VENUS AS A BOY




 「おい、どーした?」

 ポンコツを腹を抱えながらふらふらと部屋を出ようとすると、監視カメラで 見張っていたのか、ドア部分にたどり着くまでにドレッドの男が姿を表した。
 
 「どっか具合悪いのか?」
 「腹痛が・・・トイレに行きたいんだけど・・・」

 弱々しげに声を出すと、ドレッドの男はギョッと目を丸くした。

 「えっ、だいじょーぶか!?ちょっと待ってくれ・・・」

 ドレッドの男はボロボロのズボンのポケットから金属製の腕輪のような物体を取り出す と、それをオレの左手首にカチリとはめた。全身を気分の悪い障壁が覆う。ジャミングだ。

 「これつけないと、お前はこの部屋を出れないことになってんだ。 気分悪いかもしんないけど我慢してくれよ。さ、こっちだ」

 手招きする男に続いて部屋を出る。
 生暖かな風が頬を撫で、全身にまとわりついてたじめじめ感がほんの 少しだけど解消される。そういえば学校に行く前に見た天気予報で、今日 は平均気温よりも7度ほど高くて、たしか夜は24度くらいになるとか言 ってたっけ。これくらいがオレにとって一番過ごしやすい快適温度なんだ けど、なにぶんここは湿気が多すぎるから、身体が心なしか重く感じてあまり好きじゃない。
 オレのいた元病室の並びの廊下を挟んだ向かい側は、廊下の端から 端まで窓になっていた。薄汚れている上にあちこち割れているけど、 ここを溜まり場にしていた不良どもが気まぐれに割っていったのかな と思った。自然に割れるなんてことはありえないような、ちゃんとしたガラスだったから。
 視聴覚伝達器をさりげなく窓際に寄せると、10メートルほど下にコン クリートの地面が見えた。オレがいるのはおそらく3階くらいだろう。
 風通しのいい窓からは病院を囲む木々が、そしてその合間に夕日を反射 して輝く海と、水平線に触れるか触れないかの距離に浮かぶオレンジ色の人工太陽が見えた。
 ウスイの情報によると、小さな山の斜面の一角に立てられた精神病 院だったとかで、山の中の海が見える最高のロケーションは精神療養に 最適、なんてフレーズで活動してたらしい。
 確かに町から何キロも離れているというのは、療養病院の立地条件として は最適なんだろう。そういや地球でも、ハガジの研究所はたいていこんなと ころにあった。実験動物が逃げないように、逃げても近隣に察知されないよ うに、そして捕獲しやすいように。世間から隔離されるような扱いを受けて いたことは、ここに昔いただろう患者達とオレとでは差が無い。
 オレの去った研究所には次々と新しい特殊能力者なり希少動物なりが持ち 込まれ、今でも何かしら実験が行われているにちがいないが、この病院は腕 利きだった経営者が交通事故で死んだ後、アホな後継者の拙い運営のせい で潰れてしまい、今は幽霊スポットとして名高い廃墟と化してしまってる。
 ハガジもいつかはこんな風になる時が来るのかな。そうなったら少しは溜 飲が下がるというもんだけど、個人経営でなってたこの病院とは違って、あ いつらには巨大な支援者がついているから、よほど下手なことはしない限り 潰されることはないだろう。
 無理だとはわかっているけど、それでもオレはバカジどもの不幸を願わずにはいられない。
 オレが生きることに前向きになろうとする度、決まって見る夢がある。 ついさっきも見た、小さい頃の記憶だ。おそらくアスティに対して好意を抱 いたことを自覚したために発動したんだろうそれは、嫌悪感でもって自戒を 促そうとするオレの無意識による精神の防衛反応だ。トラウマと言ってもい いんじゃないかな。
 オレを取り巻いていたバカジの嫌な部分だけを集めたような醜悪な夢は、た しかに奴らへのより一層の嫌悪感をかき立てる。
 でもオレはテレパシストであることが逆に幸いして、十人十色という言葉を直 で感じることができる。夢を見たからって、お袋やアスティたちのことまで嫌に なったりすることはない。昔はともかく、1だけをみて、同種の10全部に対 して憎しみをぶつけることの浅ましさをすでにオレは理解してしまっているか ら、今はヴァヴェルの仲間になることは出来ない。
 でも、あの夢をまだ見ているということは、オレの中に理解しただけでは消化 できない部分があるということなんだと思う。・・・でもそれは追々決着をつけてい けばいいことだ。
 オレは頭を切り替えると、前を歩く男を見た。

