VENUS AS A BOY





『件名:ノート(添付ファイル付き)
昨日の生物の授業ノートを添付しておくから、わからない所があったら 言ってね。ところでウスイ様の隣に座って大丈夫?セイラン君は体が弱 いから心配だわ。あと、ウスイ様に話し掛けたりしちゃダメよ。(出来な いと思うけど)隣のクラスの変態教祖がうるさいからね』

 『件名:ありがとう
ノート、とってもわかりやすいよ。ありがとう。ランチをおごらせていただきます。
体の調子はいいよ。僕は機械越しに見ているからみんなほど影響がないみたい 。でも、それじゃぁ誰もウスイと話さないってこと?そんなのおかしくない?』

 『件名:チキンカレー!それと杏仁豆腐も!
話したくてもできないの。宗教家のこともあるけど、ウスイ様の姿を視界に入れた だけで別の世界に飛んでっちゃうのよ。それにウスイ様もどこか人と隔絶したがっ ているような雰囲気があるし。孤高の人という表現がぴったりくるわね。きっと宇 宙の神秘に思いを馳せてらっしゃるのよ』

 孤高の人?
 隣の席でオレに話し掛けたくてうずうずしているのに度胸のない男を、 ポンコツ越しにちらりと見た。
 孤高の人ことウスイは、宇宙の神秘に思いを馳せるどころか、学校を休 んでいた3ヶ月分の授業のノートを誰に見せてもらおうか、とずっと悩んでいるみたいだった。
 でも傍目には全くわからない。
 教室の前の巨大スクリーンに映し出されたガニメデ北部にある工業地帯の 映像を、美術館に展示されている彫刻のようにまんじりともせず、完璧な無 表情で見つめている。
 ウスイの世にも美しい視線を浴びつづけている壇上のてっぺんハゲの地理 教師は、普段はつまらないギャグを言っては生徒たちからひんしゅくを買っ ていたのだけれど、今日は可哀相なほど固まってしまってギャグが一つも飛び出さない。
 
 まぁ、ウスイは案外心の奥底では宇宙の神秘とやらについて思いをめぐらせ ているのかもしれないけれど、奴が抱え込んでいるタールのような闇はとても 深く濃く、気にはなるものの探ってみようとは思えない。
 何度も言うけど、オレは他人の思考なんて好き好んで覗いたりなんかしない。
 触れることさえ嫌いだ。
 ハイで楽しい気分の奴の感情なら、感情が移っても楽しい気分になれるから 別にいいけど、それでも他人の感情によって左右される感覚なんて、『自分』 が消えてしまったみたいでくそ食らえだ。
 だからオレは極力、能力の放出を押さえている。
 自分の力で押さえが効かない時は、研究所の連中の作った薬を使って押さえる。
 でもオレがどんなに頑張って人の心を読まないように努力しても、向こう から感情をオレに向けてもやもやと伸ばしてくる奴がいるんだな。
 それがウスイ。
 オレはできるだけ、その感情を注視しないよう、目をそらしつづけた。
あんなどす暗い感情に取憑かれでもしたら厄介だ。
薬の効果がきれたら、この席に座るのは苦痛になるだろうことは間違いない。

 しかし・・・このギャップに気付いているのはオレだけなんだろうなぁ。
 みんなのウスイ様は、実はネクラで小心者。
 初対面で見抜いた奴はオレくらいなんじゃないだろうか。
 ていうか、クラスメイトたちはオレのことも未だに「儚げでやさしい セイラン君」なんて思ってるし。
 お袋が知ったら腹を抱えて笑うに違いない。
 ははっ!オレとウスイ、二人して本性を隠してクラスメイトに偽りの姿を見せているわけだ。
 そう思うと、久々に気分が高揚してきた。
 他人の感情じゃない、自分の感情だ。
 珍しくおせっかいでもしてみようかな、なんて気になってしまう。

 『件名:財政難・・・。
そんな難しいこと考えているかなぁ。今日の昼ご飯はどこで食べよ う、とかそんな普通のことを考えていると僕は思うよ。それより彼 に休学中のノートを見せてあげたら?喜ばれるんじゃないかな』

 『件名:キャーー!
先生にも頼まれたんだけど、私気後れしちゃって・・・お願い!セイラ ンくん、頼まれてくれない!?杏仁豆腐は自分で買うから!!ウスイ 様の出席番号は32番だから、学内用メールアドレスの先頭部分をC32にしたらいいだけよ』

