VENUS AS A BOY





   昼休み、いつも一緒に昼食を食べていたノスたちに、居たたまれない気分を味あわ せるのも可哀相なので、カバンごと弁当を持ってさっさと独りで教室を飛び出した。
 カバンごと持っていったのは、オレが教室を空けている間に盗まれたりしたら困る からという、この学校に来るまでの経験からとった行動だった。
 こういうことに気が回る自分に気がついたとき、先手逃げ必勝体制が身に染み付いて いるなぁと感心してしまう。
 逃げも戦略の一つというし、別に恥じることじゃない。
 そんな状況に追い込む奴らのほうが恥じるべきなんだから。
 廊下を歩くと、みんながオレの姿を見るや否やギョッとしたように顔を強張らせ、 慌ててオレとの距離を置こうと端に寄ったり、近くの教室に一時避難したりする。
 おかげで誰にも身体をぶつけることなく、モーセの割った海のようにスイスイと歩くことが出来た。
 目指すは屋上。
 独りで昼食を食べるといったら、まず思い浮かべる定番スポットだ。
 しかもアスティからの情報によるとこの学校の屋上は、みんなが憧れてやまないウス イが使用するので、誰もが入りたくても入れないという、不思議な穴場だったりする。
 そこでなら、誰にも邪魔されずに、ウスイと会話することができるに違いない。
 そう考えながらオレは、パソコンからダウンロードした学内地図を頼りに、屋上への昇 降階段目指して未だ慣れない学内を歩いた・・・・・・のだけれど。
 前方からオレに対してものすごい悪意を持った奴らが3人ほど近づいてきたのを、テレ パシーで察知してしまった。
 慌てて下の階を周って行こうと、近くの階段を下りようとしたら、その先からも二人の 悪意を持った人間がやってくるのがわかった。
 上の階からも、後ろからもぞろぞろと近づいてくる。
 逃げ場は・・・残念ながらないようだ。
 ・・・・・・こういうことしそうな奴だとわかってたのにな。
 オレは目の前に立つ男を見ながら、楽観視しすぎた自分を悔やんだ。

 「どこへ行く?数学準備室は正反対の方向だよ?」

 隣のクラスのアラン・ホワイトマンが、能面のような笑みを顔面に貼り付けて言った。


:::


 数学準備室に入ってすぐ目についたのは、窓枠に飾られたウスイの大きな顔写真だった。
 隠し撮りしたのだろう、視線はこちらに向けられてはいないけど、限りなく正面から撮影されている。
 髪は今よりも短く、すっきり整えられていて、顔の中身はやっぱり無表情だった。
 その写真の下には、素人が一生懸命意匠を凝らして飾り立てたような造りの、仰々しいけ どちゃちい祭壇のようなものがあり、火の灯った燭台や、供物のつもりなのか饅頭やケーキ が置かれている。
 細長く奥行きの広い部屋の両サイドの壁には、ハンガーにかけられた学生服や体操服の他に、 靴下、シャツ、靴、筆箱やその中身、下敷き、何か走り書きしたようなメモ等などが、両面テ ープか何かで貼り付けられている。
 ウスイのものとみて間違いないだろう。
 部屋の中央には細長い机があり、ファイルやノートが山積みにされている。
 機械でズームアップして背表紙を見ると、数学なんて文字はどこにも見当たらず、『 ウスイ様の記録(2月)』とか『末法思想から考察するウスイ様の行動学(旧約聖書との比 較編)』とか『ウスイ様の黄昏』とか書いてあった。
 よくわからないけど、色々研究されているらしい。
 そしてそれらを取り囲むように、11人の生徒(?)が座っていた。
 どうして(?)をつけたかというと、皆が一様に、身体まで覆う三角形の大きな黒い覆面 を被っているので判別できなかったからだ。

 「僕は数学準備室に連れてこられたと思ってたんだけど」

 キョロキョロと部屋を見渡しながら言うと、ドアの前に立つオレとは反対側の、一番窓際 の祭壇前の席に腰を落ち着けたアランが、オレに座るよう手振りで示した。

 「ここは数学準備室で間違いない。ダリアン先生の許可はとってあるから心配は ご無用だ。彼も我々の同志なのだよ」
 「へぇ・・・」

 気のない返事をしながら、オレは一番ドア側の椅子に腰掛けた。
 オレを呼び出すために急遽セッティングしたわけでなく、元からウスイ教の集会所 になってたということか。