 「足元に気ぃつけな。ガラス落ちてんぞ」
 
 腹を抱えてのたのた歩くオレにスピードを合わせて歩きなが ら、ドレッドの男は注意を促した。
 ふと足元を見ると、オレは学校の上履きをはいていた。こんな 薄っぺらい靴でガラスなんて踏んだら、突き破って足の裏に刺さってしまうに違いない。

 「まさかさっきの水にあたったわけじゃぁないよなー」

 オレの進行方向にある大きな破片を足で蹴飛ばしてどかしながら、 ドレッドが首をかしげる。その背中にオレは軽く微笑みかけた。

 「あの、オレ元から身体弱いから、こんなの日常茶飯事で・・・あまり気にすること無いよ」
 「そーだよな、お前身体弱いのよな・・・そんなんでオレたちに混じって行動できるのかなー」
 「無理。すぐ死んじゃうよ」
 「そーっぽいよなー、お前。死なないように体力つけなくちゃ」
 「オレはまだ入るって決めてないよ」

 オレのセリフに、ドレッドが笑ってるような憐れみをかけているような 、奇妙な表情を浮かべて振り返った。

 「そーだなー・・・」



:::


 トイレは、海から見て遠い側の廊下の突き当たり、階段脇にあった。
 ドアを開けると、左側に洗面所が2つとその奥に小便用の便器が3つ、 右手に個室が2つ見える。正面には窓があったけど、案の定割られている。 予想していたよりも荒廃は進んでいなくて、他の場所よりは綺麗・・・という かまともな状態、といったところだ。湿気は相変わらずだったけど、床に は埃や崩れた壁の欠片などが落ちていたから、滑りやすいということは無い。

 「それじゃぁ・・・」
 「おう」

 いそいそとオレが中に入ろうとすると、ドレッドの男も一緒についてこようとした。
 監視の役目もあるだろうし、当たり前のことなんだろうけど、ここで男に中に入られ たら非常に困る。うまくいかないときは実力行使に出る、とウスイが言ってたけど、そ んな危険なことやらせてたまるか。
 オレはかなり本気で冷や汗を垂らしながら、前もって考えていたセリフを弱々しく言ってみた。
 
 「あの・・・オレ、症状が症状なだけにあまり中に入ってきて欲しくないなぁとか思っちゃって・・・」
 「なーんだそんなこと気にすんのか。オレは気にしないぜ!」
 「でもオレがやりにくいよ・・・」
 「お上品だなーお前」

 男はにこーっと笑うと、「いいよ、派手にやってきな!」と手を振って、呆 気なくドアの向こうに姿を消した。
 テロリストってこんなに警戒心薄くていいのかな。でも助かった。
 まぁ、それはさておき・・・。
 
 『ウスイ、上手くいった』

 トイレの個室のドアを開閉させて、外のドレッドに対して音のカモフラージ ュをしつつ、オレはウスイに連絡をとった。
 ウスイの気配はすぐ近くにある。
 実はウスイは、ここが立ち入り禁止になる以前、肝試しに足を踏み入れ たことがあるらしかった。数年前のことらしいけど、それでもウスイは 建物内部のことをよく記憶していて、各階同じ位置にあるトイレを待ち合 わせ場所に選んだのだ。
 
 『連中は?』
 『1階に二人、2階に二人、3階のトイレのドアの前に一人 いる。誰もまだお前のこと気付いてない』
 『わかった。窓から顔出せるか?』
 『うん・・・・・・おーい、ここだよー』
 
 トイレの突き当たりにあった窓は、ガラスが割られていたので簡単に顔を出すことが出来た。
 ポンコツと一緒に下を覗き込むと、ウスイがこちらを見上げているのが見える。
 学校の制服を着たままのウスイはやっぱりいつも通りの無表情だったけど、手 を振ると小さく振り返してくれた。
 と、その姿がふわりと浮かび上がり、こちらにスーッと近づいてきた。
 サイコキネシスだ。
 
