第6章 DR.JEKYLL AND MR.HYDE


V





 顔もなければ首もない。
 なだらかな曲線で描かれたボディラインはいたってシンプルで、純度の高い蜂蜜 を塗り固めて作ったような印象を受ける。

 その体長、約3メートル。
 長い腕を地面すれすれまで垂らし、足を一歩踏み出すごとに右に左にかすかに揺れながら歩く。
 いや、腕や足という表現は適切ではないのかもしれない。
 釣鐘状の物体からのびた4本の棒のうち、中央に位置する2本が交互に動き、その結 果歩いているように見えるだけなのだが、ヒューマノイドにより形成されているエイ トコミューンに属する者がその姿を見たら、視覚に依存しないシェダル人を除いて、 自分達の姿との共通点を探そうとして腕や足に見立ててしまうのだろう。

 アンバーの巨人と名付けられた物体は、前傾姿勢気味にゆっくりと笛吹たちの方 へ近づいてきた。
 


 「こっち目指して来ているように見えるんだけど殺していいかねぇ?」
 ルークの中のもう1つの人格である男は、全神経を巨人に集中させながら、喜色満 面で舌なめずりをした。
 隣に立つ青年を呆れたように一瞥してから、笛吹は目を細めてもう一度巨人を観察する。
 「いや、こいつは生き物じゃない。意志は存在しない。たまたま進行方向に俺たちがいるだ けだ・・・と思う」
 「ふん・・・そういや血も出なさそうだなぁ・・・」
 口調はつまらなそうだったが、銀髪の青年の目はまだ爛々と光り、全身に狂気じ みた殺気を漲らせている。

 とにかくこのまま進行方向にうずくまっていては、踏み潰されること間違いなしである。
 あんなに大きくて重そうなものに踏んづけられたら一完の終わりだ。

 笛吹は一息つくと、足に力を入れて立ち上がろうとしたが・・・・・・。

 「・・・あれ・・・・・・?」

 膝ががくがくと震え、そのまま地面にへたり込んでしまった。
 


 「何ぼんやりしてるんだい?踏み潰されて死んじゃうよ〜」
 銀髪の青年が隣をちらりと見やると、笛吹は照明弾に照らし出された左半身の傷と、 自分の血に染まった服を凝視したまま呆然としていた。
 「ねぇ、死んじゃうよ?」
 「・・・・・・」
 「あんたが踏み潰されようが、オレには関係ないけどさぁ」
 「・・・・・・」
 「おーい」
 「・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・人の話聞けよなァーーッ!!!」
 突然キレたカストル系ハーフは、叫ぶや否や地面をダンッと激しく踏み鳴らした。
 「なんで無視するかナァ!?殺すぞ、アァ!?」
 谷中に響き渡るほどの大声で、笛吹はやっと我に返った。
 「・・・え・・・ああ、ごめん、気付かなかった・・・」
 笛吹は青白い笑みを浮かべると、右足と右腕だけを使って、這いずるように巨人の進 行方向から安全圏に避難する。
 ちょうど都合よく手ごろな岩が転がっていたので、それに背を預け、もたれかかった。
 這いずった後には赤い道が形成されていたが、笛吹は努めてそれを見まいとした。

 「ルーク、巨人を持ち上げられるか?」
 巨人が横を通り過ぎるのを見届けてから、笛吹は目をぎらつかせて巨人の一挙一動を注 視する銀髪の青年に声をかけた。
 「ルークじゃないって何度も言ってるだろォ!!」
 「じゃあ、なんて呼べばいいんだ?」
 青年は瞬間、不機嫌そうな表情を浮かべ、ルークの表情になった。
 「・・・・・・名前なんてない」
 むくれたような銀髪の青年に、笛吹は吐息を1つついた。
 「・・・・・・そうか・・・じゃ、カースレイン、巨人を持ち上げることができるか?」
 「その名前も嫌いなんだけどねぇ・・・・・・まぁ、任せておくれよ」
 眉間のしわを解くと、カースレインは巨人の背後に回り、胴体を抱え込み、そして力をこめた。
 「・・・・ッ、ぅううううーーーー!!」
 こめかみに血管を浮かべながらカースレインは渾身の力を注ぐ。
 「クゥウウウウウウーーッ!!」
 地面に足がめり込む。
 しかし巨人は全く意に介さない様子で、そのままのそりのそりと前進した。
 自然、銀髪の青年も引きずられていく。
 「グゥウウウウウ〜〜!!!」
 頬を汗が伝い、女性のウェストほどの太さがある腕がさらに膨らんだ。

 「だぁああああ!!!」

 ひょとしたら中型宇宙船ですら持ち上げることができたのではないだろうか。
 しかし巨人は持ち上がるどころか、前進を止めない。

 「クッソーーーー!!なんで持ち上がんないんだヨォ!!」
 ついにキレたカースレインは、目を充血させながら巨人から腕を解いて後ろに跳び 下がり、そして勢いをつけて強烈な跳び蹴りを琥珀色の背中に叩き込んだ。