 「で、僕に何か用?陰険な迷惑メールについて謝罪でもしてくれるのかな」
 「迷惑メール?何のことやら。謝罪すべきは君の方だろう。我々は君に再三警告を発し てきた。それを君は愚かにも無視し、悔い改めようとはしなかった」
 「再三?300通以上のメールを送りつけときながら、再三だって?」

 妙なところにムカついてしまったオレ。

 「天罰が下るっていう内容のアレだよね。工夫もへったくれも面白みも無いメールだった なほんと。それに僕は何も悪いことなんてしてないのだから天罰なんて下りっこない。 余計な心配ご苦労様、ありがとうね。それじゃぁさようなら」

 そう言ってオレはさっさと立ち去ろうとした。
 と、突然アランが大声を張り上げた。

 「愚かなり、セイラン・ディッケンズ!!」

 鼓膜に突き刺さるような金きり声に、オレは思わずびくっと首をすくめる。

 「自分が犯した罪をまだ理解していないと見える!君は己の分量をわきまえず恐れ多くも 我らが主、シノブ・ウスイ様に近づこうとしたではないか!」
 「しゅ、主って何?」

 あまりにも異様な雰囲気に気圧されながらも、オレは踏ん張って平静を装った。

 「我らがあるじ、我らが神!我ら忠実な羊達を率いる先導者、羊飼いたる者のことだ!」
 「ウスイが先導者?あいつにそんなリーダーシップを期待できるとは思えないけど・・・」
 「この神聖な場でウスイ様を呼び捨てにするな痴れ者め!あいつ呼ばわりは死罪に値する!!」

 アランが机に拳を振り下ろして絶叫した。
 それにあわせて周囲の覆面たちが「死罪!」と唱和する。
 な、なんなんだこいつら、気持ち悪い。

 「無知の無たる小さきものよ、君にもわかるように説明をしてあげよう。ウスイ様はこ れまで転生を繰り返し姿形を変え世に現われ、幾度となく天の啓示を我々に伝えてくださ ったのだ!シャカ、キリスト等は愚かな君でも名前を耳にしたことはあるだろう」

 それくらいなら知ってる、何十世紀も前から地球人たちの間で信仰されている宗教の開祖だ。

 「まさか彼の前世がシャカやキリストだなんていうんじゃないだろうね」
 「まさにそのとおり!ゼウス、コウシ、ダライラマ、オーディン、アフラ・マズダ、他色々!!」
 「他色々って・・・」

 呆れて開いた口が塞がらない、とはこのことだ。
 宗教のこととか詳しくはわからないけど、とにかくごちゃまぜにして無茶言って るということはなんとなく察しがついた。

 「で、ウスイが」
 「ウスイ様!」
 「・・・・・・ウスイさーまーが、そいつらの生まれ変わりだという根拠はあるわけ?」
 「あの神々しいご顔(かんばせ)が君には見えないのか!超常の域に達したご尊顔・ 姿態が何よりの証拠!」
 「美人度でアフロなんとかが前世だって決定するの?」
 「アフラ・マズダだ馬鹿者!美人度などという低次元な問題ではなく、一般人には 持ち得ないあのカリスマ性を根拠としているのだ!」
 
 唾を飛ばしながら机をバンバン叩くアラン教祖に、オレは「はぁ」と気のない返事を返した。
 カリスマなんてあいつは発揮してないと思うけど・・・。
 内面や行動からのものではなく、本人の意思とは関係無しに外見が成すハッタリに 、みんな惑わされているだけなんだ。
 惑わされすぎて頭のねじが飛んでしまったのが、こいつらなわけだ。
 いや、元からちょっとおかしかった人に、ウスイが発見されてしまったという順 序の方が正しいかな。
 
 「で、この宗教は何を目的としているの?」
 「よくぞ聞いた小さき者よ、私の言葉に耳を傾けるのだ」

 オレは肩の上に浮いている視聴覚伝達器を、くりっと斜めに傾けてみせたが、ア ランはそれを完璧に無視して見せた。
 でも奴がもの凄くイライラッとしたことは、オレにはわかってしまう。
 からかうと面白い奴だなぁ。やりすぎると危ないだろうけど。