 『・・・お久しぶり』

 目の前まで昇って来るとウスイは今更な挨拶をしたが、それにツッコミを 入れるのを躊躇ってしまうほど、宙に浮かぶ彼は神々しくて人離れした存在 に見えた。感性の乏しいオレにでさえ訴えかけてくる姿なのだから、常人が 見たら感動に打ち震えてむせび泣くんじゃないだろうか。んー、崇拝の対象 なるのも仕方ないか・・・だからといってアランたちの行為を肯定するわけじゃないけど。
 
 『どうかしたのか・・・?』
 『あ、いや、なんでもない』

 いかんいかん、どうでもいいことを考えてしまった。
 不審そうな表情をちょっと浮かべるウスイに、オレはへらへらと笑って見せた。

 『それじゃ、そろそろ行くぞ』

 オレはウスイのサイコキネシスで宙に浮かせてもらって、建物内を通らず外 から脱出することになっている。
 足を窓枠にかけてスタンバったオレに、ウスイは力を働かせようとした。
 と、その時。

 「言い忘れてたけどトイレの水流れねー、か、ら・・・・・・」

 トイレに静寂が落ちた。
 親切なドレッド男は、窓枠に足をかけるオレの姿、そして窓の外に浮かぶ ウスイの姿を見て、一瞬動きを止めた。
 オレも青みのかかったドレッド頭を振り返り、思わず固まった。
 ここの廃墟っぷりを見てれば言われないでもわかるっつーの!と心の中 で叫んだけど、向こうは親切で言ってくれたことなんだし、そんなツッコ ミを実際に口に出して言ってしまったらドレッド男の親切心を踏みにじるよ うで後味悪いだろうし、だけどそもそも向こうはオレを拉致った極悪テロリ ストなんだからそんな気を使わないでもいいんだろうけど、ていうかそんな 極悪テロリストに脱出しようとしてるところ見つかっちゃったし・・・。
 色々な必要のない考えが頭の中をグルグルしたけど、とりあえず、えへ、 と儚げな笑みを浮かべてみた。
 しかしこんな状況で微笑み返してくれるテロリストがいるはずもなく( ウスイがやるならともかく)、ドレッドは一つ瞬きしてから、眉間にしわ を寄せてこっちにゆっくり歩み寄ってきた。

 「おい、なにやって・・・」

 最後まで言わせず、オレの横を通り抜けた力がドレッドの腹に一撃を加える。
 ウスイの放ったサイコキネシスだった。
 しかしその威力はたいしたことなかったらしく、軽く片膝をついただけでド レッドはすぐに立ち上がろうとする。
 でもその時には、それを見越していたウスイが肉迫していた。
 ウスイはオレの横をすり抜けると、立ち上がりかけているドレッドの首元目 掛けてを蹴り浴びせようとした。
 完璧に決まったかに見えた速い蹴りだったけど、相手は親切でドレッドヘア とはいえ、宇宙最強の戦闘種族カストル人の血を引く男だった。
 61αとの混血は地球との者より弱いとはいえ、それでもウスイよりもはる かに戦闘に長けていることは言うまでもないことで。
 寸でのところで後ろに転んで避けたドレッド男は、「てめー!」と叫んで 体勢を立て直しざまウスイに飛び掛ろうとする。
 が。
 攻撃対象の顔を見て、突如ぴたりと動きを停止させた。
 その隙はウスイが攻撃するに充分のものだった。
 顎にきつい蹴り上げを2発食らい、男は声もなくその場に崩れ落ちる。

 『プロにしては隙が多いな・・・』

 この世の奇跡のような美貌の少年は、自分が無理矢理隙を作り出した ことを知らないで、ドレッド頭を尻目に勝手なことを言いながらオレの元に駆け寄る。
 ・・・この顔を心構えなしに目に入れたら、そりゃ動けなくもなるよな。
 


:::


