第8章 DAY DREAM BELIEVER


T






 ・・・・・・何をしていたのか忘れてしまった。
 そもそもここは一体どこなのだろう。

 黒衣をまとった極めて美しい青年は、ぼんやりと立ち尽くしていた。

 前方には街灯1つ無い暗いじゃり道が細々と続き、冬の風呂場に立ち込めるよ うなもやと、黒く蒼い闇のせいで先に何があるか全く見えない。
 道の両側は草木・・・所狭しと生えている低木はおそらくムタとカッチ、シダ植 物はラングルだろう、その他ケイタンやキョエイガ、ぺんぺん草などの雑草が 鬱蒼と生い茂り、なにやら不気味な雰囲気を演出している。
 上を見上げると、暗い上に遠目なので種類を判別することはできないが、これま た高木が黒々と空を隠していた。
 墓場のような、どこか山奥の心霊スポットのような、首無し騎士が彷徨う 古城の近くの森のような・・・・・・。
 「・・・ってどれも幽霊ネタじゃん」
 笛吹忍は声に出して自分の考えにツッコミを入れたが、テノールの音楽的あ るいは芸術的声は、静けさに溶け込んでいくような変な響き方をした。

 もう一度、周囲を見回してみる。
 これだけ木があるなら普通、鳥の鳴き声などが聴こえても良さそうなのに、 辺りは重く静まり返り、湿った空気が温く笛吹や木々にまとわりついていた。
 はっきり言って長居したくない場所であるが、なぜ自分がこのような場所にい るのか、笛吹には全く分からない。
 気がついたらここに立っていたのだ。
 そしてなんとなくではあるが、この道を真っ直ぐ歩いていけばいいことだけは理解していた。
 もし突然チェーンソーを持ち、いかにもなマスクを被った殺人鬼が茂みから飛び 出してきたらどう対応しようか・・・そんなことを考えながら笛吹は先へ急ぐべく、白 っぽい砂利道に恐々と一歩足を踏み出し・・・・・・。

 「・・・・・・・・・なんでムタとカッチが同じところに生えているんだ!?」

 ムタは亜熱帯地域、カッチは寒地荒原に分布するはずだ。
 今、周囲は暖かくもなく寒くもない、素晴らしく快適な温度である。
 木々のため空はよく見えないが、辺りの暗さから夜と考えてここは亜熱帯地域で あると仮説を立てると、カッチがここに生えているのは明らかにおかしい。
 カッチと見せかけて、カッチではない?
 それともカッチによく似た他の植物か?
 いや、そんな植物は今のところ発見されていないはずだ。
 新種か、突然変異か・・・・・・笛吹は驚きと喜びと興奮に心を躍らせながら道端 に走り寄ると、カッチを手に取りしげしげと観察し始めた。

 笛吹の手の中にある細く長い葉肉は、ふちが丸くギザギザになっており、 ダンボール箱のような色の幹といい、笛吹の知るカッチそのものである。
 ということは、ムタが間違っているのか?
 笛吹は隣の腰の高さほどの低木を調べようと身を屈め・・・・・・その左隣にちょ こんと生えている小さなサボテンを発見して愕然とした。
 「ま・・・・・・間違ってる・・・」
 額に手を当て、思わずよろめく笛吹。
 「なんでこんなところにエウロパピクシーサボテンが!?」
 エウロパピクシーサボテンは、名前のとおり、衛星エウロパの砂漠地帯に 生息する小さな球サボテンの一種で、笛吹の愛する植物ランキングの上位に食い込んでいた。
 「俺は認めないぞ、こんな世界・・・!」とぶつぶつ言いつつしゃがみこんで、 ちんまり可愛い球サボテンをどことなく嬉しそうに観察する笛吹。
 「愛」と「生態系の矛盾」では、前者の方が重い。