 「私は研究に研究を重ね、ウスイ様の正体を見破ったのだ!!」

 アランがずり落ちかけていた眼鏡を、くいっと元に戻した。

 「すなわち、ミロクボサツッ!!」

 ここで覆面たちが「うぉーー!」と歓声をあげ、拍手をした。
 うわっ、今気付いたけど、こ、こいつら全員男だ・・・!
 オレの動揺をカン違いしたのか、アランは満足げな笑みを浮かべると、右手をさ っと挙げて拍手を止めた。

 「ラグナロク後、二人生き残った人間のうち一人が知恵の実を食べたことに よりエデンを追放され、下界を困難に遭いながらも放浪するうちに乳海撹拌に 立会い霊薬アムリタを得、ついにミロクボサツとなったのだ!そして次の瞬間 こう言われた!『天上天下唯我独尊!!』と!!」

 「え、それって違うんじゃ・・・」というオレのツッコミは、またも沸き起こっ た拍手と歓声にかき消されてしまった。
 鼻水をすする音まで聞こえる。
 何がなんだかさっぱりで話についていけないんだけど、それはオレだけのよ うで、ここにいる他の奴らから伝わってくる感情から、アランがとても感動す る話をしたということはわかった。
 でも、最後のセリフを言ったのはミクロボサツとかじゃなかったと、オレは記憶している。
 
 「世界はもうすぐ終末を迎える!7人の天使がラッパを吹き鳴らし、聖戦の始まりを告 げるだろう!神と悪魔が戦い、己の欲望の追求にしか奔走しない愚かな人類もそれに巻き込ま れ滅びる!!しかし!しかしだセイラン・ディッケンズ!」
 「は、はい、ディケンズです」

 オレのささやかな訂正を無視して、アランは会心の笑みを浮かべた。

 「我々ウスイ教徒だけは、ミロクボサツの化身であられるウスイ様に救って いただけるのだよ!!!」

 演説のクライマックスに、覆面たちはついにむせび泣き始めた。
 迸る熱気と狂気の異様さにオレの本能がそうさせたのか、テレパシー能力は完 全に身の内へと引っ込んでしまった。
 それでも気分が悪かった。
 というか気持ち悪かった。
 マンガの読みすぎだろ。
 こんな他力本願な気持ち悪い奴らに構ってられない。
 明らかにオレとは相容れない存在だ。
 オレはこっそり外へ逃げようと、椅子ごと静かに後ずさりした。
 ドアまでもう少し・・・。
 しかし、ここでまたアランが声を上げた。

 「そんな神々しい我らがウスイ様に近寄る不埒な輩が現われた!!」

 騒がしかった号泣がぴたりと止まり、部屋中の視線がオレに集まる。
 
 「わかったかなセイラン・ディッケンズ?自分がどれほど恐れ多いことをしたのか」
 「だから、そこでどうしてウスイさーまーに話しかけたりするのがダメになるんだ」
 「決まっている、ウスイ様が穢れてしまうからだ。特に君のような汚らわしい混血児は言語道断」
 「ウスイだって混血じゃないか!!」
 「そうだ。しかしその前にウスイ様は神であらせられる。この世で最も卑しい身に転生なさ ることで、全ての人の命の平等を約束なさったのだ」

 アランが席を立ち、オレにゆっくり近づいてきた。

 「前に言ったはずだね。君とウスイ様とはちがう、と。・・・・・・取り押さえろ」

 アランの意図を察知してオレは部屋を飛び出そうとしたが、ドアのところで覆面たちに 捕まり引き倒され、そのまま床に押し付けられる。
 オレの体に触れる手から、覆面たちの意思がなだれ込んできた。
 オレに対する悪意と、ウスイに対する畏怖の念と。
 しかし何故か精神自体は一般的地球人のように煩雑でなく、不気味なほどに空っぽだった。
 怪訝には思ったけど、今の状況ではありがたかった。
 身体的にピンチなのに、その上精神にまでダメージを食らったらたまらない。