 ・・・・・・やれやれ、気後れって・・・・・・。
 オレは深くため息をついた。
 隣でウスイがビクッと反応したが無視する。
 杏仁豆腐代が浮くから、ま、やってもいいけどね。
 

:::

 
 常春、ガニメデ・ドール地区。
 人工天体による気温調節のおかげで、年がら年中快適温度ときたもんだ。
 オレはグラウンドに降り立つと、青い空に白く輝きながら浮かぶ天体と、そ の後ろにどっしりと大きく構えている木星をポンコツと共に見上げた。
 うーん、絶景。
 木星ってほんとでかい。
 人工天体の方が距離的には近くにあるのに、それよりもはるかに 大きく見えるのだから不思議な感じだ。
 オレは外の空気をおもいっきり吸って、吐き、教室に押し込められ勉強 していたうちにたまった感情のもやもやとした熱を、昇華させるイメージを作った。
 能力が押さえられているとはいえ、少しずつ取り込んでいたらしい他人の 感情が、そうすることでなんとはなしに消えていくような気がする。
 
 人工の日差しはさんさんと降り注ぎ、オレのもやしのように貧弱な体に健 康的な熱を送り込んでくる。
 ポンコツの明暗感知調整をしながら眩しいグラウンドを見渡すと、数 人のジャージ姿の生徒が、体育教師の指示どおりメジャーで測りながら白 線をひいているのが見えた。
 他の生徒はあちこちで数人固まって、雑談している。
 と、一番近くにいた集団の中から「セイラン」と声をかけられた。
 ノスだ。
 オレはありがたいことに、ノスたちのグループに混ざるようになっていた。

 「今日は参加するんだよな!勿論オレたちのチームに入るだろ?授業 前にチーム分けしとかなくちゃいけないんだ」
 「今日からソフトボールだったっけ。間違いなく足引っ張るけどいい?」
 「大丈夫大丈夫!みんなでカヴァーするからさ!ポジションはどこがいい?」
 「あまりボールの来ないところ」
 「んじゃライト決定〜!」
 「外野って行動範囲広くない?」
 「センターに足の速いやつをもってくるから、そいつに任せたらい いぜ!これで5人っと・・・・・・あ、アスティ!お前ら一緒に組むよな?」
 
 ノスは校舎から出てきたアスティと、その友人二人を見つけて声をかけた。
 「言っとくけど勝ちを狙っていくからねー!」と強気の発言をしながら同意を示すアスティ。
 ありゃりゃ〜、それじゃぁオレは邪魔かな・・・とか思っていると、彼女 はオレにくるりと元気よく向いた。

 「大丈夫?調子が悪くなったらすぐに言うのよ」
 「今日は久々に絶好調なんだ、・・・と言っても役立たず間違いなしだけどね」
 
 姉貴分ぶっているアスティに、オレは儚げな笑みを返す。
 彼女がオレのことを心配したくなる気持ちはよくわかる。
 なんせ転校してから1週間で、気分が悪くなって保健室に行くこと1 6回、早退は2回もしているから。  体育の授業は3回あったのだけれど全部見学してたし。
 でもこれでも以前の学校にいたときに比べたら、全然調子がいい方だ。
 
 「みんな頑張って僕の分も働いてくれよ、応援はがんばるから」
 「うわっ、セイランすでに戦闘放棄かよー!」
 「強気でいけっ!強気で!」
 
 ひとしきり笑い声が咲いた。
 なんて明るくて、キラキラした空間なんだろう。
 最近、当たり前のようにしてオレはそんな綺麗な空間に溶け込 んでいる・・・かのように見せている。
 こんな単純な人のいい奴らを騙したまま、オレはここに混ざっていてもいいんだろうか。
 そんなことをふと考える。
 違和感を感じているのはオレだけなんだろうか・・・・・・。
 ・・・・・・まぁ、後ろからやってきた奴に比べたら、オレの存在に 対する違和感なんて砂粒みたいなもんなんだろうけど。
 
 突然、グラウンドから話し声や笑い声がすぅーっとひくように消えた。
 校舎からウスイが姿を現したからだ。
 オレたちとまったく同じ紺色のださいジャージを身に付けてい るにも関わらず、その姿は何故か神々しく、淫靡で、ありきた りの表現で言えば、最新のファッションを身に付けたスーパーモ デルが裸足で逃げ出すほど・・・美しかった。
 完全に静まり返ったグラウンドにウスイはちょっと眼を細める と、計算し尽くされたかのような優雅な足取りでオレたち無言の ギャラリーの間を横切り、グラウンド脇にある体育倉庫の壁にもたれかかった。
 