 激しい打撃音が谷中にこだまする。

 「おい・・・大丈夫か?」
 笛吹は黙って右足を抱え込んでしまった銀髪の青年に声をかけた。
 「・・・・・・思うんだけど・・・、巨人はあんなに大きい図体していて、ものすごく重いのだ ろうに、歩く時に音1つ立てていないよね・・・・・・どうしてかな・・・・・・?」
 笛吹は遠ざかっていく巨人の後姿をぼんやりとした目つきで見つめた。
 「・・・サイコキネシスでも駄目で、お前の力でも駄目だった・・・・・・。今まで通用したのは 空間転移のみ・・・・・・」
 「ざけんなァァッ!!!」
 足の痛みから回復したカースレインが、またも逆ギレし、今度は右腕から大鎌 を出して巨人の胴体部を切りつけた。
 カストル人の大鎌を構成する物質は、現在確認されているものの中で最強の硬度を誇る。
 最強の硬度、そしてSクラスの最強の力で巨人は真っ二つに切り裂かれたが・・・。
 「なッ・・・!?」
 「やはり駄目か・・・・・・」
 すっぱりと切り裂かれた端からすぐに修復した巨人は、振り返りもせず遠ざかっていく。
 「・・・打撃には強いけど、瞬間的にとはいえ切ることはできるんだな・・・・・・」
 重力制御はまだ試していないが、無駄だろうと笛吹は見当をつけていた。
 「巨人をどうにかするには、切り取ってすぐにバラバラにする・・・・・・巨人がいなくなっ た原因は、地上にいる緑色のあいつらが群がってかじりまくった結果・・・・・・とも考えら れるな・・・・・・おい・・・・・・そこらへんでやめときなよ・・・・・・」
 両腕だけでなく、足からまで大鎌を出して滅茶苦茶に切り裂きにかかった銀髪の青 年の努力は全く報われることはなく、いたずらに体力を消耗しただけであった。
 「・・・・・・カースレイン・・・・・・破壊命令は出ていないよ・・・・・・」
 笛吹の静止の声も、完全にキレてしまった青年の耳には入らないようで、聞くに 堪えない罵声を上げながら、なおも巨人に対する攻撃を止めようとはしない。

 笛吹は薄く笑みを浮かべると、気だるげに上を見上げた。

 頭上の輝きは徐々に光度を失っており、谷間に占める影の領域が確実に広がりつつあった。
 効果はもう1分ともたないだろう。
 闇の侵食は生き物じみていて、光を次々と食らう様は崖の上にひしめいているであろ う緑の奇怪な生物たちを想起させた。
 
 1つ、笛吹は息を吐いた。
 谷間をゆるやかに吹き抜ける冷たい風が、失われていく光に比例するように、笛 吹の身体から体温を奪っていく。
 周りに目を走らせると、自分の左の足元に火のついたままのライターが転 がっているのが見えた。
 ライターをとろうとして、右手をそろそろと動かすと、たまたま左太腿の上を手 が這う形となった。
 傷に直接手が触れた。
 血が溜まっている肉でできた穴の中、白い骨が見えている。
 酷い傷であるにも関わらず、激痛のあまり麻痺したのか、もうさほど痛いとは思え なくなっていた。
 左腕の傷も同じように、少し前から激痛を訴えなくなっている。
 試しに左腕に力を入れてみたが、ジンとした痺れを感じただけで指先すら動かない。
 
 こういう状態に陥って、何故か涙は出てこなかった。
 渾身の力を振り絞って上体を岩から起こし、ライターに右手を差し伸べた。
 模様も色もついていない、鋼色のシンプルなジッポ型のライター。
 手は届いているように見えるのに、あのひんやりとした独特の感触が指に伝わってこない。
 視界が悪いのは、照明が暗くなってきていること以外にも原因があることに、はたして 笛吹は気付いていただろうか。




 怒り狂っていた銀髪の青年が我に返ったのは、照明弾の効果がきれ、巨人の姿が完 全に見えなくなってしまってからだった。
 「フン、殺し損ねたようだ」
 荒い息の切れ間に負け犬的セリフを冷たく吐いてみせると、カースレインは後ろ を振り返り、遠くに灯るライターの火を頼りにリズミカルに足を運んだ。
 「そもそも生き物じゃぁなかったんだっけ、なぁ」
 笛吹に語りかける銀髪の青年。