 「まさか君がテレパシストだとは思ってもみなかった」

 アランがオレの前に跪いた。

 「そんな恥ずべき能力の持ち主だったなんて・・・・・・ウスイ様に盗聴器をつけておいて正解だったよ」
 「なっ、盗聴器!?」
 「そう、ウスイ様に話しかけようとする無礼な輩を粛清するため、万全を期し て警戒していたのが効を奏した」
 「オレのことを学校中にばらしたのはお前らだったんだな・・・!」

 オレの睨みなど痒くもないといった表情で、学生教祖は「いかにも」と頷いた。

 「でももう大丈夫。君はこれから何も怖がる必要はなくなるのだから」

 そう言うと、アランは後ろに控えていた覆面から小さな黒いケースを受け取った。
 プラスチック製のふたをパカリと開けると、中から細長い自動注射器が姿を表した。
 ものすごく嫌な予感がする。

 「汚らわしい君の能力で、ここにいる同志達の精神状態はすでに把握しているんだろう?」
 「・・・・・・クスリを使ったのか」
 「そう。数多くいる信者達の中でも、彼らは特に熱心だったから選ばれた」  

 注射器の中に黄色いカプセルを装填すると、アランはサイドにある赤いボタンを軽く押した。
 透明な液体が先端からほんの少し出た。

 「考える力はいらないのだよ。下僕たちはただ、先導者の命ずるがままに動けばいい」
 「この・・・人でなし!」

 覆面たちの下で無駄だと知りつつもがき、叫んだ。

 「恥知らず!卑怯者!!あんた頭おかしい、狂ってる!」

 アランがオレの頬を張り飛ばした。

 「静かにしたまえ。すぐに君も、我々の仲間入りだ」

 「イヤだ!!」
 「君のような汚らわしい存在を仲間にするなどこちらこそ不快なのだが、さるお方からの たっての願いなのでね・・・」

   覆面の一人がオレの制服の袖をまくった。
 背筋を走る怖気に身が震える。
 思考能力を持たない生き物なんてアンドロイド以下だ。  こんな気持ち悪いバカどもの仲間に成り下がるくらいなら、意思を持ったまま 研究所の中で一生を過ごす方がマシだ!!

 「イヤだ!イヤだイヤだイヤだイヤだ!!」

 自動注射器の先端が、袖をまくられて露わになったオレの腕に刺さる。
 チカッと走った痛みに、オレの恐怖心はピークに達した。
 と同時、テレパシー能力が最大ボリュームの絶叫を引き連れながら溢れ出し、どっとアランを襲った。


 思い描いた映像をぶつけることができる「攻」のイリュージョニストとは逆に、テ レパシストは「受信」に優れている。
 テレパシストは「攻」めるまではできないけれど、「発信」程度なら行える。
 「発信」とは会話程度の心のやり取りを指すのだけれど、このときオレが発信した絶 叫は、あまりにも大きすぎて、意味は違えど「攻」めることになってしまったようだった・・・。


 オレの絶叫の直撃を浴びたアランは、呻き声を上げると、頭を抱えながらふらふ らと床に尻餅をついた。
 さらにオレを押さえつけていた覆面たちも、同じようにうずくまる。
 直接触れていたから、ダメージはアランよりも大きかったんじゃないだろうか。
 でもそんなことに気をかけている暇はない。
 一瞬できた隙を突いて、オレはカバンを引っつかむと、気味の悪い数学準備室を飛び出した。


  :::


 友人二人と連れ立って歩いていたアスティが、オレに気付いて声をかけてきたが 、無視して無我夢中に走りつづけた。
 後ろからウスイ教徒が追って来る気配はなかったけど、ひとまず誰もいないところへ行きたかった。
 体力のないオレのすること、すでに息は上がっている。
 それでも、広い校内を右へ左へ走りつづけた。