 病院の表から山を降りて、オレたちの住むドール地区プルチ街へと一直 線に走るルート35(35号線)に出る・・・のではなく、裏側から続く細い裏 道を通って、ルート35と山を挟んで反対側を走るルート17に降り、海 沿いに遠回りしながら帰る方法を選んだ。
 ルート35の方が距離的には近いのだけれど、それだと追っ手がかかった 場合すぐにばれるという理由から、わざわざ5キロほど遠回りする道にした のだ。なんせ向こうにはテレポートを使う奴がいる。
 
 「ルート35には、バトロイドがスタンバイしている。奴らがお前がいな いことに気付いた時、派手にエンジン音鳴らして町方向へ走ってもらう手筈になっているから」
 「バトロイド・・・いたの」
 「ああ、壊れかけてたけど大丈夫かな・・・」

 エアバイクを手で押しながら、ウスイは足早に歩いている。
 木々の間から滲む、日が沈む前の青いような桃色のような薄暗い 光が、細々と下へ続く砂利道と、ウスイとその愛機を彩っていた。
 オレはあまりエアバイクには詳しくないけど、サイドに入ってい る『ロンギーヌス』というロゴには見覚えがあったから、結構有名なメーカ ーのものなんじゃないかな。滑らかな流線状のフォルムを特徴としたブルー グレーのシンプルなデザインが、ウスイにとても似合っていると思う。

 「これってロンギーヌスって会社の?」
 「いや、商標。ザイアン社の。3年前に出たモデルで・・・そんなことよ り奴らに意識を集中しておけよ」
 「ちゃんとしてるよ。意識を多方向に集中させることなんてオレにとっち ゃ朝飯前なんだから」
 「オレ、ね・・・」
 「?」
 「『僕』じゃなかったのか?被ってたネコは何処へ行ったんだ?」
 
 ウスイは唇の端をほんのちょこっとだけ持ち上げて、微かな笑みを浮か べた。ここが教室だったら、クラスメイト達は全員、微笑光線に薙ぎ倒されていたに違いない。

 「・・・・・・ウスイさ、その顔、ほんとーに友達作りにくそうだよな」
 「・・・はぁ・・・?」
 「綺麗過ぎるってのも問題だよなホント。オレは視覚からの影響ってあ まり受けないから大丈夫だけど」

 オレがぶつぶつ言うと、ウスイが深い蒼の瞳に真剣な色をたたえて迫ってきた。

 「・・・何の話だ?オレが無視られてることに関係があるのか・・・!?」
 「あ、いや、前にも忠告しただろ?アレだよ。周囲がお前に打ち解けない理由」
 「理由は・・・それは・・・」

 ウスイが闇を身にまとい始めた。
 ・・・計算が違ったかな・・・どうやらウスイは別方向で考えてしまってたらしい。
 この際だからと、オレは改めてウスイに彼の持つ美貌の影響力を教えようと 口を開こうとしたその時、オレの意識が支配下の不穏な動きを察知した。

 「・・・おい・・・ばれた!」

 3人の気配がこちらへ向けて急接近しだした。
 ドレッドとカストル人が二人だ。ウーヴェは副リーダーと共に留まる気らしい。
 
 「こっちに向かって来てる!」
 「乗れ!」
 
 ヘルメットをウスイが投げてよこした。見つかった以上、こそこそ と行動していても仕方が無い。
 ヘルメットを慌てて装着し、ウスイに続いてエアバイクにまたがると、 ちょっと躊躇しつつもウスイの腰に軽く手をまわした。視聴覚伝達器は落 ちないように、軽く胸元に入れてやる。
 途端、エアバイクの車輪が中に収められ、ミィーーーンという音を立てて宙に 浮かび上がる。地面から1メートル弱ほど上がったところでエアバイクは静止した。

 「振り落とされるなよ」
 「お前ノーヘルじゃん!!」
 「大丈夫だ」

 ウスイの声と供にバイク後部が光と爆音を放ち、いきなり走り出した。


  :::


 思えば自分から人に抱きついたのなんて生まれて初めてだ。お袋にさえしたことがない。
 お袋も自分が地球人であるが故に及ぼす悪影響を恐れて、オレを抱きしめたことはなかった。