 さぁ次は一体どんな植物が生えているんだ、と若干の期待を込めて美貌の青年は サボテンの左に目をやると、今度は一輪の変わった花弁のランが生えていた。
 笛吹がガニメデの実家で栽培していたものと同じ種類のラン。
 「パフィオペディルム・・・」
 長くて量の多い睫毛に縁取られた目を、笛吹は数度しばたいた。
 頭の隅に引っかかっている何かが膨らんだり縮んだりしながら、笛吹の記憶 をじれったそうに刺激する。
 何か、大切なことを忘れている気がした。
 青年はランを見つめながら記憶の網を手繰り寄せる。

 と、そのときどこからか、かすかだが声が聞こえたような気がした。

 笛吹は動きを止めて辺りに耳を澄ませたが、風で草木がこすれ合う柔らかな音 以外何も聴こえない。

 気のせいかと、神経をもう一度花に向けようとした時、今度はさっ きよりもわずかだが大きな声で「おーい」と聞こえた。
 どうやら笛吹が進もうとしている道の先に誰かがいるようだ。
 もやはいつのまにか、ミルクのような霧へと変わり、視界は先程よりもはるかに 不明瞭になっていた。
 姿は見えないが人がいることに少し安堵した笛吹は、立ち上がると道の先へと進もうとした。


  その右手首を、ランの側にあったグースベリーの茂みから突如突き出 た骨ばった白い手がギュッとつかんだ。






 頭部に衝撃が走ったかと思うと真っ暗になった目の前に無数の星が飛 び散り、一瞬気が遠のき、ついでに何か変なことを口走った気もするが ともかく、ここで気を失うわけにはいかなかった。
 自分がここで倒れたら、幼さの残る少年と幼い小動物を危険極まり ない場所に残すことになってしまうし、何よりも親友の命が気にかかった。

 自分の索敵能力の高さには自信がある。
 社員寮の地下研究所のような例外は別として、超感覚はどこまでも伸ばす ことができ、その気になれば20キロ離れたところにいる人間の心の奥底ま で読み取ることも可能だろう。
 そしてフィールド内の意識ある者全ての精神状態を、把握・分類・検索することさえできる。
 そのコンピューター並みの精密さと信頼度の高さから、最高クラスである『S』をつけられた。

 Sクラスのテレパス。
 幼い頃から幾度となく暴走し、周囲の人間を恐怖に陥れると 同時に自分を傷つけてきた能力。
 その能力の高さゆえに、どれだけ自分は見えない血を流しただろう。
 どれだけ世界を、能力を、自分を憎んだだろう。
 それでも生きているは、あの頼りない親友がためだ。
 彼が自分の能力を受け入れてくれたから、自分は思考の氾濫するこの世界で窒息 しないでいられるようになった。
 そして今ではSクラスの『完璧な』テレパシストである。

 それなのに、持てる限りの力を解放したのに、奴を見つけることができない。
 なんのための能力なのか。
 ここぞという時に限って、何故、友人一人捜すことができないのか・・・・・・!
 


 シェダルは遠のきそうになる意識を必死につかみ、渾身の『力』で もって自分を支えようとした。

 瞬間、星が乱反射する『視界』がいまだかつてな いほど『クリアー』になる――――――――――――。






 確かにシェダルはそのとき、自分の『眼』で親友の姿を捉えていた。

 「笛吹!」
 ようやく見つけた親友の姿にほっとしながらシェダルは叫んだが 、笛吹には聴こえていないようだ。
 一面真っ白の何もない空間に、黒髪の美青年はぼんやりと立ち尽くしてい る・・・・・・かと思ったら、しゃがみこんだり嬉しそうな顔をしたりと不審な行動をとり始めた。
 「な、何やってんだ、あいつは・・・」
 挙動不審な様子に疑問を抱いたが、ひとまずほっと胸をなでおろし、笛 吹の元へ近づこうとした。
 が、あと1メートルというところで、何か透明な壁に阻まれるかのよう に一歩も踏み出せなくなってしまった。
 押しても叩いても、冷たい肌触りの見えないガラスはびくともしない。
 「どうなってんだこれは・・・オイ、笛吹!」
 シェダルは壁をどんどんと叩いて笛吹を気付かせようとしたが、音は全く出なかった。
 一方笛吹はシェダルに向かい合うようにしゃがみ、奇妙なものを見つ けたような表情で足元をじっと眺めている。
 「笛吹!うす・・・・・・」
 シェダルはなおも呼びかけようとして、ふと右の方向から『何か』が近づくのを感じた。