 どれくらい走っただろう。
 気がつくと、一昨日リンチを受けた花壇のところに立っていた。
 肺が熱く、口の中いっぱいに鉄分の味が広がっている。
 そのくせ頭が異様に冷たく感じる・・・貧血を起こしているみたいだ。
 走り慣れていない足が疲労を訴え、がくがくと痙攣を起こす。
 一昨日殴られたときにできた、体中の痣まで一緒になって痛み出した。
 全身が熱と痛みで火照っている。
 荒く呼吸を繰り返しながら、オレは校舎の壁に寄りかかり、そのままぐったりと地面に腰を下ろした。
 こんなに走ったのは生まれて初めてじゃないかな・・・。
 額に手を当てると、掌がびしょびしょに濡れるほどの汗をかいていることが分かった。
 顔にまとわりつく髪をかき上げつつ、呼吸を平常に戻そうと意識して深呼吸を繰り返す。
 何度も息を吸い、吐き、吸い、吐き・・・ようやく肺が落ち着いたところで、もう一度大きく 息を吸い込もうと顔を機械ごと上に上げた。
 なんという名前かは知らないけど、触ったらもくもくと気持ちよさそうな大きい 白い雲が、青い空と、さらにその後ろにある木星をバックに浮かんでいるのが見えた。

 最高潮にまでパニくってた心は、なんとかいつもの状態にまで落ち着いていた。
 それでもまだ、オレの身体には恐怖が染み付き、震えがなかなか出て行こうとしなかった。
 あの眼鏡顔と、覆面のことを思い出すだけで、喉元に不快感がせり上がってくる。
 あぁ、これが恐怖と嫌悪だ。
 オレが周囲の人々に与えるもの。
 こんな不快をオレはいつもみんなにくれてやってるのか。(あいつらほど不快じゃない と信じたいけど。少なくともオレは注射しないし、感情に異常もきたしてない)
 なんて気分が悪いんだろう。
 もう奴らと関わりあいになりたくない。
 でも同じ学校にいる限り、奴らはオレのことを狙い続けるだろう。
 しかも先生の中にまで信者がいるときたもんだ。
 どうすればいい・・・。
 奴らの警告に従って、ウスイに関わらないようにするのがベストなのだろうか。
 そもそもオレはそのつもりだったんだ。
 オレには色々隠していることがあって、それらを知ったら、ウスイは気持ち悪がるだろうし、 不快に思うだろう。
 だからオレは、友人を作らない、ウスイとなんて特に絶対ダメだと決めていたんだ。
 それなのに、ウスイにちょっかい出したとかで信奉者に邪魔者扱いされて。
 ちょっかいかけてきたのは、あいつからなのになぁ・・・。
 そう言っても誰も信じてくれないだろうけど。
 思わず苦笑いが浮かぶ。
 

 と、このとき垂れ流しになっていた能力の範囲内に、誰かが入ってくるのをオレは感知した。
 オレの事を探しているようなので、ウスイ教の奴らかと一瞬慌てたけど、彼らのように ウスイへの偏執で凝り固まってゴテゴテのからっからの気持ち悪い精神ではなく、 もっと心地よい精神の持ち主だった。
 
 「アスティ・・・」
 「あっ、セイラン君大丈夫!?」

 オレの声に気付き、校舎の非常口から飛び出したアスティが、赤い髪を ふわふわ揺らしながらこちらに駆け寄ってきた。
 彼女の心内を探らないよう、オレは解放していた能力をひっこめた。
 ここしばらく、能力のたずながやけに取りやすくなっている。

 「あんなに走り回って・・・具合はどう?」
 「ん、大丈夫。ちょっと貧血を起こしただけみたい」
 「そう、よかった・・・・・」

 アスティは一つゆっくり瞬きすると、にっこり笑みを浮かべた。
 彼女が何も言わないでも、オレのことをひどく心配していることは、気配からじんじんと 伝わってくる。
 
 「・・・僕のこと、心配してきてくれたの・・・?」
 「だってあんなに必死の形相で走ってるんだもん!何があったの?ひょっとしてひょっと しなくてもアランたちね?!」
 「え、うん、どうしてわかったの?」

 「やっぱり!!」とアスティは声を上げた。
 そして蹲ったままのオレの前に膝をつくと、もの凄い剣幕で話し始めた。

 「あいつら、ウスイ様に関わりを持とうとする人に嫌がらせばっかりするじゃない! 前なんかバレンタインの時、クラスの女子達が一念発起してチョコレートを渡そうとしたら、 あいつらがよってたかって邪魔したの!気持ち悪いったりゃありゃしないわ!・・・・・・ 大丈夫、何かされなかった?」
 「なんか怪しげなクスリを注射されそうになったけど、なんとか逃げ切ったよ」
 「クスリ!?」