 こんなに密着しているけど、ウスイが心の表層に考えを出さないよう頑張ってく れているから、オレは感情の影響だけしか受けずにすむことが出来た。
 ウスイは何かにひどく悩み、そのことに怯えていた。
 ヴァヴェルが怖いというわけじゃなくて、彼の抱える闇に関係することだった。
 理由まではわからないけど、多分ウスイは政府に届け出ていない能力を隠し持って いる。そしてその能力の種類に関しても、オレは見当がついていた。
 エイリアンハーフの能力隠匿罪は重く扱われ、『月』に送られるのは間違いない。
 そんな重罪が発露する危険にさらされているのに、ウスイは能力を発現する状況 に追い込まれるかもしれないことをわかってて、オレを助けに来た。
 それはウスイがオレに『希望』を抱いているからだ。ウスイの精神ははけ口 を求めて、どろどろと渦を巻いている。自分の抱える闇を、誰かに吐露したく て仕方が無かったんだ。

 オレは意識をドレッド頭に集中させ、心を読もうとした。
 ジャミングをつけているけど、そんなものはオレには関係ない。
 今必要なキーワードだけを提げて心に潜り込むと、抵抗も無くあっさりと情 報が浮上してきた。61αよりもカストルとしての血が濃いようで、オレの 侵入にも気付いていないみたいだ。
 ドレッド頭の名前は・・・ライオネス。奴の能力は空間転移、そして敏捷性のBクラ スを頂点とする身体能力を備えている。
 そして奴らがオレたちの場所を知ることが出来たのは・・・・・・。

 「くそっ!ジャミングだ!」

 左手に取り付けられた障壁を生み出す器械には、探知機も仕込まれてい たらしい。慌てて取り外そうともぞもぞすると、うわっと言いながらウスイが 身をよじらせた。そういやウスイの腹筋あたりに腕をまわしている。

 『何やってる、くすぐったいだろ!』
 『オレの手首に取り付けられてるジャミングに探知機がついてたんだ!』
 『そうだったのか・・・・・・これだな?』

 ウスイは右手でハンドルを握りながら、器用に左手だけでオレの手首から 金属製のリングをカチリと外し、道の脇へ放り投げた。
 でももう遅い。
 ヴァヴェルの連中はオレたちに追いつこうとしている。
 カーブの多い山道を走っているため、エアバイはスピードをそれほ ど出せずにいる。走るカストル人のスピードの方がはるかに速かった。
 もう相対距離は20メートルも無い。ウスイの舌打ちが聞こえた。バッ クミラーに追っ手の姿が映ったようだ。
 スピードは70キロも出てるかな。カーブを曲がるたびに遠心力が身体に かかるけど、そのカーブも次第にゆるやかになり、数自体少なくなってきた。
 ウスイは徐々にスピードを上げていっているが、カストル人たちも走りや すくなっていることにかわりない。
 奴らに攻撃できればいいのだけれど、サイコキネシスは視界内でしか発動 させることは出来ないから、山道を全力で走行中のウスイには難しい注文だ。

 『もうすぐルート17に出る。直線に出たら引き離せる』
 『うん、負けるなウスイ!』
 『のんきだな、お前』

 ウスイが呆れながら笑ったのを感じた。ポンコツの視聴覚伝達器を介 さなくても、オレはそれを知ることができる。目も耳も利かない嫌われ 者のオレこそが、言葉少なな神の子の真意を正確に測ることができる。オレ が得られないものは数多いけど、今得ようとしているものは、何ものにも勝る この世の奇跡だった。

 『後ろ!5メートルもない!』

 このまま奴らに捕まれば、二人とも殺されるかもしれない。
 これまで死ぬことに恐怖を感じたことは無い。お袋を悲しませたくない 、ただそれだけでオレは生きてきた。周囲から傷を受けることを恐れて、 他者に対して関心を抱かないようになっていた。
 オレがアスティたちに優しく接することが出来たのは、ただ関心がなかっ たからなんだ。
 バカみたいに笑みを浮かべて、誰に対しても公平に接する。それはオレが彼 らに何も感じなかったから、だからこそできたんだ。地球でいじめに遭ってい たときは、それで仕方ないと思っていた。今だってそう思っている。でもハー フへの偏見を持たないアスティたちと接して、それが臆病で恥ずかしいことだ と感じるようになった。
 でも周囲に対して距離を置くことはやめられない。あの悪夢が、17年 生きて鈍磨し諦めの境地に立つことのできた心に、人に憎まれることに対 する幼い頃の恐怖を呼び覚ますから。
 何も感じないなんて嘘だ。
 オレは友人を作ることが怖かった。彼らに遠ざけられるときのことを考える と、怖くてどうしようもなかった。
 でもオレはウスイと出会うことができた。オレに悪影響の無い精神構造をも ち、オレと同様に周囲に距離を置き、そしてオレを必要としているウスイ。半ば つかみかけている『友人』を、引き離されたらかなわない。