 姿は見えない。
 しかし、『よくないもの』であることはなんとなくわかった。
 背中から首筋を通って耳の後ろ側にまで寒気がのぼり、全身が粟立つ。

 笛吹もそれに気付いたようだ。
 ひょいっと顔を上げて、そちらを不審そうに凝視している。
 その間も『よくないもの』はこちら・・・・・・笛吹に近づきつつあった。

 「おい笛吹、逃げろ・・・!」
 シェダルは接近しつつある正体不明の『それ』に言い知れない恐怖を感じていた。

 しかし黒髪の美青年は立ち上がり、嬉々とした表情さえ 浮かべて『よくないもの』に向かって歩き出そうとしたではないか!

 「・・・この・・・ッ!!!」
 焦りと怒りに眩暈を感じながら、シェダルは渾身の力を右手にこめて壁を殴りつけた。
 すると、右手は何故か少しの抵抗も感じずにあっけなく壁を通り抜けてしまった。
 不思議には思ったが今の状況においてそれはどうでもいいことで、シェダル はひとまずひきとめるべく笛吹の右手首をギュッとつかんだ。
 
 途端、シェダルはガラスが砕ける音を聴いたような気がした。

 同時に周囲の白い世界がひび割れ、粉々に砕け、代わりに木々が鬱蒼と生 い茂る夜の森が破片の向こうから現れた。






 「ッギャーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!オバケッ!オバケッ!!」
 「・・・・・・バカ、オレだよ笛吹」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだ、シェダルか」
 突然茂みからにゅっと出た手に腕をつかまれ、恐怖に引きつった叫びを 上げた笛吹だが、続いてシェダルがガサガサと姿を現したのを見ると、す ぐに普段の無表情に戻り、実にさりげない動作で目に滲む涙を拭い取った。
 「なんでグースベリーの茂みの中に隠れていたんだ?よく覚えていないんだ けど、ひょっとしたらかくれんぼの最中だったかな?」
 素っ頓狂な問いに、シェダルは思わず完ぺきな形をした笛吹の頭をはたく。
 「な〜にバカなこと言ってんだ。アンバーでの任務の真っ最中だっつーの」
 「・・・・・・あ・・・・・・」
 シェダルの一言で、笛吹の頭の中にくすぶっていたものは氷解した。
 「わかったか?行くぞ」
 「俺・・・・・・確かあいつに助けられて・・・・・・」
 笛吹はぼんやりと自分の左腕を見たが、あの傷はどこにも見当たらなかった。
 「・・・・・・あんな酷い傷受けたから、てっきり死んだと思ってた・・・」
 「笛吹、オレもわけがわからないけど、ひとまずここから逃げよう」
 なおもぶつぶつと暗く話し続ける笛吹に、シェダルはかまっている余裕は無かった。
 例の『いやなもの』はもうすぐそこにまで来ていた。