 驚くアスティに、さっき起こったことを全て話した。

   「・・・・・・そこまでイッちゃってるとは思ってなかったわ・・・。それにしても どこでそんな薬物をゲットしたのかしら」
 「繁華街とかじゃないの?」
 「ううん、ガニメデは治安がとっても良くて、特にここ・・・ドール地区とお隣のザイル地区、 カーラル地区は犯罪ゼロ都市のモデルに指定されてるくらいなの」
 「でも犯罪発生率0とは限らないでしょ?」
 「うん、でもドール地区は青少年健全教育推奨とかで、行政が特に薬物犯罪の取り締まりに 力を入れてるの。罰も厳しくてね、コカイン1キロ所持で懲役10年」
 
 へぇー、地球じゃ人を一人殺しても8年くらいで出てくることあったのにな。

 「児童保護法が適用されるのは、ガニメデでは15歳までだから、アランは 間違いなく刑務所行きね!・・・と言いたい所だけど、ちょっと難しいかもしれない」
 「?どうして?」
 「アランのお父さん、連邦政府議会の議員なの。簡単にもみ消しちゃうんじゃないかな」
 「・・・・・・ありがちだね」
 「うん、嫌な奴でしょ?」
 
 思わずしかめっ面をすると、アスティが苦笑した。
 
 「セイラン君、そんな顔もできるんだね・・・」
 「・・・・・・」

 オレは彼女の言わんとするところを正確に理解した。
 形だけの笑みを始終ふわふわと浮かべていたことに、彼女はとっくの昔に気付いていたのだ。
 
 「さ、そろそろ職員室に行きましょうか。アランたちのこと言わなくちゃね」

 さっさと立ち上がったアスティに、オレは慌てて声をかけた。 

 「あ・・・僕一人で行くから大丈夫だよ」
 「ウスイ教の奴らに遭ったらどうするの」
 「ちゃんと見つからないように、気を配っていくから。それに僕と一緒だとアスティが・・・」
 「変人と思われるって?」
 「最悪の場合、僕と一緒に嫌われるかもしれない」
 「そんなのっ!」

 アスティの身体から赤い怒りのオーラが立ち上るのが見えた。

 「セイラン君をテレパシストだってだけで苛めるような陰険な奴らに嫌われたって 全然痛くも痒くもないわ!」
 「・・・そういう目に遭ったことが無いから、そんなことが言えるんだ」

 オレはいつも通り、淡々と言った。

 「君が誰に対しても公平で、正義感に溢れた子だってことはわかってる。でも、 みんなが君みたいだとは限らないんだ。君が想像する以上に、世の中には陰湿で残虐なことを する奴らがごろごろいる」

 殴られたり蹴られたり、冤罪をわざと着せられたりシカトされたり、生ゴミぶっ掛けられたり 持ち物が頻繁に無くなったり。
 そこまで彼女にする奴が出て来るとは思えないけど、もし彼女がそんな目に遭うようなことに なったらと考えると、ものすごく哀しい気分になる。

 「そんなことわかってるわ・・・!」

 アスティは頬を膨らませた。
 でもさっきまでの勢いはなかった。

 「わかってるけど・・・・・・確かに私はいじめを受けた経験なんてない。そうね・・・・・・ わかってるつもりだけど、わかってないのかもしれない・・・ごめんなさい。・・・でもね!」

 彼女はオレを真っ直ぐに見つめたかと思うと、いきなり抱きついてきた。

 「ア、アスティ・・・!?」
 「セイラン君も全然わかってない・・・!」

 アスティの温かな息が首筋にかかった。
 柔らかい感触と、彼女の感情に包まれながら、オレは硬直した。
 だって、人に抱きつかれた経験なんて初めてだったのだから。

 「いつもにこにこ笑ってるだけで、いつでも私たちに無関心で、テレパシストな のにちっとも私たちのこと理解してなかった」
 「アスティ、は、離れて・・・!」
 
 ぎゅっと抱きしめられて、もの凄く嬉しかった。
 がしかし、オレの精神は悲鳴をあげていた。
 オーランドや信者に身体の一部を掴まれた時と違って、彼女はオレ に全身でぶつかってきている。
 流れ込んでくる精神の情報たるや凄まじい勢いだった。
 彼女の精神がどれだけ良いものであっても、地球人の精神構造というだけで オレは拒否してしまう。
 オレの能力は、そういう能力なんだ。
 