 「ウスイはどこのチームに入るの?」
 
 腕を組んでうつむいてしまったウスイを横目で見ながら、オ レは隣でぼぅっとしているアスティに話し掛けた。
 
 「あいつはみだしっ子みたいで可哀相じゃない?僕たちのチームに入れてあげれば?」
 「う、ウスイ様がはみだしっ子なんてそんな!!!孤高なだけではみだし っ子なんかじゃないわ!!」
 
 うーん、孤高ねぇ。
 オレは首をかしげた。
 アスティは頭がいい子だけど、ウスイに関することになると滅 茶苦茶になってしまうのが勿体無い。
 例えばアスティ・・・いや、オレ以外のやつらから見れば、今 のウスイの行動は、ただの目の保養であって、そこに一般人 的感覚による意味など存在しない・・・いや、存在しちゃいけないらしい。
 オレから見ると、友達がいなくて居場所に困っている可哀相 な奴、といったところなんだけれど。

 結局、所在なげに・・・と言ってもオレからの視点でのこと で、一般人的視点では超然と孤高の美男子よろしく体育倉庫 脇に立っていたウスイは、どこのチームに入ろうとも、入れても らえもしなかったので、体育教師が人数の一人足りなかったオレたちのチームにふりわけた。
 クラスメイトの羨望の視線を浴びながら、アスティともう2人の女子は身に余る光 栄に興奮しすぎて失神寸前、ノスやデュランたちはというと、顔を真っ赤にして必死 にウスイを視界に入れないように頑張っている。
 そんな彼らをちらっと見てから、ウスイはオレたちから少し距離を置いたとこ ろにぼんやりと立った。
 打順やポジションを決める作戦タイムにも、ウスイは結局オレたちの輪に加 われず、グラウンドの片隅にある花壇のほうをずっと眺めていた。
 奴の暗いオーラが少し大きくなったように見えるのは、気のせいではないと思う。
 そりゃぁそんな気分にもなるだろう。
 加えるきっかけを作ってやらなかったノスたちが悪いのは明らかだった。
 まぁ失神寸前のあんな状態じゃ無理だとは思うけど。
 オレ?
 オレこそウスイに話し掛けられないよ。
 そんなことしたら目立って、様々な感情がオレ目掛けて飛んでくるだろうから。
 件の変態教祖に絡まれるのも願い下げだ。
 それにウスイがカン違いして、オレに友情を感じてしまったら非常に困る。
 オレの能力にとって、ウスイの中で巣食っている得体の知れない負の感情 は、もっとも避けて通りたいものであるし、他にも色々・・・理由はあるんだ。
 オレはただ、黙って温かい目で彼らの精神的成長を見守ってやることしかできない。
 クラスのみんなと、ウスイと、双方が冷静になって歩み寄れば言いだけの話なんだ。
 歯がゆいよ、ほんと。
 ほんと、本当に。
 ・・・・・・なんでこんなにむしゃくしゃするんだろうね。

 
 そんなこんなでも試合がいざ始まると、みんなゲームに没頭し、ウ スイに対して気など使っていられなくなる。
 オレたちのチームはノスがジャンケンで負けて、後攻になった。
 相手チームは野球部部員が二人もいる、体育会系の男ばかりの強そう なチームで、いかにも勝ちを狙ってきましたってな感じだ。
 女子を3人と究極の役立たずのオレを抱えたノスチームは、華があるもののかなり不利。
 やる気満々のアスティには可哀相だけど、一方的な展開になることは目に見えている。
 
 オレのポジションは、はじめの予定通りライトになった。
 オレのカヴァーをしてくれるはずのセンターには、教室の席と同じく、 なるべくみんなの視界から遠いところにいて欲しいとの理由から、ウスイがついた。
 ちなみピッチャーは、チームの中で一番肩が強そうなデュランだ。
 といってもソフトボールはアンダースローだからあまり関係ないのだけれど。