 カストル人の気配はオレのすぐ後ろまできていた。
 手が伸ばされる。
 オレはウスイにしがみついた。

 その時、突如マシンガンの掃射音が聞こえた。
 と同時に、カストル人の気配が急にオレから離れる。

 『バトロイド!』

 ウスイの安堵したような声が聞こえる。
 オレには存在を感じとることはできないけど、どうやら陽動にひ っかからなかったことに気付いたバトロイドがこちらの応援に駆けつけ、 林の中から飛び出して追っての3人を攻撃しているらしい。
 マシンガンの音や叫びに混じって爆音まで聞こえるけど、一体どう やって攻撃しているんだ?ちょっと見たかったけど、ポンコツは胸元 に収めているから、後ろの様子を窺うことは出来ない。
 不意の攻撃に3人は焦っているみたいだ。
 と、ライオネスの意識がこちらに向けられた。身にまとうエネルギーの 構成が目まぐるしく組替えられる。・・・・・・飛ぶ気だ!

 『ウスイ!前に来る!』

 一瞬にして、ライオネスの気配はエアバイの前方に移動した。
 そしてそのままジャンプして、向かってくるエアバイに飛び乗ろうとする。
 しかしウスイがサイコキネシスをライオネス目掛けて放ち、それを阻止する。

 『お前腹痛はウソだったのかよーー!!』

 一撃くらって地面に落ちたものの、へこたれずにライオネスはバイクと併走し始めた。

 『そうだよ!オレはお前らの仲間になんてならない!』
 『ダメだ!副リーダーの意志は絶対だ!!』
 ライオネスの手がオレの脇腹に伸びて、クリーム色のベストをつかんだ。 オレはその手を爪で引っかいたり、ギリギリとつまんだりした。『いてー!』 とライオネスが思っているのはわかったけど、離す気は全くないらしい。
 手に力がこもり、オレはウスイから引き剥がされそうになった。自慢じゃな いけど腕力は女の子以下だ。それでもオレはがむしゃらにウスイにしがみついた。
 ウスイが何か叫んだ。

 その瞬間、何が起こったのかわからなかった。


:::


 セピア色の視界の中、オレは道を歩いていた。
 静かな住宅街で、自分以外には誰もいない。
 遠くで犬の吼え声が聞こえた。どこかの家の飼い犬だろう。この辺りは庭付 きの家ばかりが集まっている。塀や垣根で囲ってあるから中は覗けないけど、塀 の上方や隙間から顔を覗かせている金木犀やアシュリの花はとてもいい香りを 放ち、視覚以外でもオレを楽しませてくれている。
 と、その芳香に混じってツンとくる異臭を感じた気がした。
 そう思ったときには、ハンカチか何かで鼻と口を塞がれていた。