 「アスティ!」
 「セイラン君、あのね・・・」

 アスティが泣きそうな顔でオレを見上げた。
 このとき、オレは唐突に理解した。
 彼女が続ける言葉を読んでしまったからだ。

 アスティはオレのことが好きなんだ。

 彼女がオレに向ける温かな感情は、今まで友人や弟に向ける親愛のようなもの だと思っていたのだけれど、どうやら・・・その・・・、恋愛感情だったようだ。
 人を好きになったことなんてないから、よくわからなかったのだけれど、激しく 燃え上がる感情だけが、恋、というわけではないらしい。
 初めて受ける感情だった。
 とても心地よい感情で・・・・・・。
 でもダメなんだ。
 彼女の精神に侵食される。
 煩雑なそれは、オレのそれをひっかきまわし、滅茶苦茶にし始めた。
 オレはこみ上げる吐き気をこらえて、首を振った。
 
 「ダメだ、言っちゃダメだ・・・」 
 「私・・・」
 「ダメだ!!」

 最後まで言わせず、オレは彼女を突き放した。
 アスティは思わぬ抵抗に構えが無かったのだろう、後ろに転んで尻餅をついてしまった。
 そんな彼女に謝る間もなく、オレはよろめきながら数歩離れ、そして地面に嘔吐した。
 胃の中にはたいしたものは入ってなかった。
 胃液が逆流するのみだったけど、それでも雑巾絞りでもするかのように胃は断続的に 吐き気を促した。
 頭の中には煙が充満していた。
 窒息寸前の精神の空気の入れ替えをするべく、オレは意識を空高く、高くへと放った。
 

 胃の収縮が収まるまで、オレは壁に寄りかかってぐったりしていた。
 その姿をアスティが、呆然と見ている。
 実はこのとき彼女のパンツがちらっと見える状態だったのだけれど、それを気にしている余裕は とても残念なことに無かった。
 
 「私が・・・触れたからなの・・・?」
 「・・・・・・地球人は、ダメなんだ・・・」

 俯いたまま、オレは返事した。
 
 「地球人はダメなんだ。地球人の精神はオレにとって毒みたいなもんで・・・」

 あまりにも自分が情けなくて、自嘲の笑みが自然浮かぶ。
 自分の覚悟を身でもって表してくれた女の子を、突き飛ばすなんて・・・あぁ、最低だ。
 しかしアスティは、気にした風でなく、ぱっと立ち上がるとスカートについた 砂ぼこりを元気よく払った。

 「・・・・・・ゴメンね。私、知らずにいきなり抱きついちゃったりなんかして・・・」

 謝る彼女に、オレは慌てて顔を上げた。

 「ううん、こちらこそいきなり突き飛ばしてゴメン。・・・ほんとにごめん」
 「セイラン君が謝る必要はないわ・・・!」

 アスティは寂しげな笑みを浮かべた。

 「セイラン君のことを知ろうと思って、昨日図書館でテレパシストについて調べたの。 強いテレパシー能力を持つ人には地球人の精神は受け入れられないって、ちゃんと書いて あったのにね・・・・・・ごめんね、つらかったでしょう?」
 「アスティ・・・」
 「そんな顔しないで、セイラン君」
 
 首を小さく横に振るアスティ。
 「私じゃダメなのね・・・」という言葉を彼女が飲み込んだことが、オレにはわかった。

 「ウスイ様の精神なら大丈夫なの・・・?」
 「わからない・・・今みたいに奴と抱き合ったことなんてないから」
 
 いきなりあの闇に直に触れるのは怖い気がするなぁ・・・と真剣に考えてると、アスティが 「キャーッ!」と笑い声を上げた。

 「やだー!そんなこと他の女子の前で言っちゃダメよ!特に文芸部の メグの前で話したら、速攻ネタにされるからね!!」
 「う、うん、それは困る」
 
 オレたちはそうして、何がなんだかよくわからないまま笑い続けた。
 二人ともたいして面白く感じてなかったのだけれど、笑っているうちに段々 テンションが上がって、心の底からの大爆笑になる。
 元気に笑い声を上げていると、頭の中にたまってたもやもやが一気に飛んでいった 感じがした。
 笑いすぎて、二人とも最後のほうは目尻に涙まで浮かんでたくらいだ。
 