 さて、1回の表。
 ・・・・・・誰だよ、ライトにはボールが飛んでこないとか言った嘘つきは。
 オレのところにばっかり飛んでくるじゃないか。
 
 「ちょっと、セイラン君のところばっかりわざと狙って打ってるでしょー!卑怯よ!」

 ファーストのアスティが相手チームを怒鳴りつけているのが聞こえる。
 「いちゃもんつけんなよ、偶然だって!」とかマッチョの一人が嬉しそうに言 っているけど、あんなの嘘だ。
 オレにはわかる。
 わかるだけで、オレにはどうしようもなく。
 それなりに捕球しようと頑張っているんだけど、先週のキャッチ ボールの練習にすら参加してない、生まれて初めてグローブなるもの を持ったオレは、フライが飛んできては落下点とは違うところであ たふたし、ボールが転がってきては後ろにそらすという情けない体たらくだった。
 それでもセンターから大きく回りこんだウスイが、後ろにそらしたボールを全 て捕球してくれたので、ホームランになることはなかった。
 不良ぶっているくせに真面目に試合に参加しているウスイは、噂どおり運 動神経が抜群だったらしい。
 顔だけでなく運動神経までいいとはなんて奴だ。

 さて、試合の流れだけど・・・・・・恐ろしいことにまだ1回の表の相手チーム の攻撃で、ノーアウト、ランナーは満塁。
 打順はすでに1巡し、1番バッターに戻っている。
 スコアボードは・・・・・・6対0だ。
 そのうちの4点は、オレのエラーが原因。
 というかスポーツマン精神に欠けた相手チームの汚いやり方が原因 !・・・とお袋なら言うだろう。
 いや、まったくその通り。
 マッチョチームのキャプテンらしき男子がノスに、「きりがないから2 アウトで交代にしようぜー!ははっ!」とか馬鹿にしたように言っている 姿からは、スポーツマンという言葉から感じられる爽やかさの「さ」の字も感じられない。
 別に身体的ハンデを持っているオレに手加減してくれ・・・とかそん なことは願っちゃいない。
 ただ、わざわざオレを狙わなくてもいいんじゃないか、と言いたいんだ。
 オレはむしゃくしゃした。
 頭に血が上ってしまったせいか、ノスが「アホかー!1アウトで 交代しろーー!」と叫んでいるのがやけに遠くに聞こえる。
 ・・・・・・違う、高ぶった感情の制でコントロールが乱れたのだろうか、無 意識のうちに能力を溢れさせてしまったたんだ・・・!

 『次もライトを狙うか・・・・・・』

 1番バッターの心の声がオレに届いた。
 気付いて慌ててテレパシー網を引っ込めようとしたけれど、その際色々 なものを引っ掛けてしまった。
 その中にはなんと、マッチョチームのバカどものアスティに対す る恋愛感情と、オレに対する嫉妬心みたいなものが混じっていたのだ。

 ああ、だからわざとオレに恥をかかせようと・・・・・・。

 つまらない、幼稚な考えだ。
 そんな馬鹿げたことのために、オレは一生懸命頑張っているチーム メイトたちの足を引っ張りまくって、罪悪感なんて似合わないことをほ んのちょびっとばかり感じてしまったりしたんだ。
 ・・・・・・・・・・・・なんとしてもアウトをとってやりたい。
 そう、本気で思った。
 あいつらにぎゃふんと言わせてやりたい。
 チームの役に立ちたい。
 ・・・・・・でも、オレの技術じゃ難しい・・・・・・となると・・・・・・。

 『センター!』

 オレはセンターで無表情に構えているウスイに、テレパシーを使って呼びかけた。
 ウスイは突然呼ばれてひどくビックリしたようで、眼を数度瞬かせながらこちらを向いた。
 テレパシーではなく、話し掛けられたと思っているみたいだ。
 オレは小さく手招きして、元からライトに寄った位置にいたウスイに 、さらにライト寄りになるようジェスチャーをした。
 もうちょい近づけ、もうちょい、もうちょい・・・・・・はい、ストップ。
 ウスイに指示した位置は、ライトの守備範囲内。
 左中間ががら空きだけど、えせスポーツマンバッターは必ずライト目掛けて打ってくる。
 オレはバッターの心をもう一度探った。
 大丈夫だ、奴はファーストのアスティばかり気にして、外野のことに気付いていない。
 オレはにっこり笑うと、戸惑いを隠せないでいるウスイをほったらかしにし て、さっさと前を向いた。
 
 へろへろになっているピッチャーのデュランがセットポジションにつ き、バッターに対して第1球・・・・・・打った!
 鈍い音と共に打ちあがった白球が、またまたオレ目掛けて飛んでくる。
 2歩も歩けば落下地点に到達する、そんなライナー気味のフライだったのだけ れど、右方向から猛スピードで接近してきた気配にオレは潔く場所を譲ることにした。

 「どけっ!!」

 それが初めて聞くウスイの声だった。

 後ろに下がろうとして尻餅をついたオレの前を横切りながら、ウスイはボール をキャッチすると、そのまま勢いをつけてボールをホームベースへ返した。
 ボールは矢のように走ってノーバウンドでキャッチャーミットに収まり、タ ッチアップしてホームに突入していた三塁ランナーに、キャッチャーのノスがベ ースを踏ませずタッチした。

 「やったっ!!」

 アウトだ!
 思わず歓声を上げた。
 ダブルプレイってやつだ!
 ゲッツーだ!
 
