわけですね』
「いいえ、笛吹隊長がグラウを1本だけ見つけたと、スタンフィールド隊員がお
っしゃってました」
『1本・・・?ただの食べ残しか・・・・・・』
「はい?」
トリスタン氏は口元に手をやり、5秒ほど思案に暮れた。
『・・・・・・命令変更です。そこに捕獲した一匹以外、その生物を残らず掃
討。そして直ちに帰還してください』
「掃討・・・」
『はい、一匹残らず、です。それらをその星から出してはいけません』