 一頻り笑ったあと、アスティは一つ、大きく深呼吸して発作をおさめると、いつもの 笑顔を浮かべて「あー、すっきりしたー」と言った。
 オーランドの心の中で見た、あのアスティの顔だ、と思った。
 
 「ウスイさまと言えばこの前、ウスイ様は寂しがってるって言ってたよね 。・・・あれって本当なの?」
 「あぁ、本当だよ」
 「そっかー・・・。セイラン君、仲良くなれそう?」
 「んー、意思交換がうまくいけば、多分。というかウスイ教に連れて行かれる前、 ほんとはウスイのところにいこうと思ってたんだ」
 「意思交換をしに?」
 「うん」
 「それなら話は早いわ!」

 アスティは親指をパチーンと鳴らした。
 オレは指を鳴らせないので、羨ましいなぁと関係ないことをなんとなく思った。

 「今からウスイ様のところに行きましょ!私はちょっと離れたところを歩いて 護衛してついてってあげるから!何かあったら私が叫んだげる。それならセイラン君も 文句ないでしょう?」
 
 「ナイスアイディア〜」と嬉しげに言う少女を、オレはビックリしながら見つめた。

 「そんなこと・・・やってもらっていいの?」
 「別にセイラン君のためだけじゃないの。セイラン君がウスイ様と友達になって、 そのまま彼を引き連れて職員室に向かう、そしてアランのことを暴露! 私たち二人で向かうよりも効果的にちがいないわ!学校のため、みんなのためよ!」
 「虎の威を借る狐ってやつ?」
 「そう、利用しない手はないわ」

 ふっふっふと笑うアスティは、なんだかうちのお袋と似ている気がした。
 前向きで、決断力に優れている。
 彼女とは一週間以上友人をしていたわけだけど、今、初めて彼女を知ったと思った。
 オレはつくづく時間を無駄にしていたらしい。
 
 「そうと決まれば早速行きましょ!身体の具合はもう、大丈夫?」
 「う、うん」
 「良かった・・・!えーと、屋上にいらっしゃるのかな。あ、それより 一度口をゆすいだ方ががいいよね。それじゃ私、少し先を歩いていくから」

 オレがしっかり立ち上がるのを見届けてから、アスティはさくさくと歩き出した。
 そういえばさっきもどしたっけ・・・。
 口の中が胃液で気持ち悪い。
 躍動感に溢れる背中が植え込みの影に隠れるのを待ってから、オレは足を踏み出した。
 
 と、その時、突然オレの背後に気配が現われた。
 アスティと会話するため、能力をできるだけ内に引っ込めていたから詳しいことは わからなかったけど、何も無い空間から、突如出てきたという印象を受けた。

 ギョッとして振り返ると、男が一人、至近距離に立っていた。 

 「この分だと失敗したようだな。口ほどにもないやつらだ」
 
 気配も無くオレの顔を覗きこむ男は、無表情にそう言った。
 艶のある銅色の髪に縁取られた顔は、冷たく整っている。
 直感的に61α人だと思った。
 
 「あんた誰だ・・・?」
 「まだ答えるわけにはいかない。現段階で知っておいてもらいたいのは、私の身体にはジャ ミングが施されているので、君の能力は私には効かないということだけだ」

 そう言うと、男はグレーの上着のポケットから黒い物体を取り出した。
 ドラマか何かで見たことがある。
 確かこれはスタンガン・・・・・・。
 ことの成り行きについていけないまま呆然としているオレの腹に、男はそれを押し付けた。
 焼け付くような痛みが走った。
 でもその痛みは一瞬で、知覚した瞬間、オレは意識を失った。
 意識が遠のく数瞬に、アスティの声が聞こえたような気がしたと思った。