 オレはしてやったりと嬉しくなって、アスティたち内野陣へと声をかけようとした。
 けど。
 ・・・・・・あれ、みんな静かだ・・・。
 嬉しくないのか・・・・・・って違う!!
 ウスイに見惚れているのか!?

 みんなぼーっとしたように、ウスイの方をじっと見ている。
 確かに今のプレイはカッコ良かったもんなぁ。
 でも見惚れすぎだろ。
 声をかけられないにしても、拍手するとか色々方法はあるだろうに。
 
 オレは仕方なく地面に尻餅をついたまま、拍手をしようかと手をあげようとした。
 その時。
 鳥肌が立つような感覚が、オレの背筋を這い登った。
 鳩尾を冷たい手で掴まれたように全身に震えが走り、鼓動が早鐘をうつ。
 胸が痛い。
 つらい。
 怖い。
 視線が突き刺さる。
 寂しい。
 嫌だ、ここにいたくない・・・!

 音が遠ざかり、視界が白濁する。
 視聴覚伝達器から得られる情報は全て消え失せ、オレはただ、感覚のみ の個体となってしまったようだった。
 恐怖、そして、孤独。
 慣れ親しんだ感情。
 ・・・・・・でも、この感情はオレのものじゃない。

 そう言い聞かせてオレは顔を上げた。

 目の前にウスイが立って、無表情にこちらを見ていた。

 ウスイはオレと目が合い、少し躊躇するような素振りを見せたが、意を 決したように尻餅をついたままのオレに右手を差し伸べた。
 
 土が少しついていたものの、白い、彫刻のように綺麗な手だった。
 でも、オレはそれに触れるのが恐ろしかった。
 今、その手に触れたら、オレは間違いなくウスイの感情に侵食される だろうし、ウスイの内面を隅々まで見てしまうだろう。
 しかし一方で、この手を握り返さなければならないということも、頭 の端っこの方でしっかり理解していた。
 オレが握り返さなければ、ウスイはさらに居たたまれなくなってしまうにちがいない。
 それにオレの行動によっては、ウスイが身にまとう負の感情を、正の 感情へと変換させるかもしれない。
 テレパス能力も死に物狂いで押さえつければ、それほど読み取らずに済むかもしれない。
 でも、それはいちかばちかのことで。
 今日会ったばかりの男のために、そこまでしてオレがリスクを背負っ てやる必要もないんじゃないだろうか。
 でも・・・でも、しかし・・・・・・。

 オレは判断に窮した。
 ウスイの恐怖と孤独に心を侵食されながら、オレは奴の白い手をじっと見つめた。
 ほんの数秒が、まるで時が止まったように長く感じられた。
 
 固まったまま動かないオレを見ていたウスイは、しばらくして静 かにため息をつくと、オレに背を向けてチームベンチへと帰っていった。
 ふいに五感が正常に働き始める。
 オレは息をついた。
 いつのまにか、呼吸を止めていたらしい。
 人工天体が暖かな日差しを惜しみなく与えるこのグラウンドで、オレは 一人、全身に冷や汗をかいてへたれこんでいた。
 正気に戻ったアスティが、オレの様子に気付いて心配してファーストか ら駆け寄ってくるまで、オレはぼんやりと遠ざかるウスイの背中を見つめた。
 なにが温かく見守ればいい、だ。
 オレに他人のことをとやかく言う資格があるだろうか。
 例え今まで持っていたとしても、ウスイがなけなしの勇気を振り絞っ て差し出した手を、握り返さなかった時点で放棄したも同然だ。
 ウスイにしてみれば、どんな理由をもっていたにせよオレのとった態度 は、クラスの他の奴らのそれと同じなのだから。
 
 