 しかし返事は返ってこない。

 「おーい、また無視?・・・・・・ちぇっ」
 口を尖らせると、カースレインは笛吹の脇にしゃがんだ。
 笛吹はライターを持った右手を地面に投げ出し、背は岩に預けたままぐったりとしている。
 カースレインはライターを冷たい手からとると、笛吹の顔にかざして見た。
 オレンジ色に彩られながらも、その顔色ははっきりと確認できた。
 61α人の肌の色を受け継いだ笛吹は普段から白い陶器のような顔色をしていた が、今は白を通り越して、青白く透き通るようである。
 「おい、ちょっと」
 肩を揺すったが反応はない。
 「シノブ!しーのーぶ!!」
 ルークと同じように呼びかけたが、効果はなかった。
 「起きろよ、おい!勝手に死ぬな!」
 苛立ってぴしゃりと血の気のない頬を打つと、ようやく笛吹はかすかに目を開けた。
 「・・・・・・何・・・・・・?」
 白みを帯びた唇から、息と共にかすれた声が紡ぎだされる。
 おぼつかない笛吹の視線に構わず、銀髪の青年は頬を膨らませた。
 「巨人は逃げてしまったよ」
 「そうか・・・頑張ってたのにな・・・・・・・・・」
 「・・・・・・」
 うっすらと笑みを浮かべる笛吹の顔を、カースレインは奇妙なものを見たかのよ うな表情で覗き込んだ。
 「・・・・・・オレの頑張り・・・見ていた?」
 「・・・・・・ああ・・・・・・見てたよ・・・・・・」
 「ルークよりも強いだろう!?」
 「・・・・・・そのようだね・・・・・・」
 「・・・そうか・・・・・・そうか!!」
 カースレインは満足げに笑った。
 「あんたさぁ見る目があるよ、うん!!で、オレは次に何をしたらいいんだい?」

 笛吹は震えるまぶたを持ち上げながら、屈託なく笑う青年の顔を必死に見ようとしている。

 「・・・・・・頼む・・・シェダルたちのところを、手伝いに行ってくれ・・・」

 「つまり金髪の男の周囲の緑色のへちまどもを皆殺しにすればいいんだな!オレの得意 分野じゃぁないか!」
 笛吹は静かな笑みを貼り付けて、かすかに頷いた。
 「イヤッホーイ!そうと決まれば実行実行!!」
 カースレインは指をぱちんと鳴らすと、笛吹を肩に担ぎ上げた。
 「・・・いや・・・俺は置いていってくれ・・・」
 「何言ってるのかなぁ、このままだと確実に死んじゃうヨ?」
 笛吹の表情がかすかに歪んだが、それは笑ったせいか泣きそうになったせいか の判別がつかない、微妙なものだった。
 「・・・・・・崖が・・・」
 「これくらい何ともないさァ。それより明かり明かり・・・明かりはどこですかぁ・・・っと」
 カースレインはポケットを探った。
 実はまだ持っていた照明弾。
 カプセルを笛吹から拝借したハンドガンにこめて頭上に放つと、また光のシャワーが弾け、 二人に降り注いだ。
 「う〜ん、パーフェクトだねぇ」
 にやりと笑って、銀髪の青年は崖に駆け寄るとものすごい勢いでよじ登り・ ・・いや、駆け上がり始めた。
 

 崖を上る青年の背中を笛吹は逆さまにぼんやりと眺めていた。

 紺色の戦闘服を着ていたためさっきはよくわからなかったが、青年のたくましい背 中には2、3箇所、酷い裂傷があった。
 数に頼る緑の生物達が、この鋼の防御力を誇る青年の体に傷をつけるこ とができるとは思えない。
 さっき上を見上げた時、夜空がよく見えないほどこの崖は深かった。
 おそらく落下の際に負ったのだろう。
 思い返してみれば、自分の身体には、緑のへちまたちに受けた2つの傷以外 、増えているところはどこにも見当たらなかったような気がする。
 ひょっとしたらこの戦闘狂で殺人狂で子供じみた青年は、落ちる際、自分を かばってくれたのかもしれない。

 そう思うと、死を前にして無性に笑いがこみ上げてきた。
 


 「・・・・・・パフィオペディルム・・・・・・」

 「んーー?何か言ったかい?」
 背中で笛吹が何か呟いたが、かすかな声だったのでカースレインはよく聞き取れなかった。
 「・・・・・・パフィオペディルム・・・・・・」
 「なんだい、それ?」
 「・・・・・・ガニメデの家で・・・俺が育てていた蘭の名前・・・」
 「ラン?なにそれ?」
 「・・・・・・花だよ・・・・・・パフィオペディルム」
 「・・・何言ってるかよくわからない」
 「・・・・・・名前だよ」
 「・・・名前?今のが?」
 「・・・・・・いいだろう・・・」
 「何が?」
 「・・・・・・お前の・・・名前・・・・・・」
 
 銀髪の青年は危うく足を滑らしそうになった。

 「・・・なッ!なんで花の名前・・・」
 「・・・・・・花言葉・・・お前に・・・ピッタリな・・・・・・」
 「ハナコトバァ!?」
 「・・・・・・そう・・・・・・フィォ・・・ディル・・・・・・」
 笛吹は声を震わせた。
 笑ったのかもしれなかった。



 「『変わり者』って意味があるんだ」



 笛吹はそう言った。


 確かにそう言ったが、自分がしっかり発声できたか、そして銀髪の青年が 聞き取ることができたかを、ついに確認することはできなかった。