 目を覚ますと、そこは薄暗い車の中で、4人の男がオレをじっと見下ろしてい た。全員知らない人間だ。煙草の臭いが充満している。
 唐突に、自分が誘拐されたことを悟った。
 つい2年前、近所の子供が身代金目的に誘拐されて、殺されたばかりだったから。
 恐怖に駆られて叫んだ。が、男たちはにやにやと面白そうにオレを見るだけだ。
 「こいつ、念動力使えるんだろ?やばいんじゃないの?」
 「なーにそんなもん、オレたちにゃこれがあるんだぜ」
 男の一人が銃を取り出した。刑事もののドラマでよく見るハンドガンだ。
 「使ってみろよ、なぁ、そんなことしたらこれでぶち抜いてやるよ」
 男はオレの目の前に銃口を突きつけた。
 黒々とした筒の内部には、オレの身体を易々と貫く小さな銃弾が装填されて いるんだろう。打ち抜かれたらどうなるんだろう。死ぬのか。
 2年前死んだ子供も、頭を銃で撃ち抜かれていた。そして死んだんだ。この銃 口から発射される鉛弾で、俺も殺されるんだ。
 「だから静かにしろよ」
 「静か過ぎても面白くないだろ?」
 「ギャハハ!言えてる!」
 俺が静かにしていても、母さんや父さんが金を出しても、こいつらは結局俺 を殺すに違いない。俺はこの人たちの顔を見てしまったから。もう会えない、 父さんにも母さんにも友だちにも学校の先生にもみんなに会えなくなる。死ぬの は嫌だ。体に穴が開いたら痛いに決まってる。血が出る。たくさんの血が出て俺は死ぬ。
 男の手が俺の衿元に伸ばされた。
 銃口は俺の額に向けられたままだ。どうして俺が殺されなくちゃいけないんだ。
 俺は何も悪いことをしていない。痛い目に遭う理由が無い。
 人を殺そうとする、お前らこそが死ねばいい・・・!

 殺意は一瞬覚えるだけで充分だった。
 
 紫の閃光。
 掌中に浮かぶ小さな塊。
 それに対する嫌悪感と、発覚することへの恐怖。
 激しく吼えたてる犬の声に煽られる焦燥。
 紫色の視界がぐるぐる周り、早送り中のフィルムのように矢継ぎ早に様々なものを見せつける。
 自分の部屋。
 土足で立つ自分。
 物静かな父さん。
 明るい母さん。
 居間のテレビ。
 あの日、近所で行方不明になった幼い少女。
 謎のクレーターを残して消えた空き地。
 『ヴァヴェル』の文字が躍るブラウン管。ちがう。あれをやったのは・・・・・・。


 「セイラン!」

 突如、ウスイの声が聞こえた。
 紫色の視界が一転して通常の色彩に変化する。目の前にあるのはウス イの肩、そしてウスイの蒼白な顔だ。無表情の仮面をかなぐり捨て、目 を大きく見開いて必死の形相をしている。

 『大丈夫か!怪我したのか!?』

 ウスイはエアバイのシートから落ちかけてるオレを、片手で引きずり上げようとしている。

 『流れ弾か!?それとも俺の攻撃が・・・』
 『いやごめん、大丈夫、ちょっとぼーっとしてた・・・』
 
 早鐘を打つ心臓をなだめながら、心の内を顔には出さないよう、へらっと笑 って座り直すと、ウスイはオレを心配しつつも、ゆっくり徐行していたエアバ イを少しずつ加速させた。
 ライオネスたちの気配は、かなり後方にあった。
 どれも意識は無い。気絶しているだけだ。

 オレを引きずり落とそうとしたライオネスに、おそらくウスイは攻撃をしかけたんだ。
 人前で使うことを戒めた能力で。
 そして彼の意識がそちらへ向いた瞬間、心に隙が生じ、壁が不完全なもの となり、その能力にまつわる彼の過去がオレに流れ込んだのだ。

 オレはウスイの背中に顔を埋めた。
 ウスイは二つ、能力を隠し持っていた。
 空間転移だけかと思っていたのだけれど、もう一つ・・・・・・重力を自在に操る能力を。
 直に感じたそれはとてつもないエネルギーを秘めている。今までハガジで何度か高 位の能力者と相対したことがあったけど、あんなのとは話にならないくらいほど桁外れだ。
 ウスイはその能力を使って4人の男を殺し、一人の少女を意図せずして巻き込んでしまった。
 発覚への恐怖とそれを上回る罪悪感、そして孤独・・・・・・身にまとう闇の根源にあるものだ。
 
 『おい、本当に大丈夫か?オレの精神が悪影響を与えたとか・・・』

 心配げなウスイの声が頭に響いた。人を傷つけることに極端な怯えを感じ ずにはいられないんだろう。ウスイに触れ、精神に半シンクロ状態にある今 、それがよくわかった。
 普段ならそんな状態はお断りなんだけど、今は解かずにいたかった。ウ スイの痛みを感じることで、彼に近づける気がしたからだ。