 1回の裏、オレたちのチームの攻撃が始まった。
 いくら肩の強い野球部のやつらがいようとも、下から投げる球にそれほどの球威はない。
 1番のデュランが初球を叩いていきなりセンター前のヒット。
 続く2番打者、ケイトは空振り三振。
 その間にデュランが2塁へと盗塁に成功し、1アウト2塁。
 3番のノスがいきなりセーフティバントを狙ったのだけれど、それがうま く転がり1アウト1・3塁に。
 4番打者は・・・・・・・な、何故かアスティだ。
 でもこの人選は当たっているかもしれない。
 なんせ相手はアスティにラブラブの男ども。
 打つ気満々でバッターボックスに向かうアスティに、マウンド上のマッ チョな野球部員は「参ったなぁ〜」とか言いながらにやにやしている。
 むしろ打ってくれ、と言わんばかりのスローボールをアスティはしっかり叩 き、それがショートの前に転がって内野安打になったけれど、3塁ランナーは帰れなかった。
 これで1アウト満塁。

 突然、グラウンドが静まり返った。
 ネクストバッターサークルからバッターボックスへと向かってい る5番打者は・・・・・・ウスイだ。
 
 ウスイは応援も野次も飛ばない異様な静寂の中、ひっそりとバッターボックスに入った。
 みんなウスイの動きに注目しすぎて、声を出すのを忘れている。
 さっきまでアスティに現を抜かしていたピッチャーなんて、顔を更に赤 くしながらしきりにボールの握りを確かめているようだ。
 そりゃ緊張もするだろう。
 間違ってウスイにデッドボールなんて食らわせてみろ、全校生徒と近隣住 民からバッシングの嵐を浴びるに違いない。
 
 高まる緊張の中、投げられた第1球はアウトコース低めにかなり外れたボール球。
 2球目もアウトコースにかなり外れてボール。
 ピッチャーがウスイに当てないように、当てないように苦心している のがよくわかるピッチングだ。
 下手したらファーボールで押し出しの1点をゲットするかもしれない。
 そんなことが頭によぎりながらの3球目。
 インコーナーに甘く入った絶好球を、ウスイは見逃さなかった。

 カキーンという快音とともに、白球が大きく孤を描いて飛んでいく。
 レフト頭上をぐんぐん超え・・・・・・抜けた!

 オレはおもわず腰掛けていたベンチから立ち上がった。
 ボールはどんどん転がり、グラウンドの隅にある芝生の中に入っていった。
 それをレフトが一生懸命追っているけど、間に合わない。
 素人目に見ても間違いなくランニングホームランだ。

 「見た!?ホームランだよホームラン!!」
 
 オレははしゃいで隣に座っているバッセルという名前の男子に声をかけた。
 が、反応がない。
 ダイアモンドを一周するウスイを、ぼんやりとした夢を見るような目 つきで、ぽかんと見つめているだけだ。
 周りを見回すと、どいつもこいつも似たような反応をしていた。
 味方チームどころか、相手チームまでが、うっとりとウスイを見つめている。
 一足先にホームへと帰還していたアスティたちまでも、ぼんやりと 夢心地のような顔をしている。
 やけにレフトの帰りが遅いな、と遠くを見れば、なんと運動場の片隅 でウスイ様のホームランボール争奪戦が繰り広げられていた。

 それを見たとき、なんだか・・・・・・むしゃくしゃしていたものが一気に突 き抜けて、がっくりきてしまった。
 なんてこいつらは、マヌケ面をしているんだろう、と。
 そろいも揃って口をぽかんと開けて、まるでオレの部屋の天井に空いて いるねじ穴がつくる顔みたいだ。
 オレももし、テレパス能力がなくて、眼が見えていたのなら、ウス イを前にこいつらと同じマヌケ面をさらしていたのだろうか。
 そんな醜態を晒すくらいなら、オレは眼が見えないままでいい。
 オレはこいつらとは違う。
 違うんだ。
 気がつくと、オレはいつのまにか拍手をしていた。
 みんなが驚いたようにオレを見た。

 「4点とったぞ!さっきからナイスプレー連発だね、ウスイ!」

 オレの張り上げた声に、ホームランを打ったくせにしょんぼりとベンチ に帰ってきたウスイが、目をわずかだけれど見開かせた。
 身にまとっていたどろどろとしたオーラも、ほんの少しだけど薄くなる。
 
 「お前らが・・・あんまり不甲斐ないから・・・・・・」
 
 ぼそぼそと言い訳するように言うと、ウスイはうつむき加減にベンチの端っこに腰掛けた。
 うっとうしい髪で隠されていたけど、目元がほんのり赤くなっているのが、オレ にはちらりと見えた。