 「笛吹、こっちに来るんだ」
 シェダルは笛吹を『いやなもの』が来るのとは逆の方向へ引っ張ってい こうとしたが、笛吹はそれを拒んだ。
 「だめだ」
 踏ん張る笛吹に、シェダルは少し眉をしかめた。
 「駄目って・・・・・・?」
 「・・・俺はあっちに行かなくちゃいけない気がする」
 空いた手で笛吹が指差したのは、『よくないもの』が来る気配のする方向である。
 笛吹は何故かはわからないが、どうしてもあちらへ行かなくてはならない気がした。
 しかしシェダルはあちらが『よくない』ことを、持ち前の鋭敏な感覚で感じとっている。
 「気のせいだよ、ほら、行くぞ」
 「気のせいじゃない。・・・・・・ほら、呼ぶ声がするだろ?」
 「オレにゃぁ聴こえないね、いいからついてこいって」
 再度力をこめてシェダルは腕を引っ張ったが、笛吹は頑なに拒み、腕を振り払おうとさえした。
 「お前だけ戻れよ」
 「なんでそんなにあっちに行きたいんだ」

 「おーい」という声が、笛吹の耳に先程よりも大きく聴こえた。

 「行きたいんじゃなくて、行かなくちゃならないんだ」
 「嫌ならさぼれ!」

 『よくないもの』が砂利道を歩く足音が、シェダルの耳に入った。

 「嫌だけど・・・・・・あっちに行ったほうが楽なんだ」
 「悪い、今お前の希望を訊いている暇ねーのよ」
 
 焦るシェダルの眼が、濃い霧の中にうっすらと浮かび上がった黒い影をとらえた。
 ざりっ、ざりっという足音が、だんだん大きくなってくる。

 「笛吹!」
 「シェダル、・・・お願いだから行かせてくれよ」
 完璧な角度でひそめられた眉、うっすらと涙をたたえる蒼い瞳、囁くようなテノールの声。
 全宇宙に住む生きとし生けるものが涙と鼻血と涎を流して昏倒するような哀願っぷりだっ たが、奇跡のような美も殺気だったシェダルだけには通じなかった。
 「そんなお願いきけるかこのバカ!!!」
 スッパーーン!と軽い音を立てて、シェダルの手が笛吹の頭をまたも急襲した。
 「・・・って〜!!バカバカ言うなよバカ!」
 「いいからこっちこいバカ!!」
 輪郭がはっきり見えるほどまでに、黒い影は接近していた。
 足音も大きく、不快にシェダルの耳に響く。
 「シェダ・・・」
 「あーー!もーー!面倒臭っ!!」
 シェダルは笛吹にしがみつくように抱きかかえると、思い切って先ほど飛 び出したグースベリーの茂みへと頭から身体を投げ出した。

 刹那、霧の中から飛び出した『何か』が、シェダルのトリートメント不要の髪 を数本掴んだが、二人の身体を捕まえることはできない。
 『何か』がうった舌打ちが耳にやけに響くのを感じながら、シェダルと 笛吹は茂みの中へ・・・・・・否、違うどこかへと身を躍らせる。



 無重力空間に飛び出したときのような酩酊感が、二人の五感を襲った。
 シェダルが先ほどまでいた白い世界ではない。
笛吹が悲鳴を上げたが、その声は自分の耳に届かなかった。



 渦巻いている。

 何が渦巻いているかはわからない。

 ・・・・・・全てだ、全てが渦巻いているのだ。

 目に映るものだけでなく、音も、思考も、自分の身体さえも。

   全てが渦巻き、氾濫し、砕け、再生し、死に、そして・・・・・・・・・・・・・・・・。



 



 「なぁ、シェダル」
 「なんだね、笛吹くん?」
 「ここってどこかわかるか?」
 「ん〜〜、なんとなく見当つくけどさ・・・・・・お前なら はっきりわかるんじゃないの?この植物は?」
 「・・・・・・わかる」

 笛吹は頷くと、周囲の景色に溶けてしまいそうな親友にち ょっと困ったような視線を送った。

 「グラウだ・・・・・・」
 
 シェダルは笛吹の答えを聞くと、軽く首をかしげて辺りを見回した。
 「・・・・・・んじゃ、ここはアンバー星・・・で正しいのよな・・・?」




 二人の周囲は全てが黄金に輝いている。
 笛吹とシェダルはグラウの草原にぽつんと立ち尽くしていた。