 『セイラン?』
 『ううん、乗り物酔いしただけだ。カーブばっかりだったからさ』
 『吐きたくなったら言えよ。ていうか追っかけて来てる奴等に吐きかけてやれ』
 『大丈夫、あいつら完全に失神してる。君の背中に吐いたら怒る?』
 『このマシーンだけは汚すなよ、頼むから』
 『あははっ、わかった努力する・・・・・・そういやバトロイドはどうなった?』
 『・・・カストルの二人に粉砕されてた。結局3人まとめて俺がやっつけた』
 『そっか・・・』
 
 一度も対面した事の無い機械人形を、オレは想った。
 普段なら決してそんなこと考えないけど、今はウスイにシンクロし ている。オレのために破壊された機械に対し、何故か胸が切なくなった 。オレの感情じゃないことは承知してるけど、それでも自分が人間らし くなった気がした。錯覚でもいい。ウスイの側にいれば、オレはいく らかマシな存在でいられる。

『もう大丈夫だ』

 ウスイの声と共に、身体にかかる抵抗がぐんと上がった。
 ルート17に出たんだ。
 オレの後ろでエンジンがフル稼働し、エアバイクはぐんぐん加速する。
 ウスイを通して海が見えた。
 左手の水平線に人工太陽が半分以上身を沈めている。
 オレンジ色の輝きは影響力をどんどん失い、桃色、紫色、そして群 青色へ至るグラデーションの先には夜が目覚めようとしていた。海は 穏やかに波打ち、一際輝く天体の姿以外は群青の深海の色を面に映している。
 山と海を切り裂くルート17の脇には、点灯し始めた街灯がズラリと並んでオ レたちを迎えていた。海岸線に沿って続く道ははるか遠く、出っ張った半島の向 こうにまで続いている。山に茂る木々は夕日に彩られ、緑のようでいてオレンジ色だった。
 なんて綺麗なんだろう。
 こんな美しい光景が、オレの閉じこもっていた世界の外で日常的に繰り返さ れているんだ。今までオレの前にあったとしても、何も感じずにいたんだ。
 オレが切り捨てていた無駄なものは、ウスイの目を通すとこんなにも美しい。
 オレが先天的な欠陥に加えて孤独と絶望のうちに喪ってしまったものを、ウ スイは闇の中にいながらも放さずにいた。いや、放さずにいられなかったんだ。
 頬を熱いものが伝う。
 胸の痛みは、いっそ快感だ。
 全てが新鮮で、広く果てしなく、腹の底から震えるような高揚感が湧きあがってくる。
 体育の授業でウスイの打球がぐんぐんと青空に吸い込まれていくのを見 た、あの時感じたのと同じ高揚感だ。

 『セイラン・・・』

 ウスイの声が心に落ちてきた。
 腹の据わった、静かな声だった。

 『聞いてもらいたいことがあるんだ』
 『うん』
 『多分気付いているだろうけど、・・・あとで俺の口からゆっくり話したい』
 『うん』
 『長くなるかもしれないけど・・・あ、嫌だったり具合が悪かったりしたら、 また明日でもいい。こんなことがあった日に人の話なんて聞いてられないよな 、その、また今度でいいから』

 ぐだぐだ言い出した小心者のウスイに、オレはおもわず噴き出した。

 『・・・なに笑ってるんだよ』
 『別にぃ』
 『おい、セイラン』
 『セイランじゃない』
 『・・・は・・・?』
 
 戸惑うウスイの背中に、オレは思いっきりぎゅーっとしがみついた。

 『シェダル』
 『・・・シェダル?』
 『そう、シェダルっていうんだ。親父がシェダル出身者だから って安直だろ?本名名乗ったらバレバレだよなー、ははっ』
 『・・・・・・・・・・・・ってことはシェダル系のハーフなのかお前!?』
 
 驚愕するウスイにオレは笑った。
 ウスイの背で笑いながら、オレはウスイを取り巻く美しいもの全てに対して固く誓った。

 決してウスイを喪わない、と。




→